· 

メッセージ・タイトル:「イエス様とサンタクロース」

主日礼拝メッセージ2017.12.17 in名古屋(ボランティア出張礼拝)

 

メッセージ・タイトル:「イエス様とサンタクロース」

 

聖句:ヨハネの福音書

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 

ホーホーホー、メリークリスマス。クリスマスおめでとうございます。

 

このようないでたち(サンタクロース姿)で、メリークリスマスと言われれば、クリスマスはサンタクロースのプレゼントの日のように思われるかもしれません。いえ、実際、サンタさんがプレゼントを持って来てくれることを心待ちにしているお子様も多いと思います。(サンタクロースの衣装を脱ぎ始める)

 

しかし、クリスマスは、先ほどお読みいただきました聖書の箇所、ヨハネの福音書3章16節の言葉が現実のものとなった日の一つなのです。この言葉は聖書中の聖書と言われるぐらい、一番大切な言葉でもあります。一番大事なことがぎゅーっと凝縮された言葉なのです。

 

私が先ほど、クリスマスはこの言葉が現実のものとなった日の一つだと申しました。この言葉には少なくとも7つの日が入っています。第1の日は、世界の創造の日です。第2の日は、イエス様のお誕生の日、クリスマスですね。第3の日は、33年後のイエス様が十字架につけれた日、第4の日は、その3日目にイエス様が復活された日、最近よく耳にしますイースターの日です。第5の日は、復活されてから40日後に天にお帰りになった日。第6の日は、ペンテコステと呼ばれる日で、信じる者には聖霊が心に降って来られる日。最後に第7の日として、終末、裁きの日です。

 

16節の「神は世を愛された」とありますが、どのように愛されたのでしょうか。それはこの聖書すべてに表現されています。特に、一番初めの創世記では、神様は6日間にてこの世を造られました。天と地を、朝と夕を、草と木を、太陽や月や星を、海と空の動物を、そして地の動物と人間を造られました。すべて神様の愛から生まれたものです。

 

しかし、人類の祖であるアダムとエバは、神から離れるという罪を犯し、その罪は私たちの遺伝子のように、ずーっと私たちに受け継がれてしまっています。神様は父親みたいな存在だと思って下さい。とにかく融通のきかない愛すべき頑固おやじ殿です。正しいことは正しい、悪いことは悪いと、中間はありません。このことには一歩もゆずりません。ですから、人間をとても愛してくださっていますが、アダムとエバが犯した人間の罪を赦すには、全人類の死が求められていました。ところが、神様もそんなことはしたくありません。ですから、自らの聖霊を人間に赤ちゃんのその前の卵に入れて、人間が遺伝子のようにもっている罪をもたない人間、外は人間でありながら内は神である人を造り出しました。16節では「そのひとり子をお与えになった」とありますが、それがこのことです。

 

私たちはその方を救い主と呼びます。その救い主の命をもって、全人類の罪を赦すようにされたのです。救い主が自分の命を犠牲にしたのが、彼が十字架にかかった日です。その日に全人類の現在・過去・未来の罪が赦されました。ある条件付きで。16節には、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく」とあります。そのように、救い主を信じる者だけが滅びない、罪赦されたものとなります。そして、その救い主は3日目に死を克服しよみがえります。それは、救い主を信じた者も死を克服することを意味します。さらに、ペンテコステで弟子たちに聖霊が降ったように、救い主を信じる者には、聖霊が降り、心の内にとどまり、私たちを罪を犯しにくい性質へと変えてくださるのです。救い主が再びこの世へ降りて来られる時、信じる者は天に上げられ、永遠のいのちをいただけるのです。また、救い主を信じ、聖霊に宿されると、天に上げられてからの平安と喜びを、この世でも体験できるようになります。そのことを16節では、「永遠のいのちを持つ」と表現されています。

 

さて、近づいていますクリスマスは、救い主がこの地上で赤ちゃんとしてお生まれになったことをお祝いする日です。実際の誕生日は正確にはわかりませんので、25日をクリスマスとして定めました。英語のクリスマスChristmasは、クライストChrist(救い主)とマスmas(お祭り・礼拝→ミサ)が合体してできたことばです。ですから、クリスマスは救い主を礼拝し、お誕生を喜び賛美し祝う日なのです。

 

救い主キリストがお生まれになった日、その知らせを初めに聞いたのは、家族以外では、王でもなく、祭司でもなく、金持ちでもありません、貧しい羊飼いたちでした。それは、救い主が世の中の貧しい人たち、罪人だと自覚している人たちを先に救わんとされていることを示唆しているものです。彼らのところに御使いが現われ、次のように言われました。

 

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:10-12)

 

その救い主である赤ちゃんは、イエスと名づけられました。クリスマスは救い主イエス様のお誕生を祝う日です。クリスマスに使われる緑の色は、永遠を表します。また赤は十字架にかかられた時の血潮、私たちの罪を帳消しにしてくださった生命を表します。

 

ですから、クリスマスは、決してサンタクロースの日ではありません。聖書にサンタクロースはまったく出て来ません。では、どうして、クリスマスとサンタクロースがくっつき、認知され、人々に愛されているのでしょうか。今のサンタクロースのイメージが生まれたことについては諸説ありますが、それよりも、サンタクロースの心が聖書に基づいているからなのです。

 

イエス様の譬えの中に、次のような言葉があります。

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)

この御言葉の「わたしの兄弟」とは「皆さんの隣人」のことです。その人たちに、特に困っていたり、何か必要を感じていたりする人たちに愛をもって親切にすることは、イエス様を愛することだと、イエス様はおっしゃるのです。

 

サンタクロースの心とは、giving 与える、無償でささげる心です。お互いに与えあう、また困っている人に与える、幸せを分ける柔和で寛容な心です。まさしく、これは、ヨハネ3章16節の「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」ことと同じなのであります。

 

神様はクリスマスに、ひとり子イエス様をこの世に「お与え」くださったのです。私たちの、皆さんの、あなたの罪を背負って、身代わりとなって、死をもってつぐなわれたのです。あなたが、皆さんが、私たちが天国で初めに造られたアダムとエバのように幸せに暮らせるように、平安と喜びが心を満たすように。

 

しかし、サンタクロースはそのイエス様の愛、神様の愛を実践しているにすぎないのです。彼は人を罪から救うことはできません。それができるのはキリスト・イエス様だけです。サンタクロースは人々の気持ちを豊かにしてくれるのです。皆さんはいかがでしょうか。サンタクロースのように、神様の愛を giving 無償で与えるということをされておられるでしょうか。皆さん、ご自身がサンタクロースになっておられるでしょうか。そこに喜びと平安と祈りを加えておられるでしょうか。また、皆さん自身が与える行為において、神様の平安と喜びをいただいておられるでしょうか。もしそうでないなら、あなたは、まだイエス様をあなたの救い主として受け入れておられません。どうか、このイエス・キリストのお誕生をお祝いするクリスマスの日に、あなたの心にイエス様が生まれてくださるように、心を開いて下さい。それが、神様が最も喜ばれることです。皆さんの心の中に、平安と喜びが生まれますように。メリークリスマス。

 

お祈りいたします。