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メッセージ主題:『一日の一割を主にささげる:什一献時のススメ』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年9月3日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 今月のワーシップソング 「Jesus, Name Above All Names」

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌209「慈しみ深き」

 

聖書拝読:ルカによる福音書4章31節~44節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:「朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた」(4:42)

 

メッセージ主題:『一日の一割を主にささげる:什一献時のススメ』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、『疑わず、ただ従う信仰』と題して、イエス様の最初の奇跡、水瓶の水をワインに変えるという奇跡の中で、母マリヤの言葉、「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」から、主に期待し、主に従う信仰を見させていただきました。今朝は、イエス様がガリラヤ湖北岸のカペナウムという町で、福音を伝え、多くの病人を癒されたところで、イエス様の行動について学ばせていただきたいと思います。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

イエス様はカペナウムという町で、安息日ごとに、主に会堂で人々に教えておられました。会堂で人々に教えらえる時のようすが、同じルカ書に記されています。(4章16節~21節)イエス様がお育ちになったナザレの町の会堂でのことですが、旧約聖書、この時にはイザヤ書でしたが、その巻物の一部を朗読し、それを説き明かしていくのです。その姿はいまの教会の説教とよく似ているかも知れませんが、解き明かす内容はその場で決まりますから、聖書に造詣が深くないとできません。12歳の時に、すでに、ユダヤ教の教師が舌を巻くぐらいの霊的知恵をもつイエス様ですから、30歳になられたイエス様の言葉は恵み深く、聞く者を驚きと称賛で圧倒したと思います。

 

しかし、それだけでは、イエス様が救い主であるということを、民衆に納得させるには十分ではありませんでした。ですから、イエス様は必要に応じて、悪霊を退散させ、病気を癒されたのです。しかも、イエス様の病気の癒し方は、瞬時に元通りになる、健康な人間として不自由さのない生活が送れる状態にするのです。私たちの医学のようにリハビリなど関係ありません。そこがイエス様の救い主たるゆえんなのです。イエス様の本来の救いとは、瞬時の救いなのです。

 

今朝輪読しました箇所にも、36節のところにシモン・ペテロのしゅうとめの話がでてきます。マンガ聖書物語にも分かりやすく描かれています。しゅうとめは高熱で苦しんでおりました。それをイエス様は「熱を叱る」という方法で、瞬時に癒されます。それもすぐに起き上がって、イエス様や弟子たちをもてなしたと言うのですから、今の医学では考えられないことです。体力が回復するまで云々という話ではありません。高熱がでて苦しんでいたことなどなかったかのように、全くの癒しが与えられました。このイエス様の瞬時の全くの癒しは、私たちの霊的回復、霊的救いと無関係ではありません。イエス様の行なわれた奇蹟は、イエス様を民衆に救い主であることを証しするためのものでしたが、イエス様の癒しに関しては、イエス様を信じ受け入れた時に下って来られる聖霊様が私たちの心に入りくる様子を示唆しているような気がするのです。このことに関してはまた別の日に、改めて学ばせていただきたいと思います。

 

イエス様は数々の奇蹟や癒しや悪霊退散をするなかで、イエス様がほぼ毎朝、一人になって静まる時を持たれておられたことに注目したいと思います。一人になって、イエス様は何をなさっておられたのでしょうか。ルカが記した同じ状況をマルコは、次のように記録しています。「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(1章33節)神、天のお父さまに祈りをささげておられたのですが、あの十字架にかかられる前のゲッセマネでの激しい祈りではなく、この時は静かな祈りの時を過ごされました。ちなみにゲッセマネの祈りは、ルカは次のように描写しています。「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」(22章44節) このような激しい祈りが日常的に行われていたとは考えにくく、いつもは、静まって、父なる神様に祈りを通して話しておられたのだと思います。そして、これがクリスチャンのディボーションのお手本だともいえるでしょう。

 

実は私は、ほんの最近まで、早朝にディボーションを持つことがとても苦手でした。私は仕事柄、夜型になることが多く、また性格的に、その日にしようと決めたことはなるべく夜遅くなっても、また明け方になったとしても終えてしまわないと気がすまないタイプです。ですから自然と夜遅くまで書き物をしたり、クラス準備をすることの毎日でありました。そのこともあって、遅い午前や午後にディボーションを持つことがほとんどでした。お昼前後にディボーションを持つと電話やファックス、メールや飛込セールス、接客などなど、邪魔が入ることも多く、ディボーションに集中できないことも多々ありました。

