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『イエス・キリストから目を離さないで』

前略、パウロ愛兄(74)2017.4.28

 

『イエス・キリストから目を離さないで』

 

ローマ人への手紙3:14(新改訳)

「『彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。』」

 

前略、パウロ愛兄

 

この聖句は詩篇10篇7節にある「彼の口は、のろいと欺きとしひたげに満ち、彼の舌の裏には害毒と悪意がある。」の引用でしょうか。ヤコブ兄は、口は賛美もすれば、のろいも出てくると言われます。「賛美とのろいが同じ口から出てくるのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません」(ヤコブ3:10)と注意を呼びかけています。また、「舌は火であり、不義の世界です。」(3:6)とも忠告しています。私たちは人のことは言えません。賛美をする口で、祈りをする口で、のろったり、愚痴を言ったり、人をけなしたりするのは、偽善者と指さされても仕方ありません。私たちは自力では、本当に口や舌を制することはできないのです。では、どうすればよいのでしょうか。

 

詩篇は、ある解決のヒントを与えてくれています。「私の口には一日中、あなたの賛美と、あなたの栄光が満ちています。」(71:8)私たちは、賛美と祈りによって、悪いことを言う口をさえぎり、一杯にすればいいのです。しかし、言うがやすし行うはかたしです。そして、この詩篇の聖句は、実は魂の状態を述べているのです。この詩篇の聖句をうわべだけ理解して、賛美や祈りをいっぱいささげたところで、それは正しい事をしているように見えますが、イエス様に寄り頼む姿ではありません。やはり「自分」がまだ死んでいないのです。自分でどうにかしようとしてしまうのです。この詩篇の聖句が言わんとしていることは、実は聖霊で満たされることにおける結果なのです。ですから、「あなたの栄光が満ちている」という表現は、内住の聖霊で満たされる、完全に寄り頼むことができている霊的状態を言っています。

 

この聖霊で満たされるという感覚は、ヨハネ兄は、「交わり」という表現を使っています。「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」 また、パウロ兄は、「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(2テモテ2:8)とおっしゃいます。また、ヤコブ兄が、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヤコブ12:2)と勧めるのも、イエス・キリストから目を離さないことが、聖霊の満たしにつながると言われるのです。

 

ヨハネ兄のイエス様との交わり、パウロ兄のイエス様への思い、ヤコブ兄のイエス様から目を離さないこと、すべてが、イエス様を通して成されます。聖霊の満たしが恒久的に、かつ主の平安の内にありますのも、イエス様によって、そして御言によって成されるのです。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで、主を仰ぎ見つつ、主の道を歩ませていただきましょう。

 

パウロ兄、今夜の学びもありがとうございます。感謝いたします。

 

草々