· 

メッセージ主題:『ユダヤ人の王』

ぶどうの木キリスト教会

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2018年5月27日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌176「イエスは汝を呼び給う」

十戒:末ページに記載

賛美: 今月のワーシップソング 「You Are My Hiding Place」

使徒信条: 新聖歌p.826

交読: 交読文24:詩篇第66篇:新聖歌p.898-9

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌515「わが罪のために」

 

聖書拝読:ルカの福音書23章1節~12節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「するとピラトはイエスに、『あなたは、ユダヤ人の王ですか。』と尋ねた。イエスは答えて、『そのとおりです。』と言われた。」(3)

 

メッセージ主題:『ユダヤ人の王』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、『イエス様の眼差し』と題しまして、使徒ペテロが鶏が鳴く前に、三度イエス様を知らないとして、自分の身を守ってしまったところから、しかし、イエス様はそんなからし種ほどもない信仰の私たちを、それでも愛してくださるのだということを学ばせていただきました。今朝は、『ユダヤ人の王』と題しまして、イエス様がピラトのもとに連行された時に、ピラトはイエス様のことを「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と確認しますが、その「ユダヤ人の王」とは、さまざまな立場でどういう価値存在だったのかを学ばせていただきたいと思います。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

新約聖書の時代のユダヤの民たちの中での「ユダヤ人の王」というイメージはどういうものだったのでしょうか。今朝はまず、このところをある程度、把握しておきたいと思います。

 

ユダヤの民が「王」を認めたのは、サウルでありました。紀元前1020年ごろに、サウルは油を注がれて王に即位します。その後、ダビデ王、ソロモン王と続き、ソロモン王が死去した紀元前922年までが、未曽有の繁栄の黄金世紀となりました。しかし、ソロモン王の後、北王国のイスラエルと南王国のユダに分裂し、国力は弱くなり、隣国の侵略を受けやすくなって行きます。そして紀元前585年頃からのバビロン捕囚が50年60年とも言われますが、それによって、事実上、王制が衰退してしまいます。そしてイエス様までの約400年間、ユダヤは、大祭司を中心とする支配となっていきました。もちろん、イエス様の時代は、ローマ支配となり、当時のヘロデ王はユダヤ人ではありましたが、ローマ支配下での、いわゆる雇われ王のような存在でした。

 

ですから、ユダヤの民の頭の中には、「ユダヤ人の王」といえば、サウル王・ダビデ王・ソロモン王の黄金時代のような、何人にも屈せず、強く、華麗な王をイメージしがちなのです。いえ、またそのような王であってほしいと期待してしまうのです。なぜなら、ユダヤの民は、いつの日にかローマ支配からの脱却、独立を夢見ていたからです。それが、キリストによるものであっても、ユダヤの王によるものであっても良かったのです。

 

事実、エルサレムの民たちは、イエス様の一行が、エルサレム入りされると知って、町の入口に大勢で迎えます。ヨハネがそのことを次のように記しています。12章12節~13節です。「その翌日、祭りに来ていた大勢の人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。『ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。』」 彼らはイエス様、彼こそがイスラエルをローマ支配から解放してくださる勝利のメシヤであると期待したのです。

 

このように民衆は、「ユダヤ人の王」に、華々しかったサウル王・ダビデ王・ソロモン王のイメージを重ね合わせ、解放という勝利のメシヤをイエス様に見ようと期待し、歓迎したのです。イエス様が祭司長たちや律法学者たちを論破するところを見て、彼らの中のイエス様への期待は膨らんでいったのです。『やはり、本物のメシヤ、キリストではないか、いや、そうに違いない。』と。しかし、その膨らんだ期待の風船は、祭司長たちに無抵抗のまま、あっさり、捕らえられてしまうことで、パンと音をたてて割れてしまいました。そして、期待していた分、それは失望に終わり、喜びは、ぬか喜びとなり、怒りと化したのです。その失望と怒りは、祭司長たちには好都合でした。民衆を焚きつけ、「十字架につけろ!」と怒りの大合唱が始まるのです。

 