 

しかし、これではいけないと悔い改め、一念発起して無謀?にも(いえいえ、主の恵みによって)5時に起き、7時までの約2時間を神様との対話の静まりの時とさせていただきました。残念ながら仕事の関係上と性格もあいまって、夜型は治りません。就寝は1時頃です。そうすると4時間しか睡眠の時間がなく、ですから睡眠不足を補うために、日中、時間の空いた時に、20分~30分の仮眠を2、3回取ることにしました。はたして、そうするとどうでしょう。朝の約2時間の静まり(聖書精読、黙想、賛美、祈り、キリスト教関連書の読書など)ができることで、その前からしていました、休憩一章(休憩の時にできるだけ、聖書1章を読む)や四六時礼拝(聖書を読み黙想する)もより充実してきたのです。まだ寝不足の感じではあり、改善の余地はありますが、この主の導きは私の信仰生活を今、変えようとしています。30年以上、クリスチャンをしてきて、やっと最近、変えられてきているのです。今は牧師というタイトルもあるにもかかわらず、まったくお恥ずかしい話ではあります。しかし、早朝の静まりの時は、皆さんの信仰生活を変え、より主に依存する、主に全てをゆだねることを覚えさえていただけるでしょう。献金で什一献金という言葉を耳にしたこともあるでしょう。収入の1割を主にお返しさせていただくもので、旧約聖書時代からのものです。確かに、什一献金をすることで、主のより大きな祝福を見つけることができるでしょう。尊い行為です。しかし、私はそれよりも、一日の一割の時間を主にささげることの恵みのほうがより大きいのではと、今は思わされています。それも一人っきりで、イエス様と対話し、黙想し、賛美し、御言葉をいただくのです。皆さんの信仰生活は、そのことで必ず変えられます。私がその証人です。そして、信仰生活が変えられれば、現実の生活も変わっていきます。仮にこれを什一献金になぞられて、什一献時と呼びましょう。什一献時は、あなたを主のもとへといざなってくれます。常に主の臨在を感じさせてくれます。どうかこのことを真剣に考えて見てください。このぼんくらクリスチャン、ぼんくら牧師でもできるのです。あなたがイエス様を信じたときのように、信仰生活を変えてくださいと決心しイエス様に手助けを求めればいいのです。そして、これは、イエス様の瞬時の癒しなのです。あなたの魂を全くの健康体にかえる主の招きなのです。

 

今から、黙想の時をもちます。目を閉じて、気持ちを楽にしてください。声を出さずにイエス様に問いかけてみてください。今の信仰生活を変えていただくよう、もっともっと主を感じることができるよう、導いてくださいと主にお願いしてみましょう。そして、すべての願いや想いをいったん主におあずけし、主に栄光をお返しいたしましょう。自分を空っぽにしてみてください。そして、空っぽになれば、主をあなたの心の中心に全く受け入れ直してみてください。今から三分間、黙想をし、すべてのことを、主にゆだね、主に導いていただきましょう。(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。

愛する天のお父さま、今日は、イエス様の毎朝の静まりの時のことを学ばせていただきました。どうか私たちの信仰生活が変わっていきますように。そしてイエス様を最大の恵みとして受け入れ、味わうことができますように、私たちを造り変えてください。すべてを御手にゆだね、主イエス・キリスト様の御名により感謝してお祈りいたします。アーメン。

 

賛美: 今月の歌・新聖歌108「丘に立てる荒削りの」

今月のワーシップソング「Jesus, Name Above All Names」

「主の祈り」をもって、今朝の礼拝を終わります。(新聖歌p826)




(Words & Music by Naida Hearn)

 

Jesus, name above all names,

Beautiful savior, glorious Lord

Emmanuel, God is with us,

Blessed redeemer, Living word.

 

Above: 真上に、優位に

Beautiful: 素晴らしい、美しい

Savior: 救い主

Glorious: 栄光なる、神々しい

Lord: 主、神

Emmanuel = Immanuel: 救世主

Blessed: 祝福された

Redeemer: あがない主

Living: 生きている