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メッセージ主題:『二心のない信仰を見るイエス様』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年9月10日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 今月のワーシップソング 「Jesus, Name Above All Names」

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌2「たたえよ救い主イエスを」

 

聖書拝読:マルコによる福音書2章1節~12節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ。あなたの罪は赦されました。』と言われた。」(2:5)

 

メッセージ主題:『二心のない信仰を見るイエス様』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、『一日の一割を主にささげる:什一献時のススメ』と題して、イエス様がガリラヤ湖北岸のカペナウムという町で、福音を伝え、数々の奇蹟や癒しや悪霊退散をするなかで、イエス様がほぼ毎朝、一人になって静まる時を持たれておられたこと、日々の早朝の祈りの時間のことを学ばせていただきました。今朝は、イエス様が中風の人を癒すところから、主の思いを学びたいと思います。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

イエス様は癒し主です。いろいろな病気、そして悪霊が乗り移っているとされた病気をも癒されました。私たちが奇跡と呼ぶに値する重病患者であってもあっという間に健康になり、またラザロのようにすでに息絶えて数日経っている人も生き返らせました。では、だれもがそのような奇跡を期待できるのでしょうか。もしもそうであれば、誰もが祈ってお願いすれば、人間は生き返って、結局のところ、不老長寿、不老不死になり、この地球は、今でさえも人口過多を懸念されていますのに、人間で溢れかえって、結局絶滅してしまうでしょう。では、なぜそうならないのでしょうか。なぜ、全ての人の病が癒されないのでしょうか。

 

先ほど、名前だけ出しましたラザロのことを見たいと思います。ヨハネによる福音書の11章をご覧ください。ベタニヤに住むマリヤとマルタ姉妹の兄弟ラザロが瀕死の状態であることをマリヤはイエス様に知らせますが、イエス様は「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」とおっしゃいました。それで、さっさとラザロの所に行けばいいのですが、その場所に二日滞在されておられます。イエス様はマルタもマリヤもラザロも愛しておられました。それではなおさら早く出発しなければいけなかったはずです。今と違い、交通手段はほとんどロバや徒歩ですから。ロバも徒歩に合わせて進むわけですから、結局は徒歩スピードとなり、目的地まで結構時間、いえ、日数がかかるわけです。しかし、イエス様は知らせが来た場所に二日間も滞在したのです。その知らせをもってきた使者は恐らくやきもきし、ラザロのそばで看病していたマルタもマリヤは、いまかいまかと首を長くして待っていたに違いありません。しかし、イエス様は結局間に合いませんでした。イエス様がラザロのところに着いたのは、ラザロの死後四日たってのことでした。イエス様以外、全員、あきらめムードでしたし、マルタはイエス様に次のように訴えるように言っています。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟はしななかったでしょうに。」 あとで同じようなことをマリヤもイエス様に告げます。 これは、イエス様が病人を全く癒されることを今までに見聞きしてきているからでした。しかし、イエス様は、「ラザロはよみがえる」と述べます。そして続けて「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」と伝えます。これは、マルタの「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております」つまり、終末には、イエス様を信じたものが新しい身体を得て、よみがえり、永遠のいのちをいただくことを意味している言葉ですが、それを受けてのイエス様のお言葉「死んでも生きる」です。そして、イエス様はマルタの信仰を見て、そして同じようにマリヤの信仰も見て、最終的にラザロを生き返らせます。

 

このように神の栄光のために、そしてご自身がその栄光を受けるために、イエス様はラザロをよみがえらせるという奇跡を行われました。それも、マルタとマリヤの信仰を確かめてから。さて、今日の聖書箇所に戻りましょう。カペナウムの町である家におられることが、町じゅうに知れ渡り、大勢の方がイエス様の話を聞きに、また癒されに訪れました。そこへ、中風の人を四人がかりで担いできたグループがありましたが、彼らは人がいっぱいで中にはいることができません。ですから、大胆にも、屋根に上り、屋根を壊して穴をあけ、その穴から中風の人を寝かせたまま床を吊りおろしたのです。

 

イエス様は彼らの必死さ、イエス様だったら癒していただけるという信仰を見て、「あなたの罪は赦されました」と告げ、しかしそれが目に見えるかたちで表されなければ、かれらもイエス様が地上で罪を赦す権威を持っておられることを理解できないので、次のように言って中風を癒されました。「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」。この「家に帰りなさい」は、「彼の実際の家に帰りなさい」という意味と、「主の家に帰りなさい」つまり、「清く正しい生活を神をあがめる生活をしなさい」とおっしゃっておられるのです。このことについては、また時間をさいてお話ししたいと思います。

 

さて、今朝はいままでに二つのことを学びました。一つ目は、①主の癒しは、神の栄光が現われるため、主がその栄光を受けられるためです。ですから、クリスチャンの癒しを求める祈りが必ずしも聞かれる訳ではないのです。クリスチャンの熱心さは関係ありません。癒す・癒さないかは、神の計画・意向にそって、神が決定されることであって、私たちの思惑通りには決していかないということです。主権は神にあることを覚えないといけません。そして、二つ目は、②主が癒そうとされるときには、必ず、本人か周りの人の信仰を確かめられるということです。「治らないかも知れない。この願いは聞いてくださらないかも知れない」と思って祈るのは、二心の信仰です。同じことでも「治して下さい、御心ならば。主は、私の願いをお聞きくださるので感謝いたします、答えは主のものです」と主にその判断をあずけゆだねる信仰が大事なのだと思います。

 

今から、黙想の時をもちます。目を閉じて、気持ちを楽にしてください。声を出さずにイエス様に問いかけてみてください。何かお願いしたいことがあっても、まず主をほめましょう、主に感謝しましょう、主の御名をたたえましょう。そして、すべてを主にお任せし、主の静寂の中に身をゆだねてみてください。これから三分間、黙想をし、すべてのことを、主に導いていただきましょう。(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。

愛する天のお父さま、今日は、イエス様の私たちの信仰をまず見られることを学ばせていただきました。どうか私たちがつねに、主に信頼し、主を見上げて歩ませていただきますようにお導き下さい。すべてを御手にゆだね、主イエス・キリスト様の御名により、喜びと感謝と共にお祈りいたします。アーメン。

 

賛美: 今月の歌・新聖歌108「丘に立てる荒削りの」

今月のワーシップソング「Jesus, Name Above All Names」

「主の祈り」をもって、今朝の礼拝を終わります。(新聖歌p826)

 

Jesus, Name Above All Names

(Words & Music by Naida Hearn)

 

Jesus, name above all names,

Beautiful savior, glorious Lord

Emmanuel, God is with us,

Blessed redeemer, Living word.

 

Above: 真上に、優位に

Beautiful: 素晴らしい、美しい

Savior: 救い主

Glorious: 栄光なる、神々しい

Lord: 主、神

Emmanuel = Immanuel: 救世主

Blessed: 祝福された

Redeemer: あがない主

Living: 生きている