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メッセージ主題:『祈りの家である内なる神殿を汚してはいけない』

ぶどうの木キリスト教会

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2018年3月18日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌141「イエス君は」

賛美: 今月のワーシップソング 「Holy Holy Holy」(#137)

使徒信条: 新聖歌p.826

交読: 交読文14:詩篇第37篇:新聖歌p.890

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌45「十字架の血に」

 

聖書拝読:マルコの福音書11章15節~18節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「そして、彼らに教えて言われた。『「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。』」(17)

 

メッセージ主題:『祈りの家である内なる神殿を汚してはいけない』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

 

先週は、『仕えにきた王』と題しまして、エルサレム入城において、馬ではなく、ろばに乗って、人に仕えるために来た救い主なる王イエス様の姿から、「希望は失望に終わることがない」ことを学ばせていただきました。今朝は、『祈りの家である内なる神殿を汚してはいけない』と題しまして、エルサレム入城後、宮の中で神様のことを考えず、商売の場所として利用していることに憤りを感じ、彼らを追い払われた、イエス様の思いを学ばせていただきます。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

エルサレムの町は、この時過越の祭でもありますので、地方からの参拝者でごったがえしていました。当然、神殿の周りや神殿の中には参拝者を当て込んでの、いけにえの動物が売られ、神殿税を納めるためのユダヤ通過シュケルに両替する両替商も忙しくしていました。勿論、彼らは神殿の祭司たちによって許可を得、いけにえの動物などは、傷物でないという祭司たちの点検承認が必要でした。その賑やかな様子は、恐らく、日本の神社のお祭りのイメージを想像していただければ良いかもしれません。出店が立ち並び参拝者に声がかけられています。また参道での土産物屋さんのイメージにも似ているかもしれません。つまり、彼らは商売人であり、神を礼拝している訳ではありません。彼らの目的は世の富でした。そして、祭司たちもそれらの商売人から許可料や承認料を取っていました。一番の問題は、それらのことが神殿の中で行われていることでした。神殿は聖なる場所として存在しているはずが、いつの間にか、世俗の物が中に入って来てしまっている状態だったのです。

 

イエス様はその神を恐れない状態を悲しまれ、憤りを覚えらえました。イエス様は、それらの商売人を追い出し、売り場を一掃しようとされたのです。神殿の聖性を保とうとされたのです。

 

イエス様は、イザヤ書を引用して、神殿のことを「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」とおっしゃいました。イエス様はよくイザヤ書を引用されますが、これは、56章6-7節のところにございます。お読みいたします。「また主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった外国人がみな、安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家を呼ばれるからだ。」この「わたしの家」とは、神殿のことを指し、「外国人」とは、異教から改宗した異邦人のことを示します。

 

主がおっしゃるように、「神殿は祈りの家」であります。「祈り」とは「主との親しい会話であり交わり」であります。勿論、「祈り」の中には、「主への恐れ、主を拝する、主の御名を讃える・崇める」ことが含まれています。ですから、私たちは、「主」が創造の神であることを覚え、そのことに対する畏敬の念を忘れてはいけませんが、「主との交わり」は心をすべて打ち明けることのできるものであるべきだと私は思うのであります。

 

皆さんは、エルサレム神殿での祈りのシーンをビデオや映画で見られたことがございますでしょうか。神殿では、立てる人は立って、個人個人、神に祈りをささげている様子がよく再現されています。祈りの基本は、神様と個人の親密なる交わりなのであります。イエス様はそのことを思い、現実、目の前で繰り広げられている神殿での商売を憂い、「祈りの家が強盗の巣と化している」ことに怒りをあらわにされました。「強盗の巣」とは大変きびしい表現です。強盗は金目当てです。宝を盗む輩です。イエス様は、祭司たちも含め、神殿での商売人を、神を恐れない金目当てで、「神殿の宝」である「祈りの聖性」を神殿から盗んでしまったと責めたのであります。

 

