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『選ばれし者:この世の取るに足らない者:ダメ人間の頭』

前略、パウロ愛兄(61)2017.3.7

 

『選ばれし者:この世の取るに足らない者:ダメ人間の頭』

 

ローマ人への手紙3:1

「では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。」

 

前略、パウロ愛兄

 

兄は、ユダヤ人のすぐれたところを、この後に述べられています。確かにユダヤ人は神様から特別に選ばれた民族であります。神はアブラムに現われ、名前をアブラム「高貴なる父」からアブラハム「多くの国民の父」へと改名を指示されたとき、主は、「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。」(創世記17:7) そして、主はその契約の証しとして割礼を受けることを指示されました。(10) 

 

ユダヤ人は、その意味で神に初めに選ばれた民族であり、神にとっても特別な存在です。しかし、神はあえて、イエス様を通して、次のことを述べられました、「あとの者が先になり、先の者があとになる」(マタイ20:16)。これは、とどのつまり、先にいた旧約時代の義人(おもにユダヤ人)より、後になった新約時代のイエス様によって救われた者(おもに異邦人:クリスチャン)が、先に天に上げられることを示しています。

 

確かに、ユダヤ人は選ばれた民族ですが、クリスチャンも選ばたれ個人なのです。しかし、選ばれたからといって、他の人より優れている訳ではありません。むしろ逆です。パウロは、このことを鮮明に説いています。「神は、知恵のある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足らない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」(1コリント1:27-29)

 

クリスチャンは、自分を誇ってはいけません。自分を偉いと思ってはいけません。なぜなら、この世の取るに足らない者、無に等しい者、虫けらであり、塵に等しい者です。そんな私たちを神様は憐れみ愛おしく思われたのです。私たちは神様の憐れみの中で生かされている存在である小さき者であることを忘れてはいけません。私たちは、このことを本当に忘れやすい者です。特に教会の中心的役割(立場ではなく役割の一つなのです)の人たちは、この葛藤から逃げてはいけないと自戒を含めて思うのです。ゆえに、パウロは罪人の頭であると告白するのです。「誇る者は主にあって誇れ」と言われるとおりです。いくら褒められたとしても、また褒められるようなことをしたとしても、イエス様無しでは、所詮ダメダメ人間であった、そして今でのそうであることを自覚し、主の前にへりくだることを覚えましょう。

 

パウロ兄、今夜の学びもありがとうございました。感謝いたします。

 

草々