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『見えるところによらない』

前略、パウロ愛兄(59)2017.3.4

 

『見えるところによらない』

 

ローマ人への手紙2:28

「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。」

 

前略、パウロ愛兄

 

兄は、ユダヤ人キリスト者がかたくなに守ろうとする肉体的割礼が、主にあっての本当の割礼ではないということを口を酸っぱくしておっしゃっておられますね。ルカ兄も使徒の働きの中で、ペテロ兄が割礼のない者と食事を一緒にしていると非難されてることを報告しています。「そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、『あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。』と言った。」(使徒11:2-3)キリスト者の中で、ユダヤ人と異邦人との対立は、この割礼が象徴していたのですね。

 

そして、このことが最初の重要人物によるクリスチャン会議、エルサレム会議が開かれる原因となります。パリサイ派からクリスチャンとなった人々は、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきだ」と主張しましたが、ヤコブが最後に、「偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように」とだけと決め、会議は終わりました。身体的割礼は問わないこととなりました。(使徒15章)

 

このエルサレム会議の決定内容は、異邦人クリスチャンにとっては、あまり関係のないもので、異邦人に福音が伝わることを妨げるものではありませんでした。その後すぐにパウロ兄はこの報告も兼ねて、第二回目の宣教に旅立っていきます。

 

エルサレム会議の後に、兄はローマ人への手紙を書くことになるわけですが、依然として、割礼信仰、割礼対立が根強いことを物語っています。ここでも人間の弱さ(目に見える印を求める危険性)が露わにされています。兄は、2コリントで次のように言います、「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的である、見えないものはいつまでも続くからです。」(4:18)

 

私たちも、目に見えるものではなく、見えないものにこそ目を留め、主を仰ぎ賛美しつつ、歩ませていただきましょう。

 

パウロ兄、今夜の学びもありがとうございました。感謝いたします。

 

草々