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メッセージ・タイトル:「イエス様とサンタクロース」

ぶどうの木キリスト教会

主日礼拝2017.12.24 

(中学生礼拝11:00~、その後祝会)

 

支障のない方はご起立ください。

賛美:新聖歌77「きよしこの夜」(6ページ)

使徒信条:新聖歌 p.826(7ページ)

交読:交読文7:新改訳詩篇第23篇(新聖歌 p.884)(7ページ)

 

祈り:

クリスマス特別朗読:ルカ1章26-56節、2章1-20節 YouTube より

 

聖書拝読:ヨハネの福音書3章16節

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 

メッセージ・タイトル:「イエス様とサンタクロース」

 

メッセージ(次のページから)

 

支障のない方はご起立ください。

賛美:新聖歌76「諸人こぞりて」(6ページ)

主の祈り:新聖歌p.826(7ページ)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」(7ページ)

祝祷:2コリント13:13

 

おはよう倶楽部(キリスト祈りの会)は、あなたをお待ちしています。てぶらでお越しください。聖書や新聖歌は用意しております。また、お祈下されば幸いです。教会への勧誘はいたしません。ご参加の方は、できるだけご一報いただけると感謝です。

20分賛美と聖書の御言(主に新改訳)、10分祈り、15分交わり(お茶)の予定にしております。

時間:火曜日~金曜日、午前9時~(祝日は休み)

場所:ヴァイン英語センター内 505教室

530-0041 大阪市北区天神橋2丁目北1-7円山ビル5階(地下鉄南森町3番出口上がりすぐの天神橋商店街入口のビル、1階は円山喫茶店)

責任者:若竹孝行 080-3763-3398

 

メッセージ

 

ホーホーホー、メリークリスマス。クリスマスおめでとうございます。

このようないでたち(サンタクロース姿)で、メリークリスマスと言われれば、クリスマスはサンタクロースのプレゼントの日のように思われるかもしれません。いえ、実際、サンタさんがプレゼントを持って来てくれることを心待ちにしているお子様も多いと思います。(サンタクロースの衣装を脱ぎ始める)

 

しかし、クリスマスは、先ほどお読みいただきました聖書の箇所、ヨハネの福音書3章16節の言葉が現実のものとなった日の一つなのです。この言葉は聖書中の聖書と言われるぐらい、一番大切な言葉でもあります。一番大事なことがぎゅーっと凝縮された言葉なのです。聖書は66巻の書物からなり、旧約聖書と新約聖書、つまり神様との第一の約束が旧約聖書、第二の約束が新約聖書と呼ばれ、執筆者は代表者だけで約40名ぐらいいらっしゃいます。イエス・キリストのお誕生からが新約聖書となっています。旧約聖書はキリスト教だけではなく、ユダヤ教、イスラム教の方々も大まかなところで同じ内容のものを共有しています。

 

私が先ほど、クリスマスはこの言葉が現実のものとなった日の一つだと申しました。この言葉には少なくとも7つの日が入っています。第1の日は、世界の創造の日です。第2の日は、イエス様のお誕生の日、クリスマスですね。第3の日は、33年後のイエス様が十字架につけれた日、第4の日は、その3日目にイエス様が復活された日、最近よく耳にしますイースター(復活祭)の日です。第5の日は、復活されてから40日後に天にお帰りになった日。第6の日は、ペンテコステと呼ばれる日で、信じる者には聖霊が心に降って来られる日。最後に第7の日として、終末、裁きの日です。まだこの裁きの日は来ていませんが、いつ来てもおかしくない世界情勢です。

 

16節の「神は世を愛された」とありますが、どのように愛されたのでしょうか。それはこの聖書すべてに表現されています。特に、一番初めの創世記では、神様は6日間にてこの世を造られました。天と地を、朝と夕を、草と木を、太陽や月や星を、海と空の動物を、そして地の動物と人間を造られました。すべて神様の愛から生まれたものです。

 

しかし、人類の祖であるアダムとエバは、神から離れる、自分中心になるという罪を犯し、その罪は今の私たちの遺伝子のように、ずーっと今の私たちに受け継がれてしまっています。この罪は原罪と呼ばれます。この罪が諸悪の根源、私たちが罪は犯したくないと思っていても、嘘をつきたくないと思っていてもついてしまうのは、この原罪があるからなのです。このDNA的な原罪がある限り、私たちは救われず、滅びていく存在なのです。

 

神様は父親みたいな存在だと思って下さい。とにかく融通のきかない愛すべき頑固おやじ殿です。正しいことは正しい、悪いことは悪いと、中間はありません。このことには一歩もゆずりません。ですから、人間をとても愛してくださっていますが、アダムとエバが犯した人間の罪を赦すには、全人類に対して死が求められていました。旧約聖書では、一つ一つの人間が犯した罪に対して、小羊や山羊という人間の罪のない動物に、その罪を移して、その動物を犠牲にし、その命をもって罪を赦していただくということを神様から教わりました。しかし、人間のもつDNA的原罪がある限り、動物の命をもってしても際限ないのです。際限ないので、本当は、神様に立ち帰って、神様を心の中心に置くことが大切だったのですが、人間にはそれができませんでした。ですから、まだ人間は滅びるしかありませんでした。

 

ところが、神様もそんなことはしたくありません。ですから、自らの聖霊を人間に赤ちゃんのその前の卵に入れて、人間が遺伝子のようにもっている罪をもたない人間、外は人間でありながら内は神である人を造り出しました。16節では「そのひとり子をお与えになった」とありますが、それがこのことです。

