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『祈りがすべてを導く』

前略、パウロ愛兄(40)2017.1.22

 

『祈りがすべてを導く』

 

ローマ人への手紙2:8

「党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。」

 

前略、パウロ愛兄

不義に対する、神様の怒りと憤りが降るのは、すぐかもしれませんし、少し後かもしれません。しかし、その日は必ずきます。使徒の働きで、ルカ兄がパウロ兄の述べたことを証ししています。「神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。」(17:31) パウロ兄の言うところのここでの不義とは、①党派心を持つこと、②真理に従わないことです。

 

兄は、エペソの手紙でも、「一つ」のきずなを強調されています。「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」(4:3-6) 当時もそうですが、現代のキリスト教もいろいろな派に分かれ過ぎているのではと危惧しています。超教派的な動きもありますが、そこが人間なのでしょうね。なかなかまとまるところまではいっていないような気がします。しかし、パウロ兄、うれしいこともあります。いっしょに祈ることによって、私たちは一つになれるのです。祈りがすべての差異を解消し、私たちを主イエス・キリストのもとにひざまづかせるのです。

 

パウロ兄は、「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい」(コロサイ4:2)とおっしゃいます。祈りは神様との対話であり、神様からの知恵と力をいただく手段でもありますが、私たちを主にのみ集中させ、それゆえに一致が生まれます。このためにも、一人で祈るときも大切ですが、一同が心を合わせて祈りあうことも大切なのです。党派心は人間の肉的なものから出たものですから、それを超える手段として、祈りがあり、その祈りを、たゆみなくすることによってこそ、私たちの中にイエス様という一致がみられるのですね。

 

そして、真理とはイエス様そのものです。イエス様はおっしゃいます、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6) ですから、祈って、祈って、祈り込んでいく、特に二人以上で祈るときには、声に出して祈り、心を合わせて聞いている相手の祈りに、自分の無言の祈りを重ねていく。そのような祈りの恵みを経験すれば、どれだけ、キリスト者が、逆に言えば、祈りによってでしか一致できないかを確信させられるのです。

 

「絶えず祈りなさい」(1テサロニケ5:17)このことが、すべてを解消・解決するのだということを教えていただき感謝いたします。

 

今夜の学びもありがとうございました。

 

草々