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メッセージ主題:『聖霊と火とのバプテスマ』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年8月6日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、鎮まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: ワーシップソング “I Love You Lord”

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌135「御霊は天より」

 

聖書拝読:マタイによる福音書3章1節~52節(新改訳聖書)

中心聖句:「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(3:11)

 

メッセージ主題:『聖霊と火とのバプテスマ』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、「自分の父の家」と題して、12歳の時のイエス様がすでに神様を天の父と呼ばれ、そして、私たちもそのように呼ぶことが許されるものであることを学びました。今朝は、イエス様が30歳に成長し、これから公生涯とよばれる3年間の福音(良き知らせ)を伝える活動の初めのことを学びます。

 

まず、お祈りします。(祈り)

 

イエス様が30歳になられた時、一歳年上のヨハネ(彼は、イエス様の弟子、使徒ヨハネと区別してバプテスマのヨハネと呼ばれます)が、人々に、神に立ち帰りなさい、悔い改めなさい、天の御国が近づいたと告げながら、悔い改めの印、川でザブーンと自らを沈め、そして川から起き上がらせるバプテスマを行なっていました。実はヨハネはイエス様と親戚でありました。今朝はこのことはあまり触れませんが、マンガ聖書物語では、母マリヤの回想として、28ページに触れています。詳しくお知りになりたい方は、ルカによる福音書の1章をお読みください。

 

バプテスマのヨハネの行なった、バプテスマ(洗礼)は、川に頭までザブーンと自らを沈め、自らが罪によって死に、そして、水面から起き上がることによって、新しく生まれ変わったことを意味しています。ユダヤ教の律法では、罪を犯した人は、罪のない家畜に手を置き、その家畜に罪を移させ、家畜の命を犠牲にして、罪を帳消しにするということをしていました。家畜はとても貴重なものですので、その人も経済面で痛手を負うのですが、その人の心が本当に悔い改まることは要求されないままで、形式的なものになってしまっていました。しかし、バプテスマのヨハネは、神から離れてしまっている心を真に悔い改め、神を畏れ、神をあがめなさいと、民衆に教えたのです。

 

現代のキリスト教でのバプテスマ・洗礼は、水を付ける滴礼と、ザブーンの浸水式がありますが、どちらも、個人的にイエス・キリストを自らの救い主として受け入れた後の、会衆にそのことを表す、信仰を告白する場でもあります。イエス様の十字架と同じように、罪と共に一度死に、そして、新しく生まれ変わり復活することを意味しています。

 

バプテスマのヨハネは、イエス様に会う前から、今朝の中心聖句のように「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」とイエス・キリストの到来を待望しています。では、イエス様の「聖霊と火とのバプテスマ」とはいったいどういうものなのでしょうか。

 

すこしとびますが、新約聖書の使徒の働きの1章2章を開きましょう。1章8節9節ではイエス様が、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とおっしゃられ、事実、2章1節~4節では、「五旬節の日(別名ペンテコステ)になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、み名が聖霊に満たされて、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」とありますように、聖霊が私たちの心に降ってくるのです。

 

では、いつ聖霊が降って来られるのかということは、いろいろ議論もあるのですが、基本的に、イエス様を自らの救い主として受け入れた直後です。そして、私たちの心のうちに降って来られた聖霊が、生きて働いてくださって、私たちを、罪を犯さない性質へと、徐々に変えてくださるのです。

 

マタイの記述には、「聖霊と火とのバプテスマ」とありますが、「火」は実際の火ではありません。「罪を完全に焼き尽くす」という意味の火であります。人間の罪の犠牲となった家畜は完全に灰になるまで燃やされます。ですから、現代の私たちの犯した罪は、イエス様の御前で悔い改めることによって、完全に燃やされ、完全に赦されるのです。火で罪は完全に赦され、聖霊によって罪を犯しにくい性質へとかえられるのです。この聖霊によって罪を犯しにくい性質に変えられることを、「新しく生まれ変わる」という表現も使われますし、キリストの教えに従うことでもありますし、「キリストを着る」という表現でも表わされます。また、このことについては、いつかゆっくりとお話しさせていただこうと思っております。

 

まずは、自分にはいろいろな罪があって、また自分は嫉妬深く罪深い人間であると認めるならば、その罪と罪深さから救って下さるのが、イエス・キリスト様しかいないと信じ、イエス様を受け入れることができるかどうかです。いい子になろうとして、ずーっと努力して生きて来て、大人になっても、いえ、大人になったからこそ、もっと罪を犯してしまう人間になったのではないでしょうか。もっと罪深いものになってしまって、そこが自分の一番嫌な所で、人に見られたくなくて、ずっと装ってこられたのではないでしょうか。私もそうでした。他人の目を気にして、いい子に見られたくて、いい人だと思われたくて、一生懸命、努力していいことをして、他人に優しくしたりして、でも心の中は、嫉妬や妬みや嫉みや口に出して恥ずかしくて言えないような思いをぬぐい去ることはできませんでした。しかし、まずイエス様が、先に、そんな私を愛して下さって、赦して受け入れてくださったのです。ですから、私はイエス様を受け入れ、愛そうと思いました。この方について行こうと思いました。

 

皆さんは、いかがですか。イエス様を心の底から愛しませんか。イエス様が私たちをまず愛されたように、イエス様の愛に応えてみませんか。あなたが受けれられなかった、嫌なもう一人の自分をイエス様は受け入れてくださいます。

 

お祈りをいたします。

愛する天のお父さま、あなた様の御ひとり子であるイエス様を私たち全員が本当の意味で受け入れることができますように、お導き下さい。私の後に、小さな声で結構ですから、ついてきてください。「天のお父さま、私は罪深いものです。しかし、イエス様が十字架にかかられたことで、私の全ての罪がぬぐわれたことに感謝します。イエス様、あなたの、私に対する愛を受け入れさせてください。どうか、イエス様を信じ続けるものとさせてください。イエス様を愛するものとさせてください。聖霊様が私に臨んで、私を、罪を犯しにくい性質へと造り替えてください。イエス・キリスト様の御名によりお祈りいたします。アーメン」 主よ、今朝のメッセージを感謝いたします。

 

賛美: 今月の歌・新聖歌316「御言葉なる」

今月のワーシップソング「I Love You Lord」

 

「主の祈り」をもって、今朝の礼拝を終わります。(新聖歌p826)