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メッセージ主題:『復活への第一歩:野ざらしにならなかったイエス』

ぶどうの木キリスト教会

通年主日親子礼拝主題:『イエス・キリストの生涯』

2018年7月15日 教会創立一周年記念礼拝第二弾

礼拝前祈祷:10:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:11:00

賛美: 新聖歌20「主の真実はくしきかな」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「Seek Ye First」

交読: 交読文31:詩篇第100篇:新聖歌p.904-5

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌19「救いをなし給う」

 

聖書拝読:マタイの福音書27章55節~66節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。」(57-58)

 

メッセージ主題:『復活への第一歩:野ざらしにならなかったイエス』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

また、今朝はぶどうの木キリスト教会、創立一周年記念第二弾の朝でございます。創立日は2017年7月17日、7のよくつく日でございます。7は聖書では絶対数として無限や永遠を現します。創立してから1年を迎えられますことに、神様とささえてくださっておられる皆さまに感謝いたします。と、ここまでは、先週の第一弾と同じ挨拶でございます。第二弾では、この次の一年の願いをほんの少し申し上げさせていただきたいと思います。この一年、日曜礼拝を信徒から牧師としてこの事務所で守り、礼拝説教を整えていただくように祈ってまいりました。次の一年は、この事務所だけではなく、必要とされている所があれば、そこでの出張礼拝や奨励も導かれればと思っています。信徒のいない今だから、できる奉仕かも知れないと思わされています。また、3月に心筋梗塞をしましたので、体と相談しながらではありますが、仕事量がへった分、読書の時間もなるべく多く取りたいとも思っています。

さて、創立記念では、ありますが、いつもどおり、「イエス・キリストの生涯」を見させていただきたいと思います。

 

先週は、『主に栄光を帰する』と題しまして、イエス様が十字架上で放った最後のお言葉「父よ。わが霊を御手にゆだねます」から、イエス様が、この地上でのミッションを完了し、父なる神の栄光を現わす、その姿勢に学ばせていただきました。今朝は、『復活への第一歩:野ざらしにならなかったイエス』と題しまして、イエス様が十字架で死なれ、その遺体を野ざらしではなく、真新しい墓に葬られたことから、神様のご計画を見させていただきたいと思います。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

この時代、慣例としまして、十字架で処刑された罪人は、町の外で野ざらしのまま放置されたと聞きました。イエス様もその一人になっていたはずです。しかし、そうはなりませんでした。57~58節では、アリマタヤの金持ちでヨセフという人がきて、ピラトにイエスのからだの下げ渡しを願って聞きとどけられたとあります。このアリマタヤのヨセフは、マルコ書では、「有力な議員」であると紹介され(15:43)、この議員とはユダヤ人の宗教的最高議会サンヘドリンの議員のことであり、またルカ書では、「議員のひとりで、正しい人」(23:50-51)、ヨハネ書では、「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」人である(19:38)ことが示されています。総合しますと、アリマタヤのヨセフは、金持ちで、権威ある議会の議員であり、正しいことは正しいと言える人で、そしてなにより、イエス様のかくれ弟子でした。ピラトにイエス様の亡骸を引き取らせていただくよう願い出て、それが許可されるためには、相当な有力者でなければいけなかったのです。イエス様公認の弟子は、ピラトのもとにもたどりつけず、直訴もできなかったでしょう。またこの時は、彼ら自身の身も危うかったのです。ですから、遠くからながめているしかなかったのです。アリマタヤのヨセフこそ、神に選ばれ、それまで隠されていた弟子なのです。祭司長たちも、アリマタヤのヨセフが弟子であることは見抜いていませんでした。

 

でも、どうして、祭司長たちは、議員であるアリマタヤのヨセフがイエス様の遺体を引き取らせてくださいと申し出た時に、反対なり妨害をせず、すんなり事をおさめたのでしょうか。彼らは、「イエス様が『三日目によみがえる』と宣言していた」ことを知っていました。もし、イエス様の遺体が、町の外で野ざらしのまま放置されたとしたら、弟子たちが勝手に、その遺体を持ちさって、「イエス様はよみがえった」と吹聴するかもしれないと危惧したに違いありません。事実、祭司長やパリサイ人は、ピラトのところに集って、次のように申し立てています。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後に、よみがえる。』と言っていたのを思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して『死人の中からよみがえった。』と民衆にいうかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。」(マタイ27:63-64)

