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『日ごとのさばき、日ごとの悔い改め』

前略、パウロ愛兄(34)2017.1.9

『日ごとのさばき、日ごとの悔い改め』

ローマ人への手紙2:2

「私たちは、そのようなことを行なっている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。」

前略、パウロ愛兄

パウロ兄は、神のさばきが正しいことを知っているとおっしゃいます。それは、悪に対して必ず神の裁きがあると確信しているということですね。ただし、神は必ず、私たちの心からの悔い改めも認めてくださる方であると私は信じております。詩篇7篇11節では、「神は正しい審判者、日々、怒る神」とあります。これは、神が正しい裁きをされる方であり、その罪と不信仰を決して赦されない方だということですが、「日々(口語:日ごと)、怒る神」とわざわざ「日々:日ごと」とありますように、その日の罪はその日に裁かれ、持ち越さないという解釈も成り立ちます。もしも、私たちが、その日の内に悔い改めれば、次の朝からはまた新たなスタートを切れるということではないでしょうか。パウロ兄は、このことを少し違った表現をされています。「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(エペソ4:26-27) 日の暮れるまでの一日の内に、怒りを鎮めないと、悪魔に機会を与え、罪を犯してしまい、そして裁かれるのです。ですから、その日の内に、怒りを鎮めるためにも、祈り悔い改めが必要なのだと思います。

イエス様も「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)、主の祈りの中の「私たちの日ごとの糧を毎日お与え下さい。」(11:3)のように、「日々:日ごと」は、その日その日という意味で、継続的な毎日という意味ではなく、区切りのある一日一日という意味です。ですから、日ごとに悔い改め、新しい一日を迎える準備をし、朝には新しい自分に変えていただかなければいけません。一日を振り返り、改めるところがあれば心から改め、怒りや悪感情は、その日の内に鎮め、次の朝には感情のリセットをしておかないといけません。そのために主に告白し、悔い改め、祈るしかないのです。

その日の罪に対して神の裁きがあったとしても、次の日に同じ罪による裁きを神様は望んでおられません。悔い改めは、早ければ早いほどいいのです。そして、タイムリミットはその日、寝るまでです。悔い改めましょう。

今夜の学びもありがとうございました。

草々