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メッセージ主題:『耳を傾ける人の助け人として』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2018年11月4日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌388「いとも良きものを」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「In His Time」

交読: 交読文44:詩篇第139篇:新聖歌p.914-5

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌515「わが罪のために」

聖書拝読:使徒の働き10章34節~45節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「そこでペテロは、口を開いてこう言った。『これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。』」(34-35)

メッセージ主題:『耳を傾ける人の助け人として』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、『宣教の苦しみにも勝る救いの喜びと平安』と題しまして、神によるパウロの召しを通して、パウロは宣教の召命を帯び、その宣教の苦しみはイエス様が負われた十字架そのものでありますが、それを覆ってあまりある救いの喜びと平安があることを学ばせていただきました。今朝は、『耳を傾ける人の助け人として』と題しまして、カイザリヤに駐在しているコルネリオ、イタリヤ隊という部隊の百人隊長に、使徒ペテロが会い、彼らが救いを渇望していることを知り、「異邦人であってもイエス様の福音に耳を傾ける人たちは、救いを受けることができる」ことをはっきりと悟るところから、主の救いの恵みは、すべて神の御計画であり、神に選ばれ、耳を傾けるように導かれた人たちに、差別なく全員に、降り注がれること、そして使徒ペテロがコルネリオたちの助け人であったように、私たちも助け人となりうるということを学ばせていただこうと思います。

まず、お祈りいたします。(祈り)

この使徒の働き10章は、ローマ軍の百人隊長であるコルネリオと使徒ペテロの出会いの記述であります。主は、御使いを通し、まずコルネリオに臨み、ペテロが泊っている皮なめしのシモンという人の家に行くように告げます。また、一方、ペテロにも夢の中で、「神がきよめた物をきよくないと言ってはならない」(15節)と告げ、そのことを思案しているときに、コルネリオからの使者が訪ねてきます。そしてコルネリオはペテロを招き、今までのいきさつをペテロに話します。ペテロはようやくその夢でのお告げが、「神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられる」ことであったと悟るのであります。そして、ペテロがイエス・キリストを証しし、救いの恵みを語っているときに、「みことばに耳をかたむけていたすべての人々(つまり、異邦人も含まれていますが)その人たちに聖霊がお下りになった」のです。彼らは、まだバプテスマを受けていませんでしたが、すでに福音に耳を傾けている時に、主が臨まれ、主を受け入れる心の準備をなさっておられたのです。

