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メッセージ主題:『疑わず、ただ従う信仰』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年8月27日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 今月のワーシップソング “I Love You Lord”

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌232「弱き者よ われにすべて」

 

聖書拝読:ヨハネによる福音書2章1節~11節(新改訳聖書)

中心聖句:「すると、イエスは母に言われた。『あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。』 母は手伝いに人たちに言った。『あの方が言われることを、何でもしてあげてください。』」(2:4-5)

 

メッセージ主題:『疑わず、ただ従う信仰』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、『何もかも捨てて、イエスに従った』と題して、イエス様が弟子として選ぶところで、何もかも捨ててイエス様に従うことを学ばせていただきました。今朝は、イエス様の最初の奇跡と言われている、水瓶の水をワインに変えるという奇跡の中で、イエス様と母マリヤとの会話から、この最初の奇跡の意味を学ばせていただきたいと思います。

 

まず、お祈りします。(祈り)

 

イエス様はガリラヤ湖の西岸で主に神の国のことを教えておられました。そして、先週にみましたように、この時少なくとも、四人の弟子がいました。シモン・ペテロ、ペテロの兄弟アンデレ、ヤコブとその兄弟ヨハネ(このヨハネの福音書の執筆者)です。そして、イエス様一行は、ガリラヤ湖の西方にあるカナという町での婚礼に招待されます。カナはその南方にあるナザレにも近く、イエス様の母マリヤも婚礼を手伝いに来ていたようです。

 

この時代の婚礼は約一週間続き、いろいろな招待客が入れ代わり立ち代わり婚礼の場に現れたそうです。ぶどう酒は喜びを表す飲み物として、婚礼には欠かせないものでした。その婚礼のときに、ぶどう酒がなくなってしまいました。これは、メンツを重んじるユダヤ人にとって、あってはならないことでした、特に婚礼の場で。そこでお手伝いをしていたマリヤは息子イエスが来たことをこれ幸いに、息子に相談します。「ぶどう酒がありません。」 母マリヤはこの時すでに未亡人となっていたようで、夫ヨセフのいない今、頼りにするのは息子のイエスだったのではないでしょうか。イエス様は大工として家庭を支えていました。ですから、このカナの結婚式でも、母マリヤはつい頼ってしまったのです。「なんとかしておくれぇな、イエス」と言うような感じではなかったでしょうか。

 

イエス様は、この母マリヤのお願いに対して、私たちには考えられない驚くべき言葉を発します。今朝の中心聖句でもありますが、「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」 いくら招待客のイエス様と手伝いをしている母だからといって、「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。」とは理解に苦しむ返答です。次にある「女の方」という表現は、丁寧に拒否をするときに使われる表現だそうです。ですから、イエス様はここで、母マリヤを叱責している訳ではありません。この婚礼の席でぶどう酒がなくなるという、非常に世俗的な、赤っ恥をかくという事柄と、救いを伝えるために遣わされた役割との無関係さをイエス様は告げているのです。それが証拠に、イエス様は次に「わたしの時はまだ来ていません」とおっしゃいます。「わたしの時」とは、十字架での受難、私たちの罪の贖いの時をイエス様は意味されておられます。ここで明らかなのは、イエス様はすでにご自身の「救い主」としての役割に集中しておられる一方で、母マリヤは息子イエスに対する母の情と、最近弟子たちができ、どんどん自分から離れて行き、神がかってきているという、聖霊に満たされて生まれた運命の人としての感情が入り混じっているように思えるのです。

 

しかし、イエス様のこの言葉によって、母マリヤは神の子イエスとして認識した上で、「この方ならなんとかしてくださる」という確信に似た信仰を得、あえて世俗のぶどう酒がなくなった事態の収拾を期待し、他の手伝いの人たちに次のように伝えます。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」 これは、すでに母親としての息子の頼る情ではなく、救い主に救いを求めるのと同じように、主にその事態を「なんとかしてくださる」と確信をもって、ゆだねた言葉なのです。

 

ですから、イエス様は、指示をだし、水がめの水をぶどう酒に変える奇跡を起こします。イエス様の奇跡は、周りの人たちが、イエス様を「救い主キリスト」「神のひとり子」と信じるための奇跡です。この奇跡を知っているのは、婚礼の手伝いの人たちと弟子たちと母マリヤです。その意味では、この奇跡は弟子たちと母マリヤが、イエス様をキリストと信じるための奇跡であったといっても過言ではありません。11節では、この奇跡によって「弟子たちはイエスを信じた」とありますから。

 

ところで、この水をぶどう酒に変える奇跡には、どんな意味があるのでしょうか。弟子たちはこの時点では気がついていないかもしれませんが、おそらく、イエス様が復活され、再び天に戻られた後に、この奇跡を思い出しながら悟ったのではないでしょうか。つまり、このようにです。婚礼はイエス様が他のところでもたとえ話として用いておられますように、イエス様とイエス様を信じる者との神と信徒としての婚姻関係を表し、水がめいっぱいになったぶどう酒は、婚礼のぶどう酒が喜びの酒であるように、内なる聖霊に満たされた喜びを表しています。水で満たされた水がめがぶどう酒で満たされるようになることは、私たちが一度死に、イエス・キリスト様によって生まれ変わり、水がぶどう酒になるぐらい、すべてが全く変えられること、ペンテコステの祝福を示唆しているように思われます。イエス様はこのことを弟子たちが、だいぶ後になって気付くように、この奇跡を起こされたのではないでしょうか。

 

弟子たちは、イエス様のこの奇跡を見て、信じる者へと変えられました。しかし、イエス様は、後になって、イエス様の復活を疑り深いトマスに「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:29)と告げるように、私たちにも、「奇跡を見ないで信じる者は幸いです」とおっしゃられています。その信仰は、母マリヤの信仰です。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」と助け手に言うときのマリヤは、イエス様がどんな奇跡を起こされるかは知りませんでしたが、神のひとり子イエス様ならこの窮地を救ってくださると確信したのです、たとえそれが人の命の救いに関わらない世俗的なことであったとしても。母マリヤは、イエス様がこのぶどう酒の奇跡を行う前に、マリヤがその奇跡を見る前に、この信仰に導かれました。

 

イエス様はいま、このマリヤの言葉をとおして、次のように私たちにおっしゃっておられます。「わたしを信じなさい。わたしの言うことを疑わず、ただ従いなさい。」

「世俗的なことであれ、何であれ、わたしに願い求めなさい、答えられると確信して。」

 

今から、黙想の時をもちます。イエス様を信じ、疑わずに従えるように、私たちを導いていただきましょう。また答えられると確信して、今あなたの必要を願い求めてみてください。そして、すべての願いを主にあずけ、主に栄光をお返しいたしましょう。今から三分間、黙想をし、それらのことを、主にゆだね、主に導いていただいてください。(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。

愛する天のお父さま、今日は、イエス様と母マリヤとのやり取りから、主を疑わずに信じ、主に委ねること、主に従うことを学びました。どうか、今日の導きをとおして、より一層イエス様に近づくことができますことを期待いたします。主よ、今朝のメッセージをありがとうございます。主イエス・キリスト様の御名により感謝してお祈りいたします。アーメン。

 

賛美: 今月の歌・新聖歌316「御言葉なる」

今月のワーシップソング「I Love You Lord」

「主の祈り」をもって、今朝の礼拝を終わります。(新聖歌p826)