 

私たちはその方を救い主と呼びます。キリストやメシヤと言われるのは「救い主」のことを指します。その人間の罪をもたない救い主の命をもって、全人類の罪を赦すようにされたのです。救い主が自分の命を犠牲にしたのが、彼が十字架にかかった日です。その日に全人類の現在・過去・未来の罪が赦されました。ある条件付きで。16節には、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく」とあります。そのように、救い主を信じる者だけが滅びない、罪赦されたものとなります。そして、その救い主は3日目に死を克服しよみがえります。それは、救い主を信じた者も死を克服することを意味します。さらに、ペンテコステで弟子たちに聖霊が降ったように、救い主を信じる者には、聖霊が降り、心の内にとどまり、私たちを、罪を犯しにくい性質へと変えてくださるのです。救い主が再びこの世へ降りて来られる時、信じる者は天に上げられ、永遠のいのちをいただけるのです。人間はこの世で生きている限り、原罪はなくならず、心の内に聖霊が宿り罪を犯しにくい性質へと変えられ続けますが、まだ罪は犯してしまいます。しかし、その時点でこの世から離れてしまったとしても、イエス様が全てをご自分の命で清算してくださっていますので、すべて真白になり、天の御国へと引き上げられます。神様が一番初めに造られた人間アダムとエバの罪を犯す以前は、不老不死でした。死ぬことはありませんでした。天にあげられると私たちもアダムとエバのように永遠の命を持つことが許されるのです。つまり、この聖書全体は、不老不死であったアダムとエバが、神様から離れるという罪を犯し、エデンの園から追放されてから、キリスト救い主によって、アダムとエバの本来の姿に帰る、神様のもとに帰るまでの歴史と導きを示した、唯一の書物なのです。

 

そして、救い主を信じ、聖霊に宿されると、天に上げられてからの平安と喜びを、この世でも体験できるようになります。それらの全てのことを16節では、「永遠のいのちを持つ」と表現されています。

 

さて、近づいていますクリスマスは、救い主がこの地上で赤ちゃんとしてお生まれになったことをお祝いする日です。実際の誕生日は正確にはわかりませんので、25日をクリスマスとして定めました。英語のクリスマスChristmasは、クライストChrist(救い主)とマスmas(お祭り・礼拝→ミサ)が合体してできたことばです。ですから、クリスマスは救い主を礼拝し、お誕生を喜び賛美し祝う日なのです。

 

救い主キリストがお生まれになった日、その知らせを初めに聞いたのは、家族以外では、王でもなく、祭司でもなく、金持ちでもありません、貧しい羊飼いたちでした。それは、救い主が世の中の貧しい人たち、罪人だと自覚している人たちを先に救わんとされていることを示唆しているものです。彼らのところに御使いが現われ、次のように言われました。

 

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:10-12)

 

その救い主である赤ちゃんは、イエスと名づけられました。クリスマスは救い主イエス様のお誕生を祝う日です。クリスマスに使われる緑の色は、永遠を表します。また赤は十字架にかけられた時の血潮、私たちの罪を帳消しにしてくださった生命を表します。

 

ですから、クリスマスは、決してサンタクロースの日ではありません。聖書にサンタクロースはまったく出て来ません。では、どうして、クリスマスとサンタクロースがくっつき、認知され、人々に愛されているのでしょうか。今のサンタクロースのイメージが生まれたことについては諸説ありますが、それよりも、サンタクロースの心が聖書に基づいているからなのです。

 

イエス様の譬えの中に、次のような言葉があります。

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)

この御言葉の「わたしの兄弟」とは「皆さんの隣人」のことです。その人たちに、特に困っていたり、何か必要を感じていたりする人たちに愛をもって親切にすることは、イエス様を愛することだと、イエス様はおっしゃるのです。

 

サンタクロースの心とは、giving 与える、無償でささげる心です。お互いに与えあう、また困っている人に与える、幸せを分ける豊かで柔和で寛容な心です。まさしく、これは、ヨハネ3章16節の「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」ことと同じなのであります。

 

神様はクリスマスに、ひとり子イエス様をこの世に「お与え」くださったのです。それもただで。私たちの、皆さんの、あなたの罪を背負って、身代わりとなって、命をもってつぐなうために、初めに造られたアダムとエバのように永遠の命をもつために、天国で幸せに暮らし平安と喜びが心を満たすために、2000年以上前に、この世にお生まれくださったのです。

 

サンタクロースはそのイエス様の愛、神様の愛を実践しているにすぎません。彼は人を罪から救うことはできません。それができるのは救い主イエス様だけです。しかし、サンタクロースは人々の気持ちを豊かにしてくれます。皆さんはいかがでしょうか。サンタクロースのように、神様の愛を giving 無償で与えるということをされておられるでしょうか。人に優しく接しておられるでしょうか。皆さん、ご自身がサンタクロースになっておられるでしょうか。そこに喜びと平安と祈りを加えておられるでしょうか。また、皆さん自身が与える行為において、人に優しくする行為において、神様の平安と喜びをいただいておられるでしょうか。もしそうでないなら、あなたは、まだイエス様をあなたの救い主として受け入れておられません。どうか、このイエス・キリストのお誕生をお祝いするクリスマスの日に、あなたの心にイエス様が生まれてくださいますように、心を開いて下さい。それが、神様が最も喜ばれることです。皆さんの心の中に、平安と喜びが生まれますように。メリークリスマス。

 

お祈りいたします。