コルネリオたちは、ペテロと会う前から、すでに主の導きがありました。つまり、すでに主によってコルネリオたちは救いの恵みにあずかるために選ばれていたのです。そして、彼らは主の教えに対して、謙遜で、飢え渇きをもって聞く姿勢ができていました。33節でそのことを告げています。「いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」 私は、このコルネリオの熱心であり謙虚な姿に、イエス様にどうしても悪霊に取り憑かれている娘を救っていただきたいとひれ伏して願った、あのカナンの女の姿がダブルのです。(マタイ15章にあります) イエス様は初め「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と告げ、その女にイエス様の救いの使命が、散らされたイスラエルの民にあることを重ねておっしゃられ、その女の信仰と必死さを試されました。しかし、その女は「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と『異邦人でも、主の御前に出て待ち望めば、主の癒しや救いの恵みにあずかることはできるのではないですか』とイエス様にある意味せまったのであります。はたして、イエス様はその女のけなげな願いを聞き入れ、娘を癒やします。彼女のように、異邦人でありながら、イエス様を主と仰ぎ、癒しや救いを求めれば、イエス様は、その人の信仰を見、その求めに応じられるのです。これは、イエス様のお言葉通りです。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7-8、ルカ11:9-10)しかし、私たちはなんでも求めることができるのでしょうか。願いは聞き入れられるのでしょうか。イエス様は次のようにおっしゃいます。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらの(必要な)ものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)「神の国」とは、神の支配であり、「神の義」とは、神様との正しい関係のことを示し、神を神として恐れ敬い、御名をあがめつつ、感謝をもって生活するということであります。平たく言えば、神様を第一とし、神様につねに寄り頼む生活であります。つまり、自己中心的な私利私欲の求めをしても、それは神様を第一としていませんから、その求めには応じられないでしょう。イエス様に癒しを迫ったあの女性は、イエス様を主と信じ切羽詰まった願いを、イエス様にぶつけたのです。そして、その願いは聞き届けられました。コルネリオたちもそうです。主の御前に出て、主の教えである福音を求めたのであります。そして、あのパンくずの女性にしても、コルネリオにしても、「願い求める」気持ちは、自然発生的に出たものではなく、主がそのようにすでに導かれておられたのです。つまり、主が、すでにあの女性もコルネリオも選ばれておられたのです。イエス様は、弟子たちに次のように述べています。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ15:16) しかし、これは弟子たちの任命だけにとどまりません。イエス様は救おうとされる人たちを選び、飢え渇きを与え、聞く耳を整え、助け人を備えてくださるのです。このメッセージを聞いてくださっておられる皆さまも、主に選ばれ整えられた人たちです。すでにイエス様を救い主であると告白した人も、また決めかねている人も、すでにイエス様によって選ばれているということを覚えていていただきたいのです。私たちは救われるべくして救われるものなのです。資格などはいりません。ただ、ひとつの条件があります。それは、イエス様を自らの救い主、神と信じると告白することだけです。私たちは、イスラエルの民ではありません。しかし、主に選ばれ、主を求めたいと思わされ、導かれて、ここにいます。コルネリオたちは「耳を傾ける」ように整えられ、使徒ペテロという助け人を備えられたのです。皆さまも、今日のメッセージに「耳を傾ける」よう整えられ、若輩者ではありますが、メッセージを語る私が助け人として備えられているのです。私が偉いわけではありません。今日と言う日のこの時間に限り、助け人としての役割を仰せつかっているのに過ぎません。主が何を、私を通しておっしゃりたいかと申しますと、皆さまはすでに救いにあずかっているか、その過程にあります、そして、主のご計画はその救いだけにはとどまりません。主のご計画は、皆さまを「神様からのメッセージに耳を傾ける」ことを通して、次の助け人として用いようとして訓練されていらっしゃるのです。コルネリオに対して使徒ペテロが助け人であったように、また9章で学ばしていただきましたサウロことパウロに対して弟子のアナニヤが助け人であったように、8章で学ばしていただきましたエチオピア人の宦官に対して使徒ピリピが助け人であったように、皆さまが、皆さまに現在・未来において関わるであろう方の助け人として、ある場所で、ある時期に、イエス様の証人としての助け人となるように、今、集められておられるのです。どうか、主の証人としての整えと訓練と導きと出会いを祈り求めてください。それは、ペテロがそうであったように、アナニヤがそうであったように、またピリポがそうであったように、「神の国とその義とをまず第一に求め」る生活、つまり、神様を第一とし、神様につねに寄り頼む生活、神様を喜ぶ生活、神様にすべてにおいて感謝する生活を、無償の救いにあずかる私たちの責任、私たちの分として心がけていきましょう。主とともに歩む生活を、お互いに励まし合いながら、祈り合いながら、大いに楽しませていただきましょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、今朝のメッセージから示されたことを祈り求めてみてください。主の証人であり、主が選ばれた「救いを求めている人たち」の助け人と整えられるよう、私たちが主に用いられるよう、主の御前に願い出てみてください。

(3分間黙想)

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、御名をあがめ、賛美いたします。私たちの内に住みたもうキリスト様の働きによって、私たちは常に喜びと平安で満たされ、また守られていますことに感謝いたします。どうか主の証人として、隣り人の助け人として、私たちを整え、お使いください。そのために私たちのやるべき責任を分をお教えください。

主イエス・キリストの御名により、今朝の学びを感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、この祈りを御前におささげいたします。アーメン。

賛美: 新聖歌511「主にありてぞ」

賛美: 今月の歌・新聖歌406「主にありて生くるとき」(献金の時)

今月のワーシップソング「In His Time」

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

In His Time

(Words & Music by Diane Ball)

In His time, in His time In His/Your time: 主の(ご計画の)時に

He makes all things beautiful

In His time

Lord, please show me ev’ryday

As You’re teaching me your way, Your way: 主の道

That you do just what you say

In your time.

In Your time, in Your time

You make all things beautiful

In Your time

Lord my life to You I bring

May each song I have to sing

Be to You a lovely thing

In your time.