針の穴(5分パフォーマンス:関西弁ヴァージョン)
まくら
この数日前、ワイシャツのボタンが取れてしまい、針に糸を通そうとするのですが、もう老眼が入ってしまっていて、なかなか糸が通りにくい。あぁ、年はとりたくないものでございますね。
魚屋の八も、何やら浮かない顔をしながら針と糸をもっております。
熊: 八、いるか? 将棋しようや。
八: 熊か。ちょっと待って。今、針と糸に苦戦してんねん。
熊: おう、もう老眼が入ってきたん。針に糸が通らへんねやろ。
八: うれしそうに言うな。こっちゃ、必死なんやから。
熊: 針で思い出したけど、横町の隠居が言うとったなぁ。
「金持ちが天国にはいるんは、
ラクダが針の穴を通る方が楽だ」って。
八: お前、しゃれ言ってんのか。
熊: 分かってくれた。「ラクダが針の穴を通る方が楽だ」って。
八: 2も回言わんでもええわ。
そやけど、ラクダが針の穴、通れんのかいな?
糸も通れへんのに、どういうこっちゃ。
熊: そりゃ、そんだけ難しいちゅうこっちゃろ。
八: まあ、わてらは、金持ちちゃうし。
どっちか言うたら、貧乏人やし。
熊: アホ。どっちと言わんでも、どっからみても「貧乏人」や。
八: まあ、そやけど。ラクダがどうしたら、針の穴とおるんやろ。
熊: 八、わてとおんなじやな。
わてもおんなじこと、隠居にきいたがな。
隠居はな、「針の穴では、分かりにくいかもしれん。
紙に針の穴ほどの小さい穴をあけてごらん」って。
八: ほーう、ちょっとやってみよやないか。
紙は、和紙がええの、それとも厚紙。
熊: おまえ、和紙なんて高級なもの持ってへんやん。
なんでもええねん。そこのチラシの紙でええさかい。
八: そうかいな。じゃ、このチラシに、針で穴あけて。プス。
熊: 効果音ださんでええから。それで、その穴から何か見えるか。
八: 「ご不要品、高価買い取り」って。
熊: アホ、チラシ読んでどうするねんな。
不用品はおまえやないか。
八: 熊、おもろいこと言うやん。わしも不用品にはちがいないな。
熊: ええから、その紙の穴からなんか見えるんかって。
八: こますぎて、見えるわけないやん。
熊: そやろ。でも、紙ずーっと近づけてみてみぃ。
穴がどんどん、大きゅうなって、向こうが見えへんか。
八: ほほう、なんかきちゃないもん、見えるで。
熊: きちゃないもん?
八: かみボウボウで、角ばった顔のおっちゃん。
熊: わしやないかい。ちゃんと風呂はいってます。
八: 風呂はいってもきちゃないもんは、きちゃない。
熊: その穴からラクダもみえるっちゅことや。
八: ラクダは見えん、きちゃないおっちゃんが見える。
熊: わしのことはもうええねん。その穴から見えるやろ。
つまり、その穴を通ってることにもなるちゅうこっちゃ。
八: ほーっ、すごいな。
熊: ご隠居が言うにはな、
「その紙を近づけると、見えてくるんや」って。
八: 何が、見えるの?
熊: 天国やがな
八: え 天国? なんでまた天国なん?
