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メッセージ主題:『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2018年1月7日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 今月のワーシップソング 「Glorify Thy Name」

使徒信条: 新聖歌p.826

交読: 交読文6:詩篇第22篇:新聖歌p.883-884

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌137「聖なる 聖なる」

 

聖書拝読:ルカの福音書10章25節~37節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「彼は言った。『その人にあわれみをかけてやった人です。』するとイエスは言われた。『あなたも行って同じようにしなさい。』」(37)

 

メッセージ主題:『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

 

先週は、『律法と預言を成就するイエス様の言うことを聞く』と題して、イエス様がモーセとエリヤといっしょに話をしていたという箇所から、イエス様の神性と権威についての理解を深めるよう、主に導いていただきました。今朝は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』と題して、イエス様の良きサマリヤ人の譬えを中心に、私たちの隣人とはだれであるのかを考えるよう、導いていただきます。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

ある律法学者がイエス様を試そうと、「何をしたら永遠のいのちを自分のものとしてうけることができるでしょうか」と問いました。律法学者や祭司長たちは、自らが義を守り行なうことで永遠のいのちが得られるという考えでした。それは律法主義であり、自己義認の主張であります。律法主義や自己義認は正しいこと行えば救われるという考えで、人は律法を守っていれば正しい行動ができ、その律法を守ることによって永遠のいのちが自らの努力で得られるというものです。

 

イエス様はそうではなく、救いは神様の憐れみと恵みによるものであって、行ないによって永遠のいのちが得られるのではないと主張します。つまり、神様への心が伴っておらず、自分への栄光を求める善行は、偽善であるという考えで、悔い改めて神様の方を向くことが大切であると説くのです。キリスト教では、聖いイエス様が十字架にかかり私たちの罪を、イエス様の命を代償として、すべて帳消しにしてくださったと信じ、聖霊が私たちの心に降りて住まわれることで、永遠のいのちにあずかることが可能となると考えます。

 

律法学者は、イエス様の言葉尻を捕まえ、論破しようと「永遠のいのちを得るための方法」をイエス様に尋ねました。イエス様はユダヤ教の経典である旧約聖書に書いてある律法に、その答えを尋ねます。「心を尽くし、思いを尽くして、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」と「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という二大律法を相手に言わせました。ユダヤの人ならだれでも知っていることです。これはキリスト教でも最も大切な教えです。

 

律法学者は「だれが隣人か」とイエス様に執拗にせまります。イエス様は、良きサマリヤ人の譬えをお話しになります。30節にある「強盗に襲われるある人」とは、ふつうのユダヤ人です。その平民ユダヤ人が半殺しの目にあって道で動けなくなっているにも関わらず、通りがたった同じユダヤ人である祭司とレビ人(律法学者)は無視をし、関わりになりたくないので避けて通りすぎてしまいます。しかし、通りがかったサマリヤ人は、半殺しになっているユダヤ人を助けるのです。サマリヤ人は歴史的に純粋なユダヤ人ではなく混血であり、ユダヤ人からはさげすまされていました。ユダヤ人とサマリヤ人は交流もなく、仲も悪かったのですが、このサマリヤ人は動けないユダヤ人を近くの宿屋に連れて行き、介抱し、宿賃と治療代2デナリを前払いし、旅を続け、また帰り道に寄り、2デナリで足らなかった分はその時に清算すると宿屋の主人にことづけます。1デナリとは、1日分の日当に相当するそうです。

 

そして、イエス様は、質問してきたユダヤ人とそして私たちに、「あなたも行って同じようにしなさい」と告げるのです。では、この時のサマリヤ人はどのように強盗にあったユダヤ人を助けたのでしょうか。①オリーブ油とぶどう酒で応急処置を施し、②自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、③介抱し、④宿屋の主人にお金を渡し介抱してやってくれと頼み、⑤旅の帰り際に立ち寄って様子を確認し清算を行うこと約束しました。現代の状況にあわすなら、①応急処置をし、②救急車と警察を呼び、③病院まで付き合い、④病院で前金を支払い、⑤後日見舞いと清算に現われるといったところでしょうか。

 

一昨年の夏、私は恥ずかしいことをしました。夕方、教えている専門学校からの帰り道、自転車で帰っているところだったのですが、ふと歩道で倒れて起き上がろうとしている老男性が目に留まりました。その時私は車道で走っていました。危ないなと思いましたが、車道を走っていることを理由に通り過ぎてしまいました。50メーターぐらい行ったところで、やはり気になり手を貸そうと思い、歩道に乗り換えて、さっきの所まで行きました。そうすると、3人の中年女性が、すでにその老人の両手を抱え、ベンチに座らせようとしていました。わたしは助けがあったとほっとする一方で、すごく恥ずかしい気持ちになって、その場を逃げるように立ち去りました。クリスチャンでありながら、また良きサマリヤ人の譬えを知っているはずなのに、それを実行できなかった自分がいることに愕然としました。その時、このイエス様のお言葉、「あなたも行って同じようにしなさい。」が頭の中をグルグル駆け回っていました。その日、この箇所を示され、何回も読み返しました。そして、もう二度とこのように見捨てるようなことはすまいと決心しました。

 

私たちの隣人とは、勿論、家族であったり友達であったりしますが、見ず知らずの通りがかりの人、またユダヤ人とサマリヤ人のように嫌いあっている者同志でもあることを、再確認させていただきましょう。親切にしても、そのお返しのできない人に、親切にすることをイエス様はこの良きサマリヤ人の譬えを通して、私たちにお語り下さっています。そして、イエス様はおっしゃいます。「祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸です。義人の復活のときお返しを受けるからです。」(ルカ14:13-14)また、次のようにもおっしゃいます。「ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。」(ルカ6:36)

 

今から黙想をいたします。今日のメッセージを振り返りながら、あなたの今の隣人とはだれなのか、主に教えていただきましょう。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、私たちの隣人を私たち自身のように愛すること、親切にすること、そしてその隣人とは誰のことなのか学ばせていただきました。イエス様にお仕えするように、私たちの隣人にも仕えることができますように、またその見返りを求めず、主の栄光を現わし賛美することができますようお導きください。

主イエス・キリスト様の御名により、皆さまのお祈りと合わせまして、このお祈りを御前におささげいたします。アーメン。

 

賛美: 今月の歌・新聖歌135「御霊は天より」

今月のワーシップソング「Glorify Thy Name」

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:2コリント13:13

 

Glorify Thy Name

(Words & Music by Donna Adkins)

 

Father, I love You,

I praise You,

I adore You,

Glorify Thy name in all the earth.

Glorify Thy name,

Glorify Thy name,

Glorify Thy name in all the earth.

 

(Jesus)

(Spirit)

 

praise: 賛美する、ほめたたえる

adore: あがめる

glorify: 栄光をたたえる、賛美する

Thy: あなたの、なんじの

in all the earth: 全地で

Spirit: 聖霊