 

祭司長たちは、イエス様の遺体がなくなって、「イエス様がよみがえった」という噂が流れることが、より厄介なことになることを見抜いていたのです。ですから、アリマタヤのヨセフが、イエス様の亡骸を引き取りにきたのは、渡りに舟といいますか、好都合だったのです。自分たちがイエス様の遺体を引き取るのも、おかしな話ですし、弟子の手には絶対渡したくなかったからです。

 

しかし、神様は、アリマタヤのヨセフを隠れ弟子とし、ある種、切り札として準備されておられたのです。そして、アリマタヤのヨセフは、十字架のあるカルバリ山の近くに、岩を掘って造った個人の新しい墓を持っていたのです。イエス様はその墓に安置されました。もちろん、私たちの神は、全知全能の神であり、全ての事をご存じで、御計画されておられる方であることを重々知っているつもりでありますが、主は働き人を育て、隠し、時が成就して、初めて、その働き人を明らかにされる、私は、このアリマタヤのヨセフの出現を見るにあたって、神様のご計画の緻密さに、鳥肌がたってくる思いなのであります。聖書の中で、アリマタヤのヨセフはこの場面でしか登場しませんが、四福音書に名前が記された人で、いわゆる、スポット的に登場した方ではありますが、神の御計画を遂行する大変重要な役目をになった人なのです。

 

彼は、アリマタヤのヨセフは、イエス様の弟子とはなったものの、議員という要職にあり、そのことを明らかにできないでいました。明らかにするということは、職を失うだけではなく、死をも覚悟しなければなりません。彼は、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると言える人だったかもしれませんが、議会全てを敵にまわすような、イエス様への信仰を告白することは出来ませんでした。しかし、イエス様が十字架上で息を引き取るのを目の当たりにし、「イエス様の遺体を引き取らせていただきたい」という衝動にかられたのであります。それは、三日目によみがえるというイエス様の言葉を信じたからではありません。イエス様の弟子たち、関係者たちは、みな、イエス様の死によって、途方に暮れ、祭司長たちの追求に怯えていたのです。弟子たちが、イエス様の遺体を引き取れるはずはありません。かと言って、野ざらしにするようなこともしたくありません。ヨセフは、思ったのであります。『ここは、議員である私が、引き取りをお願いすれば、大丈夫かも知れない。』そして、彼には一つの勝算がありました。『祭司長たちは、私がイエス様の隠れ弟子であることを知らないから、遺体の引き取りを願い出たとしても、あまり文句も言うまい。彼らも遺体を野ざらしにして、弟子たちに遺体を持って行かれることはしたくないだろうから。』日ごろ臆病なヨセフではありますが、何かに突き動かされるように、ピラトのところに向かいます。そして、ピラトに願い出ます。「閣下、お願いがございます。どうか、私に、あの「ユダヤ人の王」と罪状書きのあるイエスの遺体を引き取らせてください。ちょうど、カルバリ山の近くに新しい墓を私はもっています。そこに葬れば、民衆も納得しますでしょうし、閣下の御寛大なる処置に、皆も閣下に一目置くでしょう。」ピラトは、もとよりイエス様の遺体の処理に全く興味がありません。もうこのユダヤ人内での騒動は早く終わりにしたかったのです。「よきにはからえ」ピラトはそう言って、イエス様の遺体の引き取りの願いを聞き入れるのであります。ヨセフは急いで亜麻布を買い、イエス様を十字架から取り降ろし、ニコデモが持って来た30キログラムの没薬とアロエを混ぜたものを、彼と一緒になって、丁寧に、そして涙とともにイエス様のからだに塗り、埋葬用の香料といっしょに、遺体をその亜麻布に包み、墓に安置したのであります。(マルコ15:46、ヨハネ20:38-41)その間、ヨセフは、今まで、最高議会であるサンヘドリンの議員ということもあり、弟子であることを隠し、臆病になっていた自分をはずかしく思い、またイエス様の死に直面して、弟子であるにもかかわらず、何もできなかった自分の不甲斐なさを、弱さを悔い改めたのであります。アリマタヤのヨセフは、地位もあり、人望もあつく、財産もありました。しかし、それらのすべてを捨ててもいいと思い、イエス様の亡骸を弔ったのであります。彼の記述はここで終わります。彼の消息は分かっていません。ただ、古代の伝説によれば、彼はピリポによって英国に派遣され、ブリュー川の小島に定住したと言われています。福音を伝える者とされたのであります。アリマタヤのヨセフは、それまでの生活を一変させ、福音を伝えるために生きたのであります。涙をもって、イエス様の死を直視し、遺体を丁重に葬り、そして、喜びをもって、イエス様の復活を受け入れ、他の弟子たちといっしょにペンテコステで聖霊に満たされたことでしょう。