熊: アホやな八。ご隠居は、この紙と神様をかけたんや、。
「神様に近づくことで、天国が見えてくる」っちゅうこっちゃ。
八: なるほどな。貧乏人も神様に近づけるんや。感謝やな。
じゃ、このご不用品のチラシは、さしずめイエス様やな
熊: 八 お前上手いこと繋げるやないか
八: でも、今の問題はやな、この糸が針の穴に入らんことや。
熊: どれ、貸してみぃ。わしがやったろ。
八、おまえ、とことんアホやな。
八: おほめにあずかりまして。
熊: ほめとらんわ。
どこの世界にこんな太いタコ糸が、この針の穴に通るわけないやろぅ。
八: なに言うてんねん。ラクダが通るんや、タコも通るやろ。
おあとがよろしいようで。
「パラダイス」
まくら
人間は「おぎゃあ」と生まれてからには、いつかは死んでしまいます。生まれた時には、たいていだれでも、「おぎゃあ」と言って、この世にポコリンと現われてくるわけでございますが、この世から消えるときには、人それぞれでございます。「アッ」と息切れる人もいれば、「フッ」と息を吐き終わって行ってしまう人も、「さよなら」という人もおれば、「愛しているよ」と、また「おかあちゃん!」と言って幕を閉じる人もいますでしょうな。「おぎゃあ」と生まれた時には、物心も何もついておりませんから、どこから来たなんてことは分かりません。後から「おまえは、お母さんのおなかの中から生まれて来たんだよ」と写真や映像を見せていただくこともあるでしょう。しかし、死んだ後は、どこに行くのかってこと、どうなってしまうのかってことは、信じていることはあっても、だれも検証できないでいます。だって、死んでいたのに生き返って、死後の世界はこうだったと、言ったところで、写真や映像があるわけでもありませんから、その人を信じるかどうかっていうことになります。ですから、死後の世界が見えないから、死が恐いのでしょうね。この世で死んでも、必ず生きることが分かっていれば、ちょっとは死が恐くないのかもしれません。
さて、ところで、今は平成という年号でございますが、来年はまた変わるそうでございますね。そして、これからは、西暦というのが、正式な文章にも使われるということです。私の生まれたのが昭和31年で、西暦1956年でございますが、では、平成5年は西暦何年でしょうかといわれても、すっと出てきません。えー、今が平成30年で西暦2018年でございまして、25年前でございますから、2018-25はと、、、えーっと2000に7引いて、、、1993年ということになりましょうか。もうややこしいたらありゃしません。しかし、これからは西暦に統一されますから、カレンダー屋は楽でございますな。平成から次の年号に変ろうが、西暦であれば変わることがない。安心してカレンダーを作ることができます。日本も、これで、もっとインターナショナルになるのでしょうか。
ところで、この西暦とは、キリスト教のイエス・キリストが誕生した年、皆さん、クリスマスでご存知のお方が生まれた、その年を西暦1年と定めたわけでございます。
今日のお話しは、その西暦33年ごろの、ことでございまして、この西暦1年に生まれたイエス・キリストというお方が、33歳の時に、エルサレムの町にありました、ゴルゴダと呼ばれた処刑場で十字架刑に処せられた時のお話しでございます。イエス・キリストが一人で十字架にかかったのではありませんで、イエスの右と左に一人ずつ、十字架にかけられていました。十字架刑とはローマの極刑でございまして、半日ぐらいたって死に至るという、なかなかむごい処刑方法であります。両手を五寸釘よりも大きい釘で打たれ、また足も固定するために釘を打たれます。当たり前の話ですが、釘を打たれるだけでも激痛が走りますが、釘を打ってから、十字架が立てられます。そうしますと、体重によって、打ってある釘が骨と肉を裂くのであります。痛みが持続します。手の方が痛いからと、手に体重をかけないようにと、足を踏ん張りますと、足の釘が足の骨と肉を裂きます。もう「いい加減に早く殺せ!」と言いたくなるぐらいなのですが、ローマ軍はそんなことはしません。あげくの果てに、死が近づいて来ますと、足の脛を打って、折るということをいたします。極刑中の極刑でもありますでしょう。
イエス・キリストの左右には、極悪人が二人も立てられていました。名前は知られておりませんので、今日は、こちらで名前を付けさせていただきます。いつも私の落語で登場していただいております、天国長屋の「八」と「熊」に、迷惑ではございましょうが、ここでは登場してもらうことにいたしましょう。
熊: いでぇ! いでぇよ! バラバはいいよなぁ。 あいつだけ助かりやがって。
もとはと言えば、あいつが首謀者じゃねぇか、こんかいの暴動にしてもよ。
八: 熊の言うとおりだ。あいつにそそのかれて、おれもお前も、ローマ兵士、やっちゃったんだもんなぁ。あいつは、今ごろ何してやがんだろうなぁ。
熊: 祝い酒でもあびてんじゃねぇか。あ~、いでぇ!あの酸いぶどう酒もスポンジに含ませたのを口に浸しただけだから、余計の喉が渇く。
八: そうだな。もう口ん中、からっからだよ。水が欲しい。
熊: おい、横のあんた、イエスとかいったよな。おいら、聞いたことがあるんだ。
あんたがよ、サマリヤの女に、なんていったか。あの女に、「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがない。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出る」って言ったそうだな。おいらにも、その水くれよ。今すぐ!
けっ!もう喉が渇いて、つばも出て来やしねぇ。
八: 熊、無理いうんじゃねぇよ。この人かって、手も足も、俺たちとおなじで、身動きがとれねぇんだ。
熊: そうさな、手も足もでねぇか。ハハハ、笑えるねぇ、ハハ、イデ、「イデデ、イデデ、デエエオ!ヘライコンマニホワンゴオホ!」ってか!
