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メッセージ主題:『律法と預言を成就するイエス様の言うことを聞く』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2017年12月31日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 今月のワーシップソング 「I Love You Lord」

使徒信条: 新聖歌p.826

交読: 交読文5:詩篇第19篇:新聖歌p.882-883

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌396「慕いまつる主の」

 

聖書拝読:マタイの福音書17章1節~13節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「彼(ペテロ)がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。』という声がした。」(5)

 

メッセージ主題:『律法と預言を成就するイエス様の言うことを聞く』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

前回は、『いのちのパン』と題して、パンを求めて集まった群衆に対して、ご自身が「いのちのパン」であることを説かれたところから、いのちのパンであるイエス様を食べるということは、どういうことなのかを理解するように導いていただきました。今朝は、『律法と預言を成就するイエス様の言うことを聞く』と題して、イエス様がモーセとエリヤといっしょに話をしていたという箇所から、イエス様の神性と権威についての理解を深めるよう、主に導いていただきたいと思います。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

イエス様は弟子中の弟子、ペテロとヤコブとヨハネを連れて、高い山に登られました。その時、イエス様は「姿が変わり、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった」と記述にあるように、イエス様の本来の神・聖霊としての御姿を現されました。このところから、私がまず思い起こさせられますのは、羊飼いであったモーセが神の山ホレブで、主にまみえる時(出エジプト記3章)、また、リーダーとなって民をエジプトからカナンの地へと導きはじめた頃、シナイ山に登って神にまみえた時(出エジプト記19-20章)のことです。神とまみえる時には、高い山に登り、ひとりとなって神の御声をお聞きするのであります。

 

次にダニエルの夢の記述です。ダニエル書7章9節~10節のところです。お読みいたします。「私が見ていると、いくつかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、髪の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文章が開かれた。」これの中の、年を経た方で衣が雪のように白く、御座は火の炎という描写は、神の永遠性、神の聖さ、神の臨在を表していると思われます。また、イエス様が十字架の上で死なれ、墓に葬られたのですが、マリヤたちがその場所に来てみると、イエス様はいらっしゃらないで、顔がいなづまのように輝き白い衣をまとった御使いが二人いたと証言しています。(マタイ28:3、マルコ16:5、ヨハネ20:12)神様はもとより、天の御使いたちも私たちの目からは、顔は光り輝き白い衣をまとっているように、見えるのであります。

 

このように、イエス様の内にある聖霊・神性が、ペテロとヤコブとヨハネの目の前で現わされたのであります。そして、その光り輝く中で、イエス様はモーセとエリヤと話をされます。話の内容は記述がありませんので分かりませんが、モーセは神様から律法を授かった人であり、ここでのモーセの存在は律法を示しているとも考えられます。また、エリヤは聖書中の代表的な預言者であり、預言者の中でエリヤだけが、死なずに天に登って行ったとあります。列王記Ⅱ2章11節には、「こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんど、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたり(エリヤと後継者エリシャ)の間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。」とあります。

 

イエス様は律法の代表であるモーセと預言の代表であるエリヤと話をされました。話の内容はともかく、これはイエス様の次の言葉を裏打ちするものであります。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するのではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)また、十字架の死から復活され、弟子たちに教えを説いていたイエス様は、もう一度強調されました。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書かれてあることは、必ず全部成就するということでした。」(ルカ24:44)

 

このイエス様の変貌は、律法と預言を成就するために来られた真の救いをもたらすキリストとしての啓示だと考えられます。律法も預言も、神の創造物である人間の救いに至らせるものではありますが、キリストの出現によって人類の救いが完成するのであります。モーセを通して神様は律法という戒めを与えられました。それは、本来は人間が神様の方に向くため、神様に寄り頼むためのものでありました。人間の独力だけで、罪が全く赦されるということは不可能であるということを悟るためのものであり、預言者たちによって、そのための救い主が現われることが預言され、民に希望を与え、民は救い主を切望していました。そのことを証しされたのが、今回のイエス様の変貌であり、イエス様がキリストであるという証拠なのであります。

 

では、どうして、イエス様は弟子たちに、「人の子(イエス様)が死人の中からよみがえるときまでは、いま見た幻をだれにも話してはならない。」(9節)と命じられたのでしょうか。それは、まだ神の時が来ていない、十字架で人類の罪の赦しのために死ぬ時が来ていなかったからですし、また民は救い主を切望してはいましたが、彼らの救い主に対するイメージは、人間の姿をしたイエス様とはかけはなれたものであり、それによるつまづきもあり、また弟子たちですらも同じようにつまづくであろうことから、時間をかけて弟子たちに教えを説かなければならなかったからではないでしょうか。

 

神様は、弟子たちに、「これは、わたしの愛する子(イエス様)、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と告げられました。神様は、イエス様を子とよび、祝福し、全ての神の権威を授け、弟子たちにイエス様がキリスト救い主であることの認識を堅くさせ、イエス様の言うことはすなわち、神様の言うことであると明言されたのです。そして、今、聖書を神の言葉と信じる私たちにも、神様は、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と命じておられるのです。イエス様を、律法と預言とを成就・完成させ、全人類を救う救い主として、私たちにお送りくださり、イエス様を通して、私たちは救われ、また神様の御旨を理解することが可能となったわけであります。当然、神様の御旨を完全に理解することはできませんが、部分的な理解であったとしても、その恩恵にあずかることがイエス様を通して許されたのであります。

 

今朝、私たちの学びに導かれていることは、イエス様を真にキリストとして信じるのであれば、イエス様を「わが主」とし、イエス様に従わなければならないということです。神様は「彼の言うことを聞きなさい」とおっしゃいます。私たちは、常に、イエス様である内なるキリスト・聖霊に耳を傾けなければならなりません。常に、イエス様と会話し、神のひとり子であり神の権威と栄光を継承されたイエス様を信頼し、より頼みつつ、従わなければなりません。私たちは、今そのことを真摯に受け止めるべきです。また、この一年、神様がいかなる業をもって私たちを導かれ、神の道からそれないように守られたかを思い起こし、感謝いたしましょう。また、新たなる年を迎えるにあたって、主の御声に耳を傾け、主の導きに素直に従う者とさせていただきましょう。

 

今から黙想をいたします。今年一年を振り返り、主の業を覚え感謝しましょう。また明日からの新しい年にむけて、主イエス様を信頼し、依り頼み、仕え従う決意を静かにしてみてください。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、イエス様の神性について、律法と預言を成就された神のひとり子であり、神様からの権威と栄光を祝福をもって継承された、唯一の方であることを再確認させていただきました。どうか、この一年を感謝するとともに、新しい年に向かった私たちを主に信頼し仕え従う者へと整えてください。今朝の導きを感謝いたします。

主イエス・キリスト様の御名により、皆さまのお祈りと合わせまして、このお祈りを御前におささげいたします。アーメン。

賛美: 今月の歌・新聖歌396「きよしこの夜」

今月のワーシップソング「I Love You Lord」

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:2コリント13:13

I Love You Lord

(Words & Music by Laurie Klein)

I love You Lord,

And I lift my voice,

To worship You

O my soul, rejoice

Take joy my King

In what You hear

May it be a sweet, sweet sound

In Your ear.

 

Worship: あがめる、礼拝する

Rejoice: 喜ぶ

May it be …: ~でありますように

(祈る時のフレーズ)