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『善をもって悪に勝つ』

前略、パウロ愛兄(42)2017.1.24

『善をもって悪に勝つ』

ローマ人への手紙2:10

「栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。」

前略、パウロ愛兄

パウロ兄は9節では、悪を、10節では善を行なう者が受ける報いが書かれてあります。善を行なう者には、栄光と誉れと平和が与えられるとあります。わたしは、天における栄光と誉れとがとういうものなのか分かりませんが、平安はぜひ頂きたいと思います。ギデオンは、祭壇を築き、そこを「主は平安」と名づけたように(士師記6:24)、主の根本は愛であり平安であります。愛と平安は一つのものです。

伝道者の書に、「この地上には、善を行ない、悪を犯さない正しい人はひとりもいない。」(7:20)とありますように、人間は善も行ないますに、悪も行います。私たちはどちらか一方であるはずもなく、そして、善行が悪行の罪を帳消しにするのではありません。悪による罪は、イエス・キリストの十字架によって贖われたのです。そして、兄の言葉を借りれば、「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰による」(ローマ3:28)のです。ですから、イエス・キリストの十字架の贖いを信じる信仰によって私たちは救われるのです。そして、信仰によって救われたと同時に、お下りくださった内住の聖霊によって、大小の試練を通して、私たちは罪を犯しにくい性質へと変えられるのです。そして、その聖霊様こそが平安なのです。パウロ兄の祈りの中にも、そのことが示唆されています。「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」

善の行ないも自分の力ではできません。パウロ兄もそのことはよくご存じですね。「私は、自分でしあいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行っています。」(ローマ7:19)と告白しておられます。そのように私たちは弱い人間です。ですからこそ、神に全てをあずけ、寄り頼む必要があります。それこそ、兄のおっしゃった「私が弱いときにこそ、私は強い」(2コリント12:10b)という真理なのですね。兄の「善をもって悪に勝つ」(ローマ12:21)ということと同じことなのでしょうね。

今夜の学びもありがとうございました。

草々