さて、ここから私たちは何を学ぶべきでしょうか。私たちの神殿とはどこでしょうか。教会堂ですか、祈禱所でしょうか、それとも個人の家のいつもお祈りをささげている部屋でしょうか。パウロは、私たちのからだこそ、聖霊の宮であると主張します。第一コリント書の6章19節をお読みいたします。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もやは自分自身のものではないことを知らないのですか。」 私たちは、すでに、私たちがイエス様を救い主と信じ受け入れた時点で、私たちの内に聖霊が下りて宿られていることを知っています。聖霊の住まわれるところが、主の宮であり、神殿であります。イエス様が十字架にかけられ死なれた時、神殿の至り聖所にある光を遮断する分厚い幕が裂けたと同時に、主を信じる私たちのからだが神殿とされることになったのです。そして、パウロが「あなたがたはもやは自分自身のものではない」と訴えるように、私たちは、主に降伏し、主に私たちのからだと心を明け渡したのであります。私たちの神殿である心は、「祈りの聖性」を保つ「祈りの家」でなければいけません。

 

今、イエス様は、私たちにおっしゃいます。「あなたにあるわたしの家は、祈りの家となっていますか」「あなたはそれを強盗の巣にしてはいませんか」「あなたの心はどこにありますか」

 

私たちは、このことを真剣に問うてみる必要があります。私たちの個人個人の祈りは、本当に主との親しい交わりとなっていますでしょうか。主に対して、私たちの心は全く開放していますでしょうか。何か閉ざされている戸はございませんでしょうか。また、祈りの時に、雑念が入りませんでしょうか。『今日は、何を食べようか、何を着ようか、何をしようか、どこで誰と会おうか』と、そんな雑念が主との会話をさえぎっていませんでしょうか。また、すぐに主との交わりに戻れず、心が流されたままになってしまっていませんでしょうか。イエス様は、続けておっしゃいます。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」(マタイ6:21)「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい」(19)「自分の宝は、天にたくわえなさい」(20)つまり、「あなたの心を天におきなさい、わたしにおきなさい」とおっしゃっておられます。

 

私たちは、この世に住んでいます。学校に行く人は行き、仕事や家事をする人はして、また病気と闘っている人は、闘います。しかし、「心はつねにわたしにおきなさい」とイエス様はおっしゃるのです。なぜなら、私たちは、イエス様が代価を払って買い取られたからです。私たちは主のもの、主の所有物だからです。私たちの心をつねに主におくことによって、私たちの内なる神殿は汚れることなく、主の栄光を現わすにふさわしいものとなるのです。どうか、心を常に主におくことで祈りの聖性を大切にしてください。それは主が最も喜ばれることのひとつです。

 

今から黙想をいたします。どうか、心を解放し、すべて主にあずけ、主にゆだね、主に私たちの宝をおかせていただきましょう。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、イエス様のエルサレム神殿での悲しみと怒りを通して、主が私たちにひとりひとりの神殿を大切にしなさいと、心を主におきなさいとおっしゃってくださいますから感謝いたします。どうか私たちの心が、いついかなるときでも主にとどまっていますように、私たちを強め、励まし、お導きくださいますようお願い申し上げます。主イエス・キリスト様の御名により、今朝の恵みを感謝し、皆さまのお祈りと合わせまして、このお祈りを御前におささげいたします。アーメン。

 

賛美: 新聖歌222「罪の深みに」

賛美: 今月の歌・新聖歌505「主われを愛す」

今月のワーシップソング「Holy Holy Holy」(#137)

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:2コリント13:13

アーメン四唱:新聖歌59.7

 

Holy Holy Holy

(By John B. Dykes)

 

Holy, holy, holy. Lord God Almighty!

Early in the morning our song shall rise to Thee;

Holy, holy, holy! Merciful and mighty!

God in three persons, blessed Trinity!

 

holy: 聖なる almighty: 全能者、神

rise: 上がる Thee: あなたに、なんじに

merciful: 慈悲深い mighty: 力強い

persons: ひとりひとり別個の人の複数

blessed: 神聖なる Trinity: 三位一体