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メッセージ主題:『信じる者は決して死なない』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2018年2月11日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌420「雨を降り注ぎ」

賛美: 今月のワーシップソング 「Jesus, What A Wonder You Are」

使徒信条: 新聖歌p.826

交読: 交読文10:詩篇第31篇:新聖歌p.886-887

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌191「慕いまつる主なるイエスよ」

 

聖書拝読:ヨハネの福音書11章1節~45節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』彼女はイエスに言った。『はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。』」(25-27)

 

メッセージ主題:『信じる者は決して死なない』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

 

先週は、『主と共にいる幸せと生き返る喜び』と題しまして、イエス様の放蕩息子のたとえから、救いについての理解を主に深めさせていただきました。今朝は、『信じる者は決して死なない』と題しまして、イエス様による、マルタとマリヤ姉妹の弟ラザロの復活を通して、イエス様を信じることがすべてであることを聖霊様に教えていただきたいと思います。

 

まず、お祈りいたしましょう。(祈り)

 

イエス様はラザロが病気なのを知り、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」(4)とおっしゃいました。これはラザロが死んだとしても生き返るのを予告するだけのものではなく、後のイエス様ご自身の十字架の死と復活をも預言したものであります。ここですでに、イエス様は「死は克服できるものである」ことを示唆しているのであります。では、どうしたら、死を克服できるのでしょうか。

 

イエス様は次のように続けます。「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです。」(9-10) これは、ただ一日の昼夜のことをおっしゃっているのではありません。「光がその人のうちにないから」とおっしゃいました。この言葉を裏返せば、「人に光がうちにあれば、つまずかない」ことを意味しています。では、その人のうちにある光とは何でしょうか。イエス様は、ご自身が世の光であると宣言されます。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)また、こうも告げられます。「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」(ヨハネ9:5) つまり、イエス様ご自身が世の光であり、昼とはイエス様がこの世にいらっしゃる間のことであります。イエス様に従う者は、いのちの光をもつのです。総じて、「光がその人のうちにある」とは、「イエス様がその人のうちにいらっしゃる」ことで、その人はつまずかないのです。イエス様に従う者には、その人のうちにイエス様がとどまるとおっしゃるのです。

 

そして、そのことを伝えた後で、「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」『死からよみがえらせる』とおっしゃるのです。また、姉のマルタにはっきりと「あなたの兄弟は、よみがえります。」と告げます。この事は今朝の中心聖句へとつながって行きます。

 

イエス様は、「ラザロは生き返ります。なぜなら、わたしは、死を克服しよみがえってくるからです」とおっしゃっておられるような気がします。これは、イエス様が十字架にかかって死なれ、その三日目によみがえることを示唆しています。

 

では、ここまでで、すこし整理しますと、「ラザロが生き返るのは、イエス様が死を克服してよみがえるからであり、そのイエス様は世の光であり、イエス様を内にもつ人は、つまづかない」のであります。では、どのようにしてイエス様を内に持つことができるのでしょうか。

 

それが、25節に表わされています。「わたしを信じる者は、死んでも生きる」とありますように、イエス様を信じることがイエス様を内にもつことにもなり、内に光があるようになるのです。ただただ、イエス様を信じ、信頼するだけで、イエス様はわたしたちの内に住まわれるのです。

 

イエス様は、マルタに「生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」と問い、マルタは躊躇せず、即座に、「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」とイエス様に申し上げます。

 

今の私たちにも、イエス様はマルタの時のようにおっしゃいます。「生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」さて、私たちはマルタのように「信じております」とストレートに答えられるでしょうか。

 

もしも、少しでも躊躇したり、自信がなかったりするのであれば、あなたは信じていないのも同じなのです。また「信じたい」というのも、信じていないことなのです。「信じる」には中途半端はありません。「信じる」か「信じていない」のどちらかです。

 

ラザロは、イエス様をとおして、よみがえりました。それは、イエス様ご自身がご自身の死をもって、私たちの罪を帳消しにし、よみがえって、私たちをも死からよみがえらせることを期待させます。「死んでも生きる」とはラザロのことも含まれていますが、私たちも、この世での肉体は死んだとしても、新しい未知の体によみがえって、永遠のいのちをいただけるのです。

 

さて、皆さんはいかがでしょうか。マルタと同じように、「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」と信仰告白できるでしょうか。今一度、皆さんと一緒に、この告白をさせていただきましょう。

 

『イエス様は、よみがえりです。いのちです。イエス様を信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてイエス様を信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』『はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。』

 

今から黙想をいたします。今朝のイエス様からのメッセージである、「イエス様を信じる者は決して死なない」ということを、もう一度振り返ってみましょう。イエス様を信じ切れない自分がいるとしたら、どうしてなのかを導いていただきましょう。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、イエス様を信じることで、イエス様が私たちのうちにとどまってくださり、私たちの光としてつまずかないように導いて下さることを教えていただきましたから感謝いたします。また、イエス様を信じることで、死んでも生きることも学びました。どうか、私たちの目が常に主を見上げていますように、主から目を離さないようにお導きください。主イエス・キリスト様の御名により、感謝して、皆さまのお祈りと合わせまして、このお祈りを御前におささげいたします。アーメン。

 

賛美: 新聖歌397「神の御子にますイエス」

賛美: 今月の歌・新聖歌1「いざ皆きたりて」

今月のワーシップソング「Jesus, What A Wonder You Are」

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:2コリント13:13

アーメン四唱:新聖歌59.7



Jesus, What A Wonder You Are

{Jesus, How Lovely You Are}

(Words & Music by Dave Bolton) マンガ聖書物語112.jpg

 

Jesus, what a wonder you are,

You are so gentle,

So pure and so kind.

You shine,

Like the morning star.

Jesus, what a wonder you are.

 

Wonder: 不思議、驚き

Gentle: 優しい、温和な

Pure: 純粋、高潔

Kind: 優しい

Shine: 輝く