· 

メッセージ主題:『信仰=古い自分を脱ぎ捨てる:願い=信仰告白』

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2018年2月18日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌20「主の真実はくしきかな」

賛美: 今月のワーシップソング 「Jesus, What A Wonder You Are」

使徒信条: 新聖歌p.826

交読: 交読文11:詩篇第32篇:新聖歌p.887-888

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌89「神は独り子を」

 

聖書拝読:マルコの福音書10章46節~52節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。そこで、イエスは、さらにこう言われた。『わたしに何をしてほしいのか。』すると、盲人は言った。『先生。目が見えるようになることです。」(51-52)

 

メッセージ主題:『信仰=古い自分を脱ぎ捨てる:願い=信仰告白』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

 

先週は、『信仰:信じる者は決して死なない』と題しまして、イエス様による、マルタとマリヤ姉妹の弟ラザロの復活を通して、イエス様を信じることがすべてであることを聖霊様に教えていただきました。今朝は、『信仰=古い自分を脱ぎ捨てる:願い=信仰告白』と題しまして、エリコの町での、バルテマイという盲人のこじきの目が見えるようになったイエス様の奇跡をとおして、信仰が病を癒し、いのちを与えることを、また、信仰とは古い自分を脱ぎ捨てることであること、願いは信仰告白であることを、イエス様から学ばせていただきましょう。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

この盲人のバルテマイは、イエス様の噂を聞き、イエス様が近くにいらっしゃるのを知って、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と群衆の中で、叫び続けました。彼は目が見えませんから、このように叫び続けなければ、イエス様が気がついていただけないと思ったのかもしれません。大ぜいの人が、彼をなだめようとしましたが、効果はありませんでした。それほど、バルテマイは必死でした。必死に、「癒されること」をのぞんだのです。

 

彼は乞食でしたから、立って叫んだのではありません。座っていて、身を低くしたままで、叫び続けたのです。ですから、イエス様に指示された弟子たちが、バルテマイに、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言われたのです。バルテマイは、ひれ伏しているような状態で大声で叫んでいました。彼は不安でした。目が見えないことに対しての不安ではありません。イエス様が気がついていただけないことへの不安でした。ですから、大声でイエス様に気づいていただこうと叫び続けたのです、「イエスさま、わたしをあわれんで下さい」と。

 

これは、私たちが不安になった時に「神様」「主よ」と天を仰ぎ見るのと全く同じであります。私たちは、神様もイエス様も肉の目では見えません。いわば、バルテマイのように盲人と同じなのです。ただ違うのは、バルテマイは神様だけでなく他も見えていないというだけのことです。たしかに目が見えないというのは不自由で不便です。私たち、目の見える者たちは感謝すべきですが、一番大切な方、神様やイエス様が見えないのですから、バルテマイと同じぐらい哀れな者なのです。

 

イエス様はその哀れなバルテマイと私たちに、直接的にか間接的に、「心配しないでよい。近づいて来なさい」とおっしゃるのです。なんと嬉しいことでしょう。私たちの目には見えない神様は私たちに気付き、いえ、実はずっと見ていて下さっておられるのですが、私たちの方が気づいていないだけなのです。そのイエス様が、招かれるのです、「心配しないでよい。近づいて来なさい」と。そして、闇の中をさまよい意気消沈していた私たちは、そのお言葉に勇気づけられ、励まされ、立ち上がることができるのです。イエス様のお声は、私たちに「立ち上がる」力を与えてくださいます。バルテマイがそうでした。

 

バルテマイは「上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのことに来た」とマルコは記録しています。では、どうしてバルテマイは上着を脱ぎ捨てたのでしょうか。イエス様がおっしゃったわけではありません。イエス様は「近づいて来なさい」とおっしゃっただけのはずです。しかし、バルテマイは上着を脱ぎました。バルテマイは分かっていたのです。古い自分を脱ぎ捨てなければ、イエス様の憐れみと恵みにはあずかることはできないということを。

 

