· 

メッセージ主題:『ヨセフの苦悩と服従』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年6月18日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、鎮まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: ワーシップソング “Father, I Adore You”

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌27「来る朝ごとに」

 

聖書拝読:マタイによる福音書1章18節~25節(新改訳聖書)

中心聖句:「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(1:21)

 

メッセージ主題:『ヨセフの苦悩と服従』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、天使ガブリエルがマリヤに臨み、マリヤが聖霊によって子を宿すことによるマリヤの従順を見ました。今朝は、マリヤの婚約者ヨセフの苦悩と服従について、主からのメッセージをたまわります。

 

お祈りします。(祈り)

 

今朝の聖書拝読の箇所の19節では、「夫ヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密にさらせようと決めた」とあります。私はこの箇所を読むたびに、ヨセフの苦悩は幾ばくかと、共感します。彼が正しい人であるがゆえに、悩みも多かったのではないでしょうか。初め、マリヤから打ち明けられた時には、聖霊によって身ごもったとは信じられなかったでしょう。しかし、ヨセフは婚約者マリヤを愛していただけではなく、マリヤの神への信仰も尊敬していたでしょうから、悶々とした日々を送ったに違いありません。ちょうど、今日のマンガ聖書物語に描かれているヨセフそのものであったでしょう。

 

結婚間際になって、妊娠が分かり、その妊娠が結婚相手ではなく、しかも真顔で神様が子を宿したと告げられたら、皆さんならどうされますか。男性であれば、その当事者かその親、女性であれば、その親だとしたら、どう反応されますか。私なら、自分の娘がマリアと同じ状況であれば、「だれの子だ」と問い詰めるだろうし、結婚相手(30年以上若かったらの話ですが)であれば、恐らく別れ話をしているかも知れません。

 

ヨセフも分かれる決心をしました。しかし、その時、主の御使いが夢に現われ、「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」と告げられます。これだけであれば、「ああ、変な夢をみた。最近悩んでいるからなぁ」と思って終わるかもしれませんが、ヨセフの夢はその後があります。「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」話が具体的になってきました。名前をイエスとつけなさいと言われるのです。イエスとは、「主は救い」という意味ですが、特別な名前ではなく、一般的な名前であります。しかし、「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です」と言われることで、イエスという一般的な漠然としてた「主は救い」という名に、もっと具体的な「イスラエルの民をその罪から救ってくださるお方」というイメージが、御使いによって、付け足されるのです。

 

ヨセフはこの夢の中のみ告げによって、別れることをとどまるどころか、マリヤのおなかの中にいる子を、まだ半信半疑ではあったとしても、救い主として期待しはじめるのです。それは、彼の夢の御使いが「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(23)と、イザヤ7章14節を引用したことに起因するかもしれません。イザヤ7章14節を読んでみましょう。「そえゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を、『インマヌエル』と名づける。」

 

ヨセフは本当に信心深く、正しい人でしたので、この夢の出来事を信じ、マリヤと同様、神様に服従の姿勢を見せるのです。マリヤとヨセフの素晴らしいところは、この神様への服従の姿勢にあります。マリヤは先週にも学びましたが、「あなたのおことばどおりにこの身になりますように」という言葉に表されるように、自分自身を主にあずける姿勢を見させていただきました。ヨセフの信仰は、マリヤ以上なのかも知れません。マリヤは処女にもかかわらず妊娠と言う実感が伴いますが、ヨセフはそれを丸ごと、聞いただけで信じなければなりません。夢を見ただけで、マリヤの言うことをすべて受け入れたのです。信心深いヨセフにとっては、たかが夢、されど夢なのです。

 

私も詳しいことは申せませんが、今ここにこのように御言を取り次ぐ役目を仰せつかったことが確信できましたのも、夢でありました。私の場合は、御使いはでてきませんでしたが、考えもしなかったことが、夢として示されました。信じ期待する者には、されど夢なのです。

 

ヨセフもマリヤの告白と夢にでてきた御使いの言葉を聞いただけで、十分確信を得たのです。今の世では、DNA鑑定をと大騒ぎをするかもしれませんが、今の世でも、神を信じ、神に期待する者には、あの夢で十分だったのです、主を受け入れ、主に従うことを決意するには。

 

