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『油断をしない信仰』

前略、パウロ愛兄(75)2017.5.14

 

『油断をしない信仰』

 

ローマ人への手紙3:15(新改訳)

「『彼らの足は血を流すのに速く、』」

 

前略、パウロ愛兄

 

この聖句はイザヤ59章7節にある「彼らの足は悪に走り、罪のない者の血を流すのに速い。」の引用ですね。おそらく、「罪のない者の血を流す」というところが省略しすぎてしまったのでしょうか。「罪のない者の血を流す」とは、民や預言者への迫害のことでしょうね。迫害されるものの逃げるよりも早く、捕まえ迫害すると言われるのでしょう。つまり、「彼ら(悪)の思いは不義の思い。破壊と破滅が彼らの大路(常である状態)にある」(イザヤ59:7)のです。

 

この聖句は油断してはいけないということを示唆しているように思います。血は命であり、「血を流す」とは、すなわち「命が奪い去られる、死ぬ」ということです。それだけ、悪は正しい人を迫害し、逃げる人を追いかけ捕まえて、死に至らせても平気なのです。この死は肉体的な死もそうですが、霊的な死も意味しています。

 

箴言では、「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れでるからである。」(4:23)とあり、心に命の泉があり、これを常に、油断なく守らなくてはいけません。そのことをパウロ兄は、イザヤ書からの自由な引用によって言わんとしているのです。

 

エリコの崩落・落城を思い出してください。ヨシュアは、神のお告げとして、「あなたがたは契約の箱をかき、七人の祭司たちは雄羊の角のラッパ七本を携えて、主の箱に先立たなければならない」(6:6)と祭司たちに命じました。神がヨシュアの軍を率いて、絶えずラッパを吹きならす、絶えず主からの守りを確信させることが、実際の戦いよりも大切なのですね。

 

絶えず主からの守りを期待し、目を覚まして、主をあがめ、礼拝することです。油断をすることが、直接、死につながるのです。

 

どうか、私たちを常に誘惑から遠ざけ、何をどう、どのように、求めればよいかを主にたずねものてるようにしましょう。

 

パウロ兄、今夜の学びもありがとうございます。感謝いたします。

 

草々