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『イエスを信じる信仰告白。』

前略、パウロ愛兄(66)2017.3.15

 

『イエスを信じる信仰告白。』

 

ローマ人への手紙3:6

「絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。」

 

前略、パウロ愛兄

 

兄の「絶対にそんなことはありません」という完全否定は、5節の「怒りを下す神は不正なのでしょうか」という問いに対してのものです。神が不正であるとするならば、世を裁く「義」が揺らぐこととなり、神自身が二重の基準を設けていることになります。そうなると「義」である神は裁けなくなるのです。

 

神の義はゆるぎません。それが、神が神たるゆえんです。神は裁かれる方ですが、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためであり」(ヨハネ3:16)、その御子イエスが送られてきたのは、「世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため」(17)で、「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている(18)」のです。

 

ヨハネ兄は、「信じない者は、、、すでに裁かれている」と言われます。真にその通りであります。神は裁かれるのですが、御子イエスを地上に送り込んで、イエスを信じる者は、救われ、永遠のいのちを得る確約ができたのです。つまり、裁かれるはずの者が、神様の愛によって、イエスの登場という救済処置がとられたのです。もちろん、イエス様は神様から全権委任されていますので、天上において、命の書の前で裁くこともするのです。全員が裁かれる運命にありましたが、イエス様を信じる信仰によって、裁きから免れさせていただくのです。

 

私たちは、この救われる確約を、イエス様を知ることによってのみ、取りつけることができるのです。大いに主を喜び、大いに主を味わい、御言葉(聖書)をよく読み、よく祈る(神様との語らいをする)者のさせていただきましょう。



パウロ兄、今夜の学びもありがとうございました。感謝いたします。

 

草々