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『心の割礼とは』

前略、パウロ愛兄(60)2017.3.6

 

『心の割礼とは』

 

ローマ人への手紙2:29

「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」

 

前略、パウロ愛兄

兄は、「心の割礼」という言葉を出されていますが、旧約聖書に精通しているパリサイ人や律法学者には、この「心の割礼こそ割礼」という表現は、こたえたのではないでしょうか。旧約聖書にも「心の割礼」が強調されているからです。学びのために、少し列記してみます。(口語訳で)

 

●申命記10:16

それゆえ、あなたがたは心に割礼をおこない、もはや強情であってはならない。

●申命記30:6

そしてあなたの神、主はあなたの心とあなたの子孫の心に割礼を施し、あなたをして、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主を愛させ、こうしてあなたに命を得させられるであろう。

●エレミヤ書4:4

ユダの人々とエルサレムに住む人々よ、あなたがたは自ら割礼を行って、主に属するものとなり、自分の心の前の皮を取り去れ。さもないと、あなたがたの悪しき行いのために、わたしの怒りが火のように発して燃え、これを消す者はない。

●エレミヤ書9:25-26

主は言われる、「見よ、このような日が来る。その日には、割礼をうけても、心に割礼をうけていないすべての人をわたしは罰する。、、、これらの国びとはみな割礼をうけていない者であり、イスラエルの全家もみな心に割礼をうけていない者である。」

●エゼキエル書44:9

それゆえ、主なる神は、こう言われる、イスラエルの人々のうちにいるすべての異邦人のうち、心と肉とに割礼を受けないすべての者は、わが聖所にはいってはならない。

 

ちなみに、新約聖書では、次のようにあります。

◎使徒行伝7:51

ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。

 

この「心の割礼」のない者は、強情な人のことです。詩篇では、「心の割礼」のことを、砕けた心とか悔いた心という表現を使われています。「主は心の砕けた物に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」(34:18)、「神のうけられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。」(51:17) また、イエス様は「こころの貧しい」という表現を使われています。「心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人の者だからです。」(マタイ5:3)また「自らを低くする者」とも表現されています。(ルカ18:14)

 

心の割礼そこが、神がお喜びになるものであることがよく分かりました。肉体的な割礼は一度限りですが、心の割礼が、悔い改めることでありますから、何度でも、高ぶりを覚える時に、主の前にひざまずき、悔い改め、自身を新しくしていただきましょう。

 

パウロ兄、今夜の学びもありがとうございました。感謝いたします。

 

草々