バルテマイはすでに期待したのです、もう乞食の服装をする必要がないことを。すでにイエス様によって癒されることを確信し、乞食の服を脱ぎ棄て、新しい自分になれることを。なぜなら、イエス様に呼ばれたからであります。「近づいて来なさい」と呼ばれたからです。バルテマイは、すなおにイエス様の声に従いました、目が見えるようになることを確信して。

 

イエス様は近づいて来たバルテマイに「わたしに何をしてほしいか」とお尋ねになりました。もちろん、イエス様にはバルテマイの願いは分かっています。しかし、あえてお尋ねになったのです。彼の信仰を試されるのです。「口に出して願いをいいなさい」とおっしゃるのです、「このわたしがあなたの願いをききます」と。「あなたの願いは何ですか。あなたの信仰はどこにありますか」と確認されるのです。

 

今、イエス様は、このメッセージをお聞きの皆さんにも、「あなたの信仰はどこにありますか。あなたの信仰を口に出して告白をしなさい」とおっしゃっておられます。使徒パウロがローマ人への手紙で、次のように導かれて述べているのと同じであります。「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえられてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(10:9-10)

 

そうです。あなたの願いも求めも、イエス様の御前に口に出して差し出すのです。それはただ単に願いを差し出したのではなく、あなたの信仰を差し出したことになるのです。バルテマイは、「先生。目が見えるようになることです」と告げました。彼は、彼の信仰を御前に差し出したのです。そして、その願いは、当然聞かれ、彼はすぐさま見えるようになりました。それだけではありません。彼は、イエス様の行かれる所について行った、つまり弟子になったのです。肉体の目だけではなく、心の目も開かれたのです。

 

皆さんはいかがでしょうか。今、ほとんどの方は、肉体の目は開いていらっしゃるでしょう。居眠りをされておられる方は別ですけれども。では、心の目はどうでしょうか。半開きになっていませんでしょうか。また片方はつぶったままではないでしょうか。イエス様は、そんな状態を「二心」とおっしゃるかもしれません。どうか一つ心で、その心の目を開けていただきましょう。バルテマイが言ったように、私たちも「イエス様、心の目が見えるようになることです」とはっきり口に出して願いを差し出しましょう。パウロがいうところの「信じて告白すれば救われるのです」。信じて願えば、願いは聞かれ、私たちは救われるのです。イエス様は私たちにもおっしゃってくださいます、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と。

 

古い自分を脱ぎ捨て、立ち上がって御前に近づき、イエス様に願いを差し出しましょう。あなたの信仰を告白してください。「私の心の目を開けてください。私の目を見えるようにしてください。」あなたの願いは、あなたの信仰告白なのです。

 

今から黙想をいたします。今朝のイエス様からのメッセージであります、「古い自分を脱ぎ捨て、イエス様の御前に、願いを口で告白する」ということを、イエス様にさぐっていただきましょう。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、日々古い自分を脱ぎ捨てて主に従うこと、主に「願いをたくす」という信仰告白を行なうことをお教えくださり、感謝いたします。どうか、いつも心の目を開け続けて行けますようにお導きください。イエス様だけを見つめ歩めるように私たちを整えてください。主イエス・キリスト様の御名により、感謝し、皆さまのお祈りと合わせまして、このお祈りを御前におささげいたします。アーメン。

 

賛美: 新聖歌402「暗き谷間をたどるときも」

賛美: 今月の歌・新聖歌1「いざ皆きたりて」

今月のワーシップソング「Jesus, What A Wonder You Are」

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:2コリント13:13

アーメン四唱:新聖歌59.7



Jesus, What A Wonder You Are

{Jesus, How Lovely You Are}

(Words & Music by Dave Bolton)

 

Jesus, what a wonder you are,

You are so gentle,

So pure and so kind.

You shine,

Like the morning star.

Jesus, what a wonder you are.

 

Wonder: 不思議、驚き

Gentle: 優しい、温和な

Pure: 純粋、高潔

Kind: 優しい

Shine: 輝く