· 

メッセージ主題:『神の愛の最高の啓示の始まり』

ぶどうの木キリスト教会

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2018年4月8日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌45「十字架の血に」

賛美: 今月のワーシップソング 「He is Lord」

使徒信条: 新聖歌p.826

交読: 交読文17:詩篇第46篇:新聖歌p.892

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌388「いとも良きものを」

 

聖書拝読:ヨハネの福音書13章21節~35節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。『今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました』。」(31)

 

メッセージ主題:『神の愛の最高の啓示の始まり』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

 

先週は、主の復活祭イースターではありましたが、『今、できることをする』と題しまして、マリヤが高価なナルドの香油をイエス様の頭に注いだことを通して、主が、私たち一人一人に、何ができ、主の御名をあがめることができるのかを、主の御声に耳を傾けさせていただきました。今朝は、『神の愛の最高の啓示の始まり』と題しまして、使徒であったイスカリオテのユダに悪魔が入り、裏切って、祭司長たちにイエス様を売ることを決意したところから、神の大いなる救いのご計画がいよいよクライマックスに入ったことを示され、イエス様のご受難が、神様が栄光を受けられることであることを、主イエス様ご自身が語られたところを通して、神様の愛の偉大さ尊さに想いをはせさせていただきたいと思います。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

今朝の聖書の箇所は、イエス様が名前を伏せられておられましたが、イスカリオテのユダがイエス様を裏切ることを示される場面であります。他の弟子たちは、ユダの裏切りを知る由もありませんでしたから、イエス様のおっしゃることがチンプンカンプンでした。では、なぜイエス様はユダが裏切ることを知りながら、他の弟子たちには隠されたのでしょうか。それは、今朝の中心聖句でありますイエス様のお言葉に、その答えが見いだすことができます。ユダの裏切りによって、イエス様は十字架への道を歩み出されます。それはとても悲しいことではありますが、イエス様は十字架を通し、自らの死をもって全人類の罪を贖い救うことが目的でありますから、ユダの裏切りによって、その十字架にむけての救いの時計がうごきだしたのであります。イエス様はそのことを「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました」と、救いの過程は進行中ですが、栄光を受けたと完了的な言葉で、今すでにその栄光が受けていると述べられたのであります。もしも、イエス様がユダの裏切りを他の弟子たちに知らせてしまえば、弟子たちはユダの裏切りを止めることになり、救いの計画が狂ってくることになるかもしれません。ですから、イエス様は、ユダに「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」(27)とおっしゃって、サタンがはいったユダにすぐに出て行くように仕向けたのであります。

 

確かに、マタイ書には、イエス様ははっきりと「あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります」(26:21)と弟子たちの前で告げられますが、弟子たちは、かわるがわる「まさか私のことではないでしょう。」とイエス様に申し上げるところから、察しますと、弟子たちはイエス様に対する信仰が無くなることを「裏切り」と考えていたのかも知れません。祭司長たちにイエス様を売るという考えには及ばなかった、それほど、ありえないことだったのです。イエス様の「裏切り」という言葉が、弟子たちには「イエス様に対する信仰が無くなる」ことのように響いたのは、無理のないことでした。事実、このイスカリオテのユダの裏切りの話をした後で、イエス様は、ペテロに次のように告げます。「シモン、シモン、見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ書22:31-32)これは、ペテロがイエス様が捕らえられていかれたときに、悲しみと恐怖のあまり、また自己防衛のために、「イエス様を知らない」と言ってしまうことへのつまづきを予告し、そのつまづきから「立ち直るようにと祈った」とペテロに言い聞かせるところであります。このように、弟子たちの耳に届いた「裏切り」は、「信仰が無くなる」ことと理解されたのです。

 

イスカリオテのユダの裏切りは、イエス様の救いの贖いの成就には必然的なものでありますが、ユダの行為は赦されません。イエス様はユダの裏切りに対して、「確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間は呪われます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです」(マタイ書26:24)とおっしゃいます。ペテロの「イエス様を知らない」と弱さゆえに否定してしまう行為は赦されるのですが、イエス様を裏切る行為は赦されないのです。それだけ、イエス様の人類の罪の贖いが、偉大なでものあり、尊ばれ、ほめたたえられるべきものであることを示しています。このことは、聖書において一貫しています。ヤハウェ以外の神を崇める偶像礼拝は、救いをさえぎるものとして、神様の最も嫌われることでありますし、新約聖書においても、イエス様の救いを人において無効にするような、人の信仰を惑わしたり、イエス様がキリストであることを否定したりする反キリスト(にせキリスト)、また反キリスト的な行為は赦されないのです。これは、ユダの行為と次元は異なりますが、イエス様を裏切る行為なのです。このことは、使徒たちの手紙によく論じられていますが、イエス様もそのことに言葉は違いますが触れておられます。マルコ書3章28-29節、ルカ書12章10節に記録されています。マルコ書の方を引用してみましょう。「まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」「聖霊をけがす者」とは、イエス様の福音を否定し、人を救いから遠ざけ惑わす人のことです。彼らは赦されません。なぜなら、イエス様の福音、つまり、イエス様の十字架での受難こそ神様の愛の最高の啓示だからです。神様の一番大切な愛を踏みにじることだからです。このように、神様が赦されない行為は、裏を返せば、神様そのものである愛を踏みにじる行為であるのです。

 

ユダの裏切りは必然でした。しかし、彼の裏切りは赦されません。また反キリスト的な行為をする者、聖霊をけがす者も赦されません。それだけ、神様の愛、そして最大の愛の行為である救いは崇高で絶対なのです。私たちは、イエス様の十字架の贖いを、今以上に尊く崇高なものとして受け入れ直す必要があるのではないでしょうか。私たちは、主の十字架の前に、襟を正し、ひれ伏しつつ、これ以上表現できないほどの喜びと感謝をもって、主の御名をほめたたえようではありませんか。

 

今から3分間という短い時間ではありますが、黙想をいたします。主の臨在を感じ、今朝、主が皆さまそれぞれにお与え下さったメッセージを、いま一度ふりかえらせていただき、心にとどめさせていただきましょう。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、イスカリオテのユダの裏切り行為によって、イエス様が栄光を受け、神様がイエス様によって栄光をお受けになられ、そのことを通して、主の十字架の贖いが、本当に気高く、崇高なものであり、私たちの命であることを思わされ、誠に感謝し、御名をほめたたえます。どうか、今朝のメッセージを心にとどめ、日々、あなた様の十字架を見上げ、あなた様の御名を崇めることができますよう、お導きください。主イエス・キリスト様の御名により、今朝の恵みを喜び感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、この祈りを御前におささげいたします。アーメン。

 

賛美: 新聖歌430「われ主に従いまつらん」

賛美: 今月の歌・新聖歌257「キリストは生きておられる」

今月のワーシップソング「He is Lord」

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:エペソ3:14-21、2コリント13:13

アーメン四唱:新聖歌59.7

He is Lordマンガ聖書物語130.jpg

He is Lord, He is Lord
He has risen from the dead
And He is Lord
Every knee shall bow
Every tongue confess
That Jesus Christ is Lord

You are Lord, You are Lord
You have risen from the dead
And You are Lord
Every knee shall bow
Every tongue confess
That Jesus Christ is Lord

 

has risen: あがる(よみがえる) the dead: 死者

Lord: 主、君主 knee: ひざ

bow: 曲げる tongue: 舌 confess: 告白する