· 

メッセージ主題:『選ばれたマリヤと彼女の従順』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年6月11日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、鎮まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: ワーシップソング “God Is So Good”

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌89「神は独り子を」

聖書拝読:ルカによる福音書1章26節~38節(新改訳聖書)

中心聖句:「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』」(1:38)

メッセージ主題:『選ばれたマリヤと彼女の従順』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

今朝から、通年の主日親子礼拝主題を「イエス・キリストの生涯」とし、イエス様について学びながら、イエス様からのメッセージをいただきます。今朝は、「選ばれたマリヤと彼女の従順」と題しまして、マリヤの神様への従順なる姿勢を学ばせていただき、主の御名をほめたたえる時間を共有したいと思います。

 

祈ります。(祈り)

先ほどの聖書拝読で、御使い、つまり天使のガブリエルは家に入って来るやいなや、マリヤに向かって「おめでとう、恵まれた方、主があなたとともにおられます。」と告げますが、マリヤにはなんのことかさっぱり分からず、ガブリエルを恐れてしまいます。そこで、ガブリエルは、「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」とマリヤに説明をします。マリヤはここで、もっと恐れてしまします。マリヤは処女であり、男の人を知りません。

 

私は、ここでアブラハムの妻サラのことを思い出します。イエス様の登場が、今から約2000年前、そして、イスラエルの信仰の父と呼ばれたアブラハムはそれより2000年前、つまり今から4000年前の人です。アブラハムは100歳、アブラハムの妻サラは90歳の時に、初めての子どもイサクを産みます。その前に主はアブラハムに臨み、そして妻サラにも臨み、子どもが生まれることを告げます。その時、サラは心の中で笑ってしまいます。人間的に考えて90歳の老女に子どもが生まれることは、普通ではありえないことです。ですから、心の中で笑ってしまいました。(創世記17章)

 

一方、処女マリヤは、ガブリエルの知らせを聞き、怖がってしまいました。無理もありません。今朝の週報に載っていますマンガ聖書物語のマンガでは、マリヤは25歳ぐらいに見えるかもしれませんが、実際は15・6歳であっただろうと言われています。中学校3年生、高校1年生の女子と同じ年令です。そのぐらいの女の子が、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」と言われるのですから、恐れおののいてしまうのも当然です。

 

しかし、マリヤは信心深い女子でした。ガブリエルが、「神にとって、不可能なことは一つもありません。」という言葉によって、マリヤは我に返ります。マリヤは、人々から伝え聞いています、「最初の人間・アダムは土から造られ、神が息を吹き込まれて命あるものとなる。」ということや、「ノアの洪水は40日40夜続き、ノアと彼の家族とノアの箱舟に入った動物たち以外は、全滅する」ということや、「モーセのエジプトからの海がわかれての脱出」の話を聞き、それらの出来事をことごとく信じていました。ですから、聖霊が宿って身ごもり、子どもを産むことも不可能ではないと悟るのです。

 

私たちはどうでしょうか。奇跡を信じるでしょうか。私たちは偶然、生まれたのでしょうか。それとも何らかの意思が働いて生まれてきたのでしょうか。私たちが生まれたり、この美しい星地球が存在するのも、天文学的な数字の並ぶ確率の偶然であるとしたら、そこかしこにすごい確率での偶然が、ごろごろしていることになります。そんなにたくさんの偶然が集まっていることこそ、不思議ではありませんか。私は、これは偶然ではなく、神様の必然だったと思っています。私が生まれたのも、皆さんが生まれたのも、そして、今、ここに私たちが集っているのも、神様のご計画、御心なのだと、私は信じています。ですから、私たちが奇跡と呼ぶものさえも、神様にとってはご計画の一部にしか過ぎないのです。ガブリエルが言うように、神にとって、不可能なことは一つもないのです。

 

さて、16歳ぐらいの若いマリヤは、そのガブリエルの言葉を聞いて、主に対して従順になり、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と告白するのです。「はしため」とは女召使いであり奴隷のことです。奴隷とは、主人の所有物であります。ですから、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と、つまり「ご自由になさってください。」と、主のご計画を受け入れ、自分自身を主にゆだねたのです。

 

これは、相当の覚悟です。現代のように「できちゃった婚」が認められている時代ではありません。婚約は破棄、そして罪深い女のレッテルを貼られ、家族や親族からも白い眼でみられ、下手をすると石打の刑つまり死刑に処せられるかも知れません。しかし、そのすべての不安を押しのけて、神様の言葉に従うだけの信心を、マリヤは持っていました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と伝え、主の御前に、へりくだったのです。

 

マリヤは、主に選ばれ祝福された人でしたが、今このメッセージをお聞きの皆さんも、主によって選ばれている人なのです。主によって愛されている人なのです。なぜなら、主の目からは、皆さんはお一人お一人、尊く、特別な存在だからです。皆さんは、主によって愛されるべき方であること、主は常に、お一人お一人を覚え、見守っておられることを忘れないでいただきたいのです。あなたが生まれたのは、偶然ではなく、神様の愛のもとに、ご計画通りに、生まれたのです。

 

聖書は、マリヤのように、神に対して、恐れ、主の御前にへりくだる者、自分自身をすべて主にゆだねる者、そういう人だけに祝福があることを教えています。ここで言う祝福とは、永遠の命のことです。聖霊によって、処女マリヤから産まれてくるイエス様を信じる者だけが、永遠の命に預かることができると聖書には書いてあります。これから毎週、イエス様がどのように私たちを愛して下さっているかを見させていただきましょう。そして、共に永遠の命に預かる者とさせていただけることを願っています。

 

お祈りいたします。

愛する天のお父さま、今朝の導きと学びを感謝いたします。私たちがこの世に生まれたのは偶然ではなく、神様のご計画のもと、神様の愛によって生まれてきたこと、そして私たちは、神様に選ばれ、愛された存在であり、神様に導かれ、そしてやがては永遠の命を受けるものとされる、そのためには、主なるイエス様を受け入れ従うことであることを、マリヤの従順に見させていただき、感謝いたします。どうか、これからの一つ一つの学びにおいて、主が常に導いてくださいますように、宜しくお願いいたします。今日の礼拝を感謝いたします。主イエス・キリスト様の御名により、このお祈りをおささげ致します。アーメン。

 

賛美: 今月ワーシップソング・新聖歌332「主はまことのぶどうの木です」

「主の祈り」をもって、今朝の礼拝を終わります。(新聖歌p826)