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『患難や苦悩は全員に下るが、主に寄り頼むことで解消する』

前略、パウロ愛兄(41)2017.1.23

『患難や苦悩は全員に下るが、主に寄り頼むことで解消する』

ローマ人への手紙2:9

「患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、」

前略、パウロ愛兄

兄の「ユダヤ人をはじめギリシヤ人」と言われるのは、全人類のことを指しているのですね。次の節でも同じ表現が使われていて、9節では悪を行う者には、患難と苦悩とが下り、10節で善を行なう者には栄光と誉れと平和がその上にあるとされています。

しかし、パウロ兄、善を行なう者にも、患難と苦悩は下ります。そのことはパウロ兄もご存知です。同じローマ人の手紙にも、「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」(5:3-4) では、悪を行う者に患難と苦悩が下るとおっしゃるのでしょうか。それは、私たちキリスト者には、避け所である助け主、救い主であられるイエス様および聖霊様がついておられるからです。そして、患難から生まれる希望は、失望に終わることはありません。(5) 私たちはこのことを知っていますので、主に全き寄り頼み、患難を忍耐することができるのです。その上、イエス様は、おっしゃいます。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)この心強いお言葉によって、私たちの重荷は、もうすでに重荷ではなくなっています。

しかし、悪を行う人たちは、イエス様を知りません。彼らは、拠り所となる方を知りません。彼らの拠り所は自分自身です。そして、そこには高ぶりと過信があり、箴言に次のような記述があります。「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」(16:18)と言われるように、高ぶりや過信には、結局、滅びしかありません。しかし、根っからの善人もいませんが、根っからの悪人もいません。パウロ兄も「私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪をおこなっている。」(ローマ7:19)と証しています。人は、兄のように、それぞれに善を行ない、悪を行ってしまいがちになります。ですから、イエス様を知ることによってのみ、滅びから救い出されるのです。パウロ兄は、ローマ書8章冒頭で、こうおっしゃっておられます。「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪を定められることは決してありません。」イエス様しか、私たちが救われる道はありません。

今夜の学びもありがとうございました。

草々