民衆の期待する「ユダヤ人の王」は、祭司長たちより、そしてローマ軍よりも強くなければいけなかったのです。ローマの総督ピラトは、そのような民衆の気持ちを知ってか知らずか、比較的冷静に、「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねます。イエス様の大人しい風貌を見ても、ローマ軍に反逆するようには見受けられず、心にも余裕があったのではないでしょうか。イエス様はここで初めて口を開き、「そのとおりです。」と静かに答えられます。実に、イエス様はピラトの問いに同意されたのです。つまり、ピラトが思う「ユダヤ人の王」に同意されたのです。祭司長たちは、イエス様を「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っている」と、総督ピラトに訴えました。あたかも、ローマへの反乱を企てた首謀者であり、政治的反乱罪にあたると主張していたのです。しかし、ピラトは「この人には何の罪も見つからない」と祭司長たちや群衆に向かって述べます。はやり、ピラトがイエス様に見た「ユダヤ人の王」の姿は、祭司長たちが訴えるものとは異なっていたのです。

 

このことがよく分かる記録があります。それはヨハネ書の18章33節から38節の、イエス様とピラトの問答です。ピラトの「あなたは何をしたのか」という問いに対して、「わたしの国はこの世のものではありません。」と答え、ピラトは「ではあなたは王ですか」という問いに対しては、同意し、その上で「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」と答えられました。最後にピラトの「真理とは何ですか」という問いに対しては、イエス様が答えられたという記録は残っていません。ピラトが、イエス様の言葉をそのまま信じたかどうかは定かではありませんが、イエス様が同意した「ユダヤ人の王」というのは、「真理に属する者の王であり、それらの民はイエス様の声に聞き従う」ということを理解したのです。ですから、ピラトは「このひとには何の罪も見つからなかった」と述べたのです。そして、ピラトは、結局、イエス様を救えず、扇動された民衆の声に負け、イエス様を十字架につけることに同意してしまいますが、その罪状書きには、「ユダヤ人の王」と記したのです。しかも、ヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で、過越の祭に集っていた地方からのユダヤ人たちにも見えるように。そして、祭司長たちがその罪状書きに「ユダヤ人の王」とはしないでほしいと嘆願したのも、押し切って。

 

ピラトは知りたかったのです、「真理とは何か」を。そして、仮にイエス様が真理に属する者の王であるなら、その王がどうなっていくのかを。イエス様の声に聞き従う民はどうするのかを。だから、ピラトは「ユダヤ人の王」という罪状書きは譲らなかったのです。イエス様が初めて口を開き同意した彼自らの問「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」その答えを、彼は見とどけたかったのです。ピラトは知りたかったのです、イエスという人間の内にある「真理に属する者の王」とは何者なのかを。

 

今から3分間、黙想をいたします。イエス様の罪状書きであった「ユダヤ人の王」「真理に属する者の王」のことを主に問うてみてください。黙想しつつ、イエス様が王として何をしてくださったのかを覚えつつ、感謝をささげ、主の御名をほめたたえましょう。主のお導きに、皆さまの心をそえてください。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、「ユダヤ人の王」と題しまして、主が私たちの王として君臨してくださって、私たちを常に真理にお導きくださっておられることを学びました。どうかそのご愛を日々の生活においていつも覚え、主の御名をたたえる者とさせてください。主が私たちを愛してくださいますように、私たちもお互いに愛し励まし合うものとさせてください。愛しまつる主イエス・キリスト様の御名により、十字架の救いとお導きとご愛に感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、この祈りを御前におささげいたします。アーメン。

 

賛美: 新聖歌172「望みも消え行くまでに」

賛美: 今月の歌・新聖歌104「十字架の上に」

今月のワーシップソング「You Are My Hiding Place」

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:エペソ3:14-21、2コリント13:13

アーメン四唱:新聖歌59.7

 

You Are My Hiding Place

(Words & Music by Michael Ledner)

 

You are my hiding place

You always fill my heart

With songs of deliverance

Whenever I am afraid

I will trust in You

I will trust in You

Let the weak say I am strong

In the strength of my Lord

I will trust in You.

 

Hiding place: 避け所

Deliverance: 解放、救出

Trust in: 信頼する

The weak: 弱き者

Strength: 力