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メッセージ主題:『真の大祭司』

ぶどうの木キリスト教会

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2018年5月13日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌101「イエスよ十字架に」

賛美: 今月のワーシップソング 「You Are My Hiding Place」

使徒信条: 新聖歌p.826

交読: 交読文22:詩篇第65篇:新聖歌p.896-7

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌297「神はわが力」

 

聖書拝読:マタイの福音書26章57節~68節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「イエスは彼(大祭司)に言われた。『あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります』。」(64)

 

メッセージ主題:『真の大祭司』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

 

今日は母の日ですね。諸教会では「母の日」にちなんだメッセージをされるところも多いのではないでしょうか。当ぶどうの木キリスト教会では、通年の主日礼拝主題を「イエス・キリストの生涯」と題しまして、毎週、イエス様の生涯を時系列に沿ってメッセージをさせていただいていますので、ご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。さて、先週は、『逃れの道』と題しまして、イエス様が役人たちに捕らえらえた時、弟子たちが共に捕らえられないようにされたところから、主は常に私たちを守られる、永遠のいのちを得るための逃れの道を開いてくださることを学ばせていただきました。今朝は、『真の大祭司』と題しまして、イエス様の「神の右の座に着かれる」ということはどういうことなのかについて、共に学ばせていただきたいと思います。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

イエス様はひとり、大祭司カヤパの所に連行されてきました。そこは、律法学者や長老たちが手をこまねいて待っていた場所でありました。ユダヤ式の裁判の場でもありますが、もちろん、彼らはイエス様を無罪にするつもりなどはさらさらなく、いえ、死刑にするために、わざわざ偽証まで数人立てて、準備していたのであります。

 

大祭司はイエス様に次のように問いました。「私は生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」 「生ける神によって」とありますが、口語訳や新共同訳では「生ける神に誓って」とありまして、これは、この命令は絶対的なものであることを意味しています。「神という最高権威のもとに」という意味にもとれるでしょう。イエス様の「黙して語らず」という姿勢は、大祭司から見れば、「罪を黙認した」ことになるのです。レビ記5章1節では、「人が罪を犯す場合、すなわち、証言しなければのろわれるという声をききながら――彼がそれを見ているとか、知っている証人であるのに――、そのことについて証言しないなら、その人は罪の咎を負わなければならない。」ということに基づいた、大祭司の問いでありました。大祭司はどうしても、イエス様の口から、「わたしがキリストである」と言うのを聞き、それを神を冒瀆している証拠とし、ゆえに死刑を求刑したかったのであります。もちろん、当時、政治と宗教とは権限が分離していましたので、大祭司といえども、死刑を宣告することはできませんでした。ダビデ以降、バビロン捕囚前まで、つまり紀元前1000年頃から紀元前600年頃までは、政治と宗教は統一されていて、宗教最高権力者に権力が集中していました。しかし、バビロン捕囚後は、政治と宗教の権限が分離したのです。ちょうど、そのころ宗教上の最高権威者の称号「大祭司」という言葉も生まれました。つまり「大祭司」という言葉は、政治と宗教の分権の推移の中で生まれた称号でもあります。少し横道にそれましたが、大祭司カヤパは、イエス様の死刑が妥当であることを、当時のローマ支配での政治権力者に提訴するための、十分な証拠や証言、告白がほしかったのであります。

 

イエス様は、その大祭司の「生ける神によって」との命令に対して、答えざるを得なくなりました。そこで今日の中心聖句です。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」 キリストとは、ギリシャ語の「油注がれた者」という意味で、ベブル語のメシヤに相当するものです。当時の民は、ダビデの家系からでる偉大な救い主であり、ローマ支配を終わらせ、民を解放することのできる方としてキリストに希望をいだいていました。イエス様は御自身を「キリストである」と認め、かつ、「力ある方の右の座に着く」ことを明らかにされました。「力ある方の右の座に着く」とは、神に直接、民のために執り成しできる方であり、神から最高の権威が与えられる方を意味しています。それは、「大祭司」のことでもあり、「王様」のことでもあります。当時の大祭司はそれだけの権威と権限を持っていました。つまり、イエス様はキリストであり、大祭司であると、二つの称号を神から授かっていると、当時の大祭司カヤパに向かって述べたのであります。大祭司カヤパは、イエス様のこの言葉に怒りを隠せず、自分の衣を引き裂いて叫びました。「神への冒涜だ!」。実は、大祭司は、悲しみや怒りを表す「衣服を引き裂く」という行為を許されていませんでした。レビ記がそれを記述しています。「あなたがた(大祭司)は髪の毛を乱してはならない。また着物を引き裂いてはならない。あなたがたが死なないため、また怒りが全会衆に下らないためである。」(10:6、参照21:10) 禁じられた行為をしてしまうほどに、カヤパは怒りをコントロールできず、露わにしたのです。

