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メッセージ主題:『イエス様一筋』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年11月19日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 今月のワーシップソング 「Glorify Thy Name」

使徒信条: 新聖歌p.826

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌430「われ主に従いまつらん」

 

聖書拝読:マタイによる福音書13章24節~32節(新改訳聖書)(輪読)

 

中心聖句:「だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、といいましょう。」(30)

 

メッセージ主題:『イエス様一筋』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。』と題して、イエス様のバプテスマのヨハネへの想いと、両者が説いた「悔い改め」のことを学ばせていただきました。今朝は、イエス様の毒麦とからし種の譬えをとおして天の御国と教会のことを学ばせていただきたいと思います。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

マンガ聖書物語では、からし種の譬えが先に紹介されていますが、マタイ書では毒麦の後に紹介されています。順番はあまり関係ないのかもしれませんが、まず、「畑」に注目したいとおもいます。私は、良く成長したからし種の畑も、毒麦が蒔かれた畑も、その前に話された種の落ちた場所の譬えで良い地、つまり良い畑とは、意識下でつながっているのではと思われてならないのです。「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます」(マタイ13:23) では、種が落ちた良い地または良い畑とは何を意味しているのでしょうか。「御言葉を聞く」ということを考えますと、集会であり教会であるのではないでしょうか。教会として形が整っていくのは、イエス様が十字架にかかり、死をもって私たちの罪を贖い(帳消しにし)、三日目に死を克服して蘇り、弟子たちに間に四十日間滞在し教え交わりをもち、再び天に戻られましたその後であります。弟子たちが集まっているところに、聖霊が下り、宣教の力をへて教会が成立していきます。しかし、今の教会より、家庭集会に近い形でありました。どちらにしろ、御言葉を聞き礼拝をささげる場が、教会であり集会なのです。信徒の集まりです。それが、良い地であるはずです。

そして、その良い地の感覚が、毒麦の譬えでは、自分(神)の畑として表され、良い地であることが大前提となっています。マンガ聖書物語では「畑=世界」とされていますが、やはりここは教会・集会としたほうがよいように思われます。そして、畑と現わされています神の教会・集会には、何十倍もの実を結ぶ良い種だけではなく、敵(悪魔)の蒔いた毒麦の種も混じってしまっていることを、イエス様は教会・集会ができる以前に預言されておられるのです。

 

では、教会・集会における悪魔の放った毒麦とは、いったい何のことでしょうか。使徒ヨハネはそのことを反キリストと呼びました。反キリストは同じ畑で育った教会・集会内での人たちです。ヨハネは単純明確に反キリストを定義しています。「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。」(1ヨハネ2:22)イエス様をキリストであることを否定するということは、イエス様の福音を無にすることになります。イエス様の福音とは、簡単言えば、パウロとシラスが述べたように、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)ということです。この福音を無にするとは、当然、イエス様をキリスト(救い主)として信じないというケースと、初めはイエス様をキリストとして信じつつも、自分の努力や善行で救いを得ようとし、じょじょにイエス様から離れてしまうことになるというケース、または偶像を持ち出してしまうケースがあると思います(他にもあるかも知れあませんが)。どちらにしても反キリスト、または反キリストの予備軍であります。パウロもほとんどの手紙で、イエス様をキリストから切り離してしまう間違った信仰の対応に苦慮しています。

 

では、毒麦である反キリストをどう処理するのかといいますと、イエス様は「収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい」とおっしゃいます。イエス様の「収穫」とは、最後の審判の時でありますから、「裁きはわたしがする」とおっしゃっておられるのです。では、私たちは、その毒麦なる反キリストをどう扱えばいいのでしょうか。裁きは主イエス様がなされますから、私たちは警戒し、祈り、主に委ねるしかないのです。逆に、イエス様は私たちがその委ねることを待っておられるのです。

 

良い麦は、集めて私(神)の倉(天の御国)に納められるのです。では、良い麦でいるためにはどのようにすればよいのでしょうか。それは反キリストの反対をすればよいのです。イエス様がキリストであることを認め、御父と御子を肯定する者であり続ければいいのです。つまり、イエス様一筋、よそ見もわき目もふらず、一心にイエス様に頼り切って歩むことです。難しく考える必要はありません。イエス様を大好きになって、聖書朗読や祈りや賛美を通して、常にイエス様と語り合って下さい、イエス様に相談してみてください。いろいろな困難にも出会うでしょうけれど、それはイエス様が「わたしのもとに来なさい」とおっしゃっておられることなのです。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30) イエス様一筋にさせていただきましょう。

 

今から、黙想の時をもちます。目を閉じて、気持ちを楽にしてください。声を出さずにイエス様に問いかけてみてください。今日の学びの感謝とともに、まず主をほめたたえましょう、主に感謝しましょう。そして、今日のメッセージの中で導かれた思いをイエス様に告白してみてください。イエス様のもとに帰って、重荷をおろさせていただきましょう。一心に主を求めてみてください。

(3分間黙想)

お祈りをいたします。

愛する天のお父さま、今朝は、イエス様の毒麦の譬えを通し、反キリストのことも学びましたが、私たちがすべきことは、イエス様一筋になることです。どうか常に主に語るものとさせてください。主と共に泣き、共に喜ぶものとさせてください。これらの思いを御手にゆだね、主イエス・キリスト様の御名により、感謝と共にお祈りいたします。アーメン。

 

賛美: 今月の歌・新聖歌166「威光・尊厳・栄誉」

今月のワーシップソング「Glorify Thy Name」

「主の祈り」(新聖歌p826)

 

Glorify Thy Name

 

Father, I love You,

I praise You,

I adore You,

Glorify Thy name in all the earth.

Glorify Thy name,

Glorify Thy name,

Glorify Thy name in all the earth.

 

(Jesus)

(Spirit)

 

praise: 賛美する、ほめたたえる

adore: あがめる

glorify: 栄光をたたえる、賛美する

Thy: あなたの、なんじの

in all the earth: 全地で

Spirit: 聖霊