· 

メッセージ主題:『自分の父の家』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年7月30日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、鎮まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: ワーシップソング “Jesus Loves Me”

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌135「御霊は天より」

 

聖書拝読:ルカによる福音書2章41節~52節(新改訳聖書)

中心聖句:「するとイエスは両親に言われた。『どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存知なかったのですか。』」(2:49)

 

メッセージ主題:『自分の父の家』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先々週は、主の守りと題して、イエス様がお生まれになったのは、私たちを霊の死からまもるためであることを学びました。今朝は、12歳へと成長したイエス様が神殿を自分の父の家と呼ばれたことを考えてみたいと思います。

 

まず、お祈りします。(祈り)

 

イエス様の両親は、過越の祭りに毎年エルサレムにナザレから行かれていました。家族だけではなく、親族や隣人もいっしょでしたでしょう。都会へいく小旅行という感じでもあるのかもしれません。マンガ聖書物語も楽しい雰囲気を描いています。まあ、団体旅行であると安全面からも安心できることもあったでしょう。

 

しかし、その団体旅行でのエルサレムからの帰り道、イエス様の両親はイエス様がその団体にいるものだと思い込み、旅を楽しんでいました。毎年のことであり、長い列を作っての旅でしたし、気心の知れた仲間同士の旅行ということもあって、丸一日イエス様がいないことに気がつきませんでした。

 

イエス様がいないことに気がついた父ヨセフと母マリヤは、あわてて逆戻りをしながら、イエス様を捜します。そして三日後、ようやくエルサレムの宮(神殿)でイエス様を発見します。この三日間彼らは心配で心配でたまらなかったことでしょう。私なら、わが子を見るなり、心配し過ぎて怒っていたかもしれませんし、子どもを抱きよせていたかもしれません。しかし、そんな親心とは裏腹に、イエス様は、宮で教師たち(今で言う牧師さんたちでしょうか)の真ん中にすわって、話を聴いたり質問したりしていて、親とはぐれたことなどひとつも気にしていませんでした。

 

母マリヤがイエス様に対して述べた言葉は、人の親ならよく理解できると思います。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」 子どもが泣きじゃくって親を捜しているなら、「ごめんね、ひとりにして」と言って抱きしめていたでしょうが、12歳の小学校6年生ぐらいの男の子が、大人に混じって、いえ中心となって話をしているところを見せられれば、マリヤの怒りも当たり前です。

 

しかし、そんな両親の気持ちを知ってか知らずか、イエス様は「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存知なかったのですか。」とおっしゃられたのです。これには、ヨセフもマリヤも驚きました。「ごめんなさい」という言葉を期待したにも関わらず、「わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存知なかったのですか。」と切り返されたのですから。

 

今朝のタイトルにもなっています、「自分の父の家」という言葉をイエス様は発しておられます。神殿・神の宮を指して、「自分の父の家」と言われたのです。これは、当時のユダヤ人からしては考えられない発言でした。神殿を指して「自分の父の家」、つまり、天の神を父と呼ぶのです。神と自分を等しい者として扱うことになります。これはユダヤ人たちにとって、もっとも神を恐れない行為として、最も厳しい罪に相対するのです。事実、イエス様の十字架にかけられる罪状は、イエス様が捕らえられ、「あなた神の子キリストですか」と問われたときに「あなたの言うとおりです」と答えたことです。自分を神の子キリストだと認めたことなのです。

 

ですから、ヨセフもマリヤもイエス様の平然とした態度だけではなく、「自分の父の家」と神の宮を指して言われたとき、恐らくわが耳を疑っただけではなく、他の人に聞かれないかと心配したに違いないからです。いくら12歳の子どもの言うことであっても、祭司たちに聞かれたらどんな咎めがくるか分からないからです。

 

イエス様は、30歳になり、福音を宣べ伝える時に、「天の父」という言葉を繰り返しおつかいになりました。そして、私たちは「友」であり「兄弟姉妹」と呼ばれ、私たちも、神様のことを「天の父」と呼ぶことをお許しになられたのです。私たちもイエス様を通して、神様を天の父とお呼びでき、身近に感じることができるようになりました。また、「天の父の家」とは神殿のことを示しますが、イエス様は建物の神殿ではなく、心の中にある神の住まいを表して、「自分の父の家」とおっしゃいます。事実、イエス様は46年かけて建てた神殿を、壊して3日のうちに、それを起こす(建て直す)とおっしゃいました(ヨハネ2:16)。しかし、これは建物としての神殿ではなく、心の中の神殿として、十字架の死から三日目によみがえって、聖霊を宿す宮とすることをおっしゃられたのです。ですから、イエス様を心から信じ受け入れる人には、聖霊が降り、心に住み始め、その住まいを「私たちの父の家」としてくださるのです。

 

ですから、私たちは、24時間、主と交わり、礼拝することのできる自由と恵みと喜びと平安をいただいたこと、または、いただくことになります。イエス様の信じた人の心は、すでに、天の父の家にあり、天の父に守られているのです。そのことを可能にしてくださったのが、イエス様です。どうか、まだイエス様を受け入れておられない方は、イエス様に心を開いてみてください。また、すでにイエス様を受け入れておられる方は、本当に「私の天の父の家」として、ご自分の心がきれいに掃除され、ご自分の心をイエス様に明け渡し、王さまの御座についていただいているかをチェックしてみてください。

 

ヨセフとマリヤは、「自分の父の家」にいらしたイエス様を捜していましたが、イエス様は、「自分の父の家」にあなたがいるかどうか探しておられます。そして、誘っておられます。どうか、イエス様の招待状を受け取って下さい。

 

お祈りをいたします。

愛する天のお父さま、今朝のお導きを感謝いたします。イエス様の招待状を受け取り、その招待状にある聖書のみ言葉を通して、イエス様を真に受け入れることができますように。そして、天の父の家を私たちの心にもお造り下さいますように、また掃除が行き届きますように、お導き下さい。

今朝の主からのメッセージを感謝いたします。主イエス・キリスト様の御名により、このお祈りをおささげ致します。アーメン。

賛美: 今月ワーシップソング・新聖歌332「主はまことのぶどうの木です」

 

「主の祈り」をもって、今朝の礼拝を終わります。(新聖歌p826)