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メッセージ主題:『主の守り』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年7月16日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、鎮まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: ワーシップソング “God Is So Good”

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌209「慈しみ深き」

 

聖書拝読:マタイによる福音書2章1節~23節(新改訳聖書)

中心聖句:「彼ら(東方の博士たち)が帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。『立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を探し出して殺そうとしています。」(2:13)

 

メッセージ主題:『主の守り』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、救い主イエス様のご降誕の目的と主の謙遜を教えていただきました。今朝は、神のご計画として、イエス様が守られたことを通して、私たちも常に主によって守られていることを考えて見たいと思います。

 

まず、お祈りします。(祈り)

 

クリスマスの劇で、よく登場する、三人の東方の博士たちは、救い主の誕生をお祝いするために、星に誘導されながら、ヨセフとマリヤのところまでたどり着きました。そして、幼子を見て、ひれ伏して拝み、宝の箱をあけて、黄金(金)、乳香(高価な輸入品の香料)、没薬(高価な輸入品の香料)を贈り物としました。

 

しかし、その一方で、ユダヤ統治者であるヘロデは、「ユダヤの王の誕生」と聞いて、居場所を突き止め、抹殺しようと企んだのです。事実、ヘロデは、その幼子の居場所を特定できず、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の男の子を皆殺しにしてしまいました。

 

ある人は言いました。救い主が生まれたので、何百人、何千人の男の子が犠牲になった。そこまでして救い主の誕生は必要なのかと。何百人、何千人もの男の子が犠牲になったことは、誠に残念なことです。しかし、このようにも考えられませんでしょうか。神はその赤子の大量虐殺をさせてまでも、全人類の救い主を誕生させ、人類と和解したかったのです。また、虐殺された男の子たちは、死をむかえてどこに送られるのでしょうか、地獄でしょうか、天国でしょうか。私はイエス様のために犠牲となった幼子たちは全員、天国にいると思っています。

 

神様は、何百人、何千人という幼子の命が天に引き上げられたとしても、この世での神様の目的をもった一人の幼子を守ったのです。私たちすべての人類の罪を帳消しにするための犠牲の献げものであり、その良き知らせ、私たちは救われ永遠の命にあずかることのできるという知らせをこの世に伝えるメッセンジャーとしての、幼いイエス様を守ったのです。残虐なヘロデが死ぬまでエジプトにかくまったのです。

 

神様は、幼いイエス様を守られたように、私たちも守って下さいます。しかし、だれでもかれでも守られるわけではありません。神様が思われる人を守られるのです。主が用いられる方を守られるのです。ダビデ王は、詩篇の中で、このように述べています。「神よ、私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。私は、主に申し上げました。『あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。』」(16:1-2) 神様が守られるのは、神様に身を避ける、つまり神様に寄り頼み、信頼して身を寄せる人です。そして、神様の事を、「私の主、王さま。神様に従うことで私は守られ幸せです」と心から宣言する人です。

 

イエス様ご自身も、十字架の刑に処せられる直前のオリーブ山のゲッセマネというところでの祈りで、「わが父よ。できますならば、この杯(十字架での死)をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26:39)と、父なる神様に全く自分を無にして従う姿勢を見せています。

 

イエス様が誕生されたとき、多くの幼子が犠牲となりました。しかし、イエス様が犠牲となられるとき、全人類が救われるための条件が与えられたのです。それは、イエス様を救い主として信じるときに、聖霊があなたに降り、その聖霊によって霊魂が守られ、永遠の命にあずかれるようになるのです。あの犠牲になった幼子の霊魂は、イエス様によって守られたのです。そして、今、このメッセージを聴いている皆さんの霊魂も守られるのです。肉体の死が霊魂の死を導くことはありませんが、霊魂の死は肉体の死につながります。肉は死んでも霊は生きるのです。

 

皆さん、霊の死から守られましょう。そのためには、イエス様を自分の救い主として信じ受け入れ、そして、御自身の心の王さまとして君臨していただきましょう。王であったダビデの詩篇の言葉をもう一度思い出してみてください。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」この言葉に尽きるのです。イエス様を主と、王とあがめ、イエス様を信頼し依り頼み、そして従うのです。これしか、私たちの幸いはありません。ヨセフとマリヤは、幼子イエス様を自らの心として、エジプトに避難し、守ったのです。主の使いの言う通りにして、主に従ったのです。彼らの幸いは、主に従って、自分たちの心であるイエス様を守った、結果、自分たちの心も守られたのです。イエス様を、自らの主として、王として受け入れ、主の御心に従いましょう。

 

お祈りをいたします。

愛する天のお父さま、今朝のお導きを感謝いたします。イエス様を受け入れ、聖書のみ言葉を通して、イエス様に慕い従うことのみが、救いであり守りであることを今日は学ばせていただきました。どうか、私たちの内にお住まい下さっています聖霊様が私たちの言動を導いて下さいますように。また、聖書のみ言葉を通して、私たちへの教えが理解でき従うことができますように。

今朝の主からのメッセージを感謝いたします。主イエス・キリスト様の御名により、このお祈りをおささげ致します。アーメン。

賛美: 今月ワーシップソング・新聖歌332「主はまことのぶどうの木です」

「主の祈り」をもって、今朝の礼拝を終わります。(新聖歌p826)