 

皆さまは、表舞台に出るようなエヴァンジェリストや有名な牧師先生や高名な神学者になるかもしれませんし、ならないかもしれません。また、多くの人にイエス様を紹介するかもしれませんし、一人も導かれないかもしれません。しかし、これだけは確かです。皆さまは、神様に、そしてイエス様に選ばれているということです。ほとんどの場合、私たちが気がつかない時に、思いもよらない場所で、不思議な方法で、私たちの主は、私たちを用いようと準備されておられるのです。主が、私たちに対して、すでに準備されておられるということは、今の時点で、今のあなたのままで、もう主のお役に立っているということなのです。アリマタヤのヨセフは臆病者でした。しかし、そのことを天のお父さまはそのように準備され、ヨセフを、イエス様を墓に葬るという役目のために用いられたのです。ヨセフは、イエス様の復活のための重要な役割をになったのです。それだけではありません。彼はその後福音を伝え続けたのです、主を見上げつつ、この世での命が尽きるまで。私たちの、主のご計画されておられる目的、用いられ方は、私たちには分かりません。が、しかし、今の皆さまのままで、主は皆さまを愛され、準備されておられるのです。どうか、自分を過小評価しないでください。皆さまに対する、主の目的に対して、期待し、祈り求め続けていきましょう。あなたの小さなものかもしれない、今の働きは、後に世代を超えて大きな宣教のうねりの一助となるかもしれないのです。主にあって、自信をもって下さい。主が常に伴って、あなたを整えてくださっておられることを確信してください。

 

今から3分間、黙想をいたします。今朝は、私たちに対する、主の隠された目的、主が福音宣教への働きのために、私たちを準備されておられることを学びました。どうか、主の導きに常に従えるよう、私たちの心がいつも主にあるように、主に求め願っていきましょう。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝は、「復活への第一歩:野ざらしにならなかったイエス」と題し、アリマタヤのヨセフの姿を通して、主が、主の時に、私たちをお使いくださるために、今、ご準備されておられることを学びました。どうか、私たちが常に主の御顔を拝し、主の御声をきき、主とお話しできていますよう、私たちをお導きください。また、先日の豪雨による被災地域の方々、また関係者、ボランティアの方々の健康が守られ、事故や二次災害からも守られますように。また、暑い中であります。熱中症からも、すべての方々が守られますようにお祈りいたします。

今朝の学びを、主イエス・キリスト様の御名により、感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、この祈りを御前におささげいたします。アーメン。

 

賛美: 新聖歌355「主と共に歩む」

賛美: 今月の歌・新聖歌113「君もそこにいたのか」

今月のワーシップソング「Seek Ye First」

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:エペソ3:14-21、2コリント13:13

アーメン四唱:新聖歌59.7

 

Seek Ye First

(Words & Music by Karen Lafferty)

 

Seek ye first the Kingdom of God

And His righteousness

And all these things

Shall be added unto you

Allelu Allelujah

 

Seek: 探し求める

Ye: = you

Kingdom: 王国

Righteousness: 義(正しいこと)

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