八: 熊、とうとう頭おかしくなったか、ボーット、してきたか。何言ってんだよ、「イデデ、イデデ、ワンゴオホ!」って! そういう時は、ほんとうは、甘いもんでも喰やいいんだけどなぁ。おめえ、バナナ好きだったよな。バナナ喰ってボーットしてんの直せば、、、って、俺たちに喰うもん、くれるわけねぇか。
熊: 八、おめぇが、バナナの話するから、腹ぁへってきたじゃねえか。おい、イエスさんよ、おれ、もうひとつ思い出したわ。おめぇが5000人にパンと魚を配ったこと。なんか、パン5つと、小魚2匹をお祈りして配ると、みんなに与えられたってやつ。俺たちのその中にいたんだよ。なあ、八!
八: その時はおったまげたね! どうやったら、あのパン5つと小魚2匹が増えるんだって。おれたち、腹いっぱいになったもんな!。そして、聞いたことがあるんだ。後で弟子たちのみんなに、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」って言ったって。
熊: そんなこと、言ったのか、こいつ。やい、イエス!おれ、腹減った。おめぇをかじらせろ!
八: 熊、ばかいってんじゃねぇよ。この人は、「わたしを信じたら、飢えることも渇くこともないって」言ってんだよ。
熊: バカはおめぇだよ、八。こいつは、いんちきやろうだ。たしかに、パン5つと小魚2匹で、5000人を満腹にしたかもしれねぇ。でもよ、おれに、バナナはだせねぇじゃねぇか。
八: おめぇ、とことん、バナナにこだわるなぁ。
熊: イデデ、イデデ、デエエオ! 腹減って怒って動いたら、痛くなってきやがった。
やい! イエス、おめぇはほんとうにお人好しのバカだなぁ! おめえぇの着物をくじ引いて分けている連中がいるっているのによ、やつらに向かって、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ってか?! やつらは、ちゃんと分かってるよ。くじ引いて、おめぇの着物を分けてんだよ!
八: 熊、バカは、おめぇだよ。この人の頭の上にある札を見ねぇよ。「これはユダヤ人の王」って書いてあるだろ、これは、ピラトの直筆だぜ。祭司長たちじゃなくて、ピラトが言うんだ。この人はほんとうに正しい人なんだよ、王さまなんだよ。キリストなんだよ。
熊: 八、とうとう、痛みが頭までまわって、しびれてきたか。こいつが、王でもキリストでもあるわけねぇじゃねぇか。キリストは死なねぇんだよ!みんな、そう言ってらぁな!
やい!ナザレのイエス!あんたが、ユダヤ人の王なら、自分を救ってみろよ!
八: おい、熊、口が過ぎるぞ。俺もお前も、ワルだ。いっぱい悪いこともしてきたし、人も殺めてしまった。罪深いんだ。だから、十字架という報いを受けてんだ。けどよ、この方は俺たちのように悪いことはこれぽっちもしちゃぁいねぇ!本当に正しい人なんだよ。
熊: いでぇ! ちくしょう! もうがまんできねぇ。早く殺せぇ!イエス!あんたがキリストなら、自分とおれたちを救え! なんとか言ってみろよ! だまってねぇでよ!
八: だまってろ、熊!イエスさま、お願いがあります。わたしは、あなたをキリストと信じます。あなたが、御国の位にお着きになるときには、わたしを思い出して下さい!わたしは、この後、どうなりますか。
イエス: まことに、あんたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。
八: え?! パラダイスですか。わたし、やっぱり死ぬんですね。死ぬのは怖い!死なずに生きるようにしてくださるのではないのですか。
イエス: いえ、わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
まくら