ヨセフは、この後、聖書中にはほんの少ししか登場しません。イエス様が宣教しはじめる時には、家族といえば、マリヤとその兄弟しか登場しません。ヨセフは、その時にはすでに死んでいたとされています。そして、マンガ聖書物語では、ヨセフはマリヤと同年代のように描かれていますが、実は、年の差婚ではなかったかとも推測されています。

 

まあ、それはともかくとして、ヨセフの記述はこの時がハイライトなのです。神に対するヨセフのもっとも大きな役割は、マリヤの言うことを信じ、夢の中での御使いの言葉を信じ、そして古からの先祖の神を信じ、自分の思いではなく主の思いを優先させ、生まれる子どもに告げられた通りに「イエス」と名づけたことです。名付けは家長の責任でした。ですから、マリヤではなくヨセフが「イエス」と名づけなければいけなかったのです。

 

そして、ヨセフはダビデの子孫でありました。イザヤ書には救い主の出現が預言されています。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝がでて実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」(イザヤ11:1-2) エッサイとはダビデの父親のことでありますから、結果的にヨセフはエッサイの子孫でもあったのです。マタイによる福音書では、第1章でそのことを強調しています。

 

こう見ていきますと、マリヤ同様、ヨセフも真に神様から選ばれた人でした。神に服従することのできる、すなおな心の持ち主であり、当然、信心深く、かつ自分を捨てることのできる、自分のすべてを主にゆだねることのできる人でした。

 

さて、私たちはどうでしょうか。あなたは、主に選ばれていると思いますか。イエス様はおっしゃいます、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ15:16) いま、ここにいらっしゃる人たちは、選ばれてこの場所に集っています。わたしたちはこの場所に来たいから集ってきているのですが、その「来たい」気持ちを起こさせてくださっているのは実は、神様であり主イエス・キリスト様なのです。

 

そこで、私たちは考えないといけません。ただ単に「選ばれた」と喜んでばかりではいけないのです。「選ばれた」ということは、「任命された」のです。私たちは、いろいろな役割をあたえられています、また今後与えられるでしょう。ですが、その任命も基礎が必要なのです。イエス様は、皆さんに、基礎的な資質を求めておられます。いえ、基礎的な資質を育める人たちだけが、イエス様に選ばれていると申し上げた方がいいのかもしれません。それは、マリヤとヨセフがみせた、神に対する服従、すべてを神にゆだね、自分の思いではなく、神様の思いを優先させることです。しかし、これも自分の力でできるものではありません。神様がお選びになったということは、すべてを神様が導いてくださるのです。その導きは、私たちの内に住まわれる聖霊様によって成されます。

 

私たちがイエス様を救い主であると信じる決心をすれば、イエス様が聖霊を私たちの内にお送り下さり、その聖霊によってすべてを導いてくださるのです。どうか、聖霊様の働きを邪魔しないよう、私たちは主に寄り頼み、お任せする姿勢をずっと保つようにさせていただきましょう。

 

最後にもう一度お伝えしたいと思います。あなたは、イエス様に選ばれています。愛されています。そして、それは主イエス様に服従し、全てをお任せするという基礎を、イエス様はあなたに見ているからです。期待しているからです。そして、あなたは任命されるのです。ヨセフがイエス様の名付け親となり、預言どおりエッサイの根株であることと同じように、あなたにも尊い主の愛の役割が与えられているのです。どうか、その主の期待に応えるためにも、自分のすべてを主にお任せするという信仰の基礎を聖霊様の働きによって築き上げていただきたいのです。

 

お祈りいたしましょう。

愛する天のお父さま、今朝の導きと学びを感謝いたします。私たちは、今朝、ヨセフを通して、信仰の基礎である、「全く主にゆだねる」ことを学びました。それは、私たちが主に選ばれていることの責任でもあり、任命されることへの礎でもあります。どうか、私たちにもう一度、主の御心を分からせてください。日々の祈りの中において、主の静寂を常に感じ、主との交わりができますように、お導きください。今日の礼拝を感謝いたします。主イエス・キリスト様の御名により、このお祈りをおささげ致します。アーメン。

 

賛美: 今月ワーシップソング・新聖歌332「主はまことのぶどうの木です」

 

「主の祈り」をもって、今朝の礼拝を終わります。(新聖歌p826)