カヤパの怒りは、本当に「神への冒涜」から来ているのでしょうか。私は、実はカヤパは、三十そこそこの若造が、自分と同じ大祭司であり、キリストであると主張し、そして民衆の人気も集まっていることへのやっかみが、カヤパの怒りを爆発させた主なる原因ではないかとみています。

 

今朝は、このカヤパが怒り心頭した、「神の右に座す」ことと「大祭司」のことをもう少し見させていただきましょう。それには、ヘブル人への手紙が一番良いのではと思っています。

 

まず、1章2節3節をお読みいたします。「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」ここで分かりますことは、「神の右の座に着かれる」方は、罪のきよめを成し遂げる方であることです。罪を本当の意味で赦す権限のある方は、神以外にはおられません。しかし、赦す権限を神から授かった方が御子であり、父の右に座すことを許された方であります。

 

また、8章1節2節には、「大祭司」と「神の右の座に着かれる」方とがつなげられています。「私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、人間が設けたのではなくて、主がもうけられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。」 「真実の幕屋」とは「天にある神の住まい、御国」のことであります。では、「大祭司」の職務とはいったい何でしょうか。ヘブル8章3節には、「大祭司は、ささげ物といけにえとをささげるために立てられます」とありますように、大祭司は神と民の間を執り成すかたであります。このことをヘブル書5章では詳しく述べられています。全てお読みいただければ良いのですが、一番重要なところを一緒にお読みいたしましょう。7節から10節までです。「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」メルキゼデクという大祭司のことは、同じくヘブル7章にのっていますが、要約すると、人であり、王であると同時に祭司であり、神様から直接任命され、「義の王」「平和の王」と呼ばれたかたです。これは、まったくキリストと同じなのであります。

 

当時の大祭司カヤパは、ここまでのことは知る由もありませんでした。しかし、彼は、イエス・キリストの人気と能力に嫉妬し、また、自分の大祭司という地位を脅かす者として恐怖に怯え切ってしまっていたのです。それは、逆に言えば、イエス・キリストが真の大祭司であることを、無意識のうちに認めていたことにもなるのではないでしょうか。いえ、イエス様の弟子たちでもなく、ローマ軍でもなく、大祭司カヤパこそが、唯一、イエス・キリストが救い主であり、メルキゼデクと同等の大祭司であることを知っていたのです。

 

今から3分間、黙想をいたします。主の臨在を感じ、今朝、主がお語りくださいました「イエス・キリストこそが、私たちの真の大祭司である」ことを覚え、感謝の祈りをささげましょう。それでは、静まりの時をとおし、心を主とひとつにさせていただき、主をあなたの贖い主、大祭司として受け入れ、主が今あなたにお語りくださいますことに耳を傾けましょう。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、「真の大祭司」と題しまして、主が私たちのために、神様に執り成して下さっていることを覚え、また常に、いついかなるときでも、主が私たち個人個人の大祭司であられ、今も私たちと共にあられることを感謝いたします。主イエス・キリスト様の御名により、十字架の救いとお導きとご愛を感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、この祈りを御前におささげいたします。アーメン。

 

賛美: 新聖歌166「威光・尊厳・栄誉」

賛美: 今月の歌・新聖歌104「十字架の上に」

今月のワーシップソング「You Are My Hiding Place」

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:エペソ3:14-21、2コリント13:13

アーメン四唱:新聖歌59.7

 

You Are My Hiding Place

(Words & Music by Michael Ledner)

 

You are my hiding place

You always fill my heart

With songs of deliverance

Whenever I am afraid

I will trust in You

I will trust in You

Let the weak say I am strong

In the strength of my Lord

I will trust in You.

 

Hiding place: 避け所

Deliverance: 解放、救出

Trust in: 信頼する

The weak: 弱き者 Strength: 力