えー、最近、世間では、エコエコといいまして、省エネや資源を大事にしようという動きがお盛んなようです。この前も、ある知人とうどん屋に行きまして、さあ、たべようとした時に、その知人はカバンから、マイ箸をとりだして、うどんに向かうわけです。ところが、その箸は丹塗りの上等な箸でして、うどんが、ツルっと、こう、上手につかめないものですから、知人の顔や服には、うどんの汁が、その時にカレーうどんでしたから、カレーがあちこちに飛び散って、顔も服もテーブルも汚いったら、、、、それを見かねて、割り箸を差し出すんですが、「お手もと」は要らない。「お手もと」ときました。この後におよんでも気取って、箸のことを「お手もと」というんですから、始末がわるい。もう、こうなると、エコという問題ではなく、エゴといいますか、意地といいますか、見栄といいますか。周りのひとが、眉をひそめていることなんざ、目に入らない、目に入るのはカレーうどんのツユばかり。割り箸はもともと間伐材から作られておりますから、割り箸こそエコのはずなのですが、、、マイ箸も時と場所を考えて欲しいものだなと思いました。さて、熊さん、八さんですが、今日は将棋ではなく、骨董屋に来ております。この骨董屋、キリスト教に関係のある骨董品も多くありまして、なかなか興味深い。
熊:八、これ見てみろよ、「マルティン・ルターが最後に踏んだ靴」ってあるよ。
八:「最後に踏んだ靴」、「最後に履いた靴」のまちげぇじゃねぇのか。
熊:いや、たしかに「最後に踏んだ靴」と書いてある。お墨付きもあるぞ、ほれ、これが証明書だ。
八:ほほう、なるほど、なになに、マルティン・ルターが、元修道女のカタリナ・フォン・ボラと結婚したときに、あまりにも緊張してよろけて転けそうになった。その時、その結婚式に参列していた公爵の靴を踏んだ。その時の靴であることを証明するのもである。
熊:だろ。だけど、これうさんくせぇな。証明書、手書きだし。証明書の漢字が、「明かりの照明」になってるし。この文章で何を照らすんだ。
八:んー、うさんくせぇ。眉唾もんだろ。
熊:ここまでくると笑えるね。こっち、見ろよ。これ。「ペテロが最後に歓迎されなかった町を出る時に振り落とした砂」
八:ビンに入ってるな。甲子園の土とどこが違うんだろう。これなんざ、お墨付きもないぞ。マジックで書いてあるだけじゃねぇか。
熊:八、これはどうだ。「イエス様が最後の晩餐で使った箸?」
八:なんだ、なんだ。最後にクエスチョンマークがあるじゃねぇか。「イエス様が最後の晩餐で使ったかもしれない箸」ということか。
熊:それによ、これ、きれぇ過ぎねぇか。2000年ぐれぇ、経っているはずだな。こんなに黒光りでよ。
八:まにうけるんじゃねぇよ、熊。みねぇ、輪島って日本語でかいてあるじゃねぇか。イエス様が日本の輪島塗りの箸を使うわけねぇじゃねぇよ。骨董屋のおやじ、もらった土産物をだしあがったな。
熊:でもよ。この箸、きれぇだよな。いくらになってる?
八:んー、500円かな。最後がわかんねぇんだけどよ。ごま粒ついてるから。
熊:八、500円なら安いよ。
八:「イエス様の最後の晩餐の箸」ってのはインチキだぜ。
熊:わかってるよ。だけど、輪島塗だぜ。輪島塗なら2、3000円はするだろうよ、最低。
八:ちげぇねぇ。輪島塗りなら500円は安い。骨董屋のオヤジ、土産物をそのまま出したから、輪島塗の価値しらねぇんじゃねぇか。
熊:こりゃ、買いだな。オヤジ、ちょっとこの箸みせてもらうぜ。
八:どうだ、本物か。
熊:わかんねぇけどよ、なんかいいな。持った感じもいいし。ちょっとなんか挟んでみようかね。
八:熊、オヤジがこっちをジーっと見てるぜ。盗むとでもおもってんのかな、500円の箸。なあ、熊。ん? 熊? どうした?
熊:は、は、は、箸が折れた。ちょっとこう、この「新しいワインをいれて破れた古い皮袋」があったから、それをちょっとつまもう思ってよ。力入れたんだ。そうすると、一本がポキって、いうかポロッと折れた。
八:おいおい、やらかしたな。骨董屋のオヤジもきたよ、こっちに。「お買い上げで」ってニコニコ、揉み手しながらきたよ。
熊:オヤジ、これ、この輪島、いや、「イエス様が最後の晩餐で使った箸?」もらうよ。500円で、いいんだな、500円で。
オヤジ:いえいえ、それ輪島塗ですからね、5000円ですよ。
八:なに、言ってんだよ。ここにほら500円って書いてあるじゃねぇか。
オヤジ:お客様、ご冗談をいっちゃ、こまります。どこの世界に輪島塗が500円で売ってますか。ほれ、御覧なさい、ちゃんとゼロがもう一つ、小さいですけど書いてあるでしょう。
熊:なんだ、なんだ。ゴマ粒じゃねぇのか。インチキじゃねぇか。折れたの分かって言ってんだろ。もともと折れてたのかもしれねぇし。セメダインでくっつけてたんだろ。ポキじゃなくて、ポロだったし。人の足元をみるんじゃねぇよ。
オヤジ:いえいえ、めっそうもない、お客様。私は、そちらのお手もとを見ております。