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メッセージ主題:『教会をあげて祈り続ける→祈りは必ず聞かれる』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2018年12月2日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌67「わが心は」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「主を仰ぎ見て」

交読: 交読文46:詩篇第148篇:新聖歌p.916

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌108「丘に立てる荒削りの」

聖書拝読:使徒の働き12章1節~17節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」(23)

メッセージ主題:『教会をあげて祈り続ける→祈りは必ず聞かれる』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

先週は、『主にとどまる幸い』と題しまして、お話しさせていただきました。ユダヤ人以外の人々によって、アンテオケのギリシア人たちに、主イエスの福音が宣べ伝えられ、エルサレムから派遣されたバルナバは、タルソにいたサウロ(後のパウロ)を連れ出して、共にアンテオケにて多くの人々に福音を語たり、そして、その地で、キリスト信者ははじめて、「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。そのところから、バルナバが説いた「常に主にとどまる」ということを学ばせていただきました。今朝は、『教会をあげて祈り続ける→祈りは必ず聞かれる』と題しまして、お話しさせていただきます。ヘロデ王のキリスト教徒に対する迫害が激しさを増し、十二使徒のヤコブが殺されてしまします。エルサレムの教会は、怯えきっていました。そしてついに、ペテロが捕まってしまいます。教会ではペテロが牢に閉じ込められたのを知って、ステパノやヤコブに続いてペテロが殺されるのではないかと心配し、教会をあげて祈っていたのであります。はたして、その祈りは聞かれ、主は不思議な力をもって、ペテロを牢から救い出します。このところから、『教会をあげて祈る→祈りは必ず聞かれる』ということを今朝は学ばせていただきましょう。

まず、お祈りいたします。(祈り)

エルサレムから北に遠く離れたシリヤ領のアンテオケでは、ギリシャ人や他の異邦人たちの間でイエス・キリストの福音が広がっておりました。そこにパウロとバルナバによって、福音の地盤固めが行われていました。しかし、そのころ、エルサレムでは、ヘロデ王によります迫害の嵐が吹き荒れておりました。もうキリスト教徒たちは、戸を閉め、息を殺しながらの生活を強いられていたのです。そして、ついに十二使徒のペテロが捕まり投獄されたというニュースが入ってきます。

「おーい、大変だ。ペテロが捕まった。ステパノも殺され、ヤコブも殺され、この次はペテロだ。」

「私たちはどうすればいいのだ。」

「どうすればって、祈るしかないじゃないか。イエス様に祈って、助けてもらうんだよ。」

「でも、ペテロは牢獄の中。それに、牢を抜け出したとしても、ローマ兵の監視が2重、3重にある。どうしたら、そこを無事に通り抜けることができるんだ。」

「分からんよ。でも、私たちの神様は、全知全能の神。イエス様をよみがえらせた父なる神じゃないか。私たちには祈るしかないんだよ。祈ろう。」

「そうだな。じゃあ、みんな手をつないで、心を一つにして祈ろう。」

「イエス様もおっしゃっておられたじゃないか。『もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。』と。」(マタイ18:19-20)

こうして、エルサレム教会の人たちは、二人三人と集まっては、日夜、祈り始めたのであります、「兄弟ペテロをお救いください」と。しかし、彼らは、「ペテロを救ってください」というお願いだけを祈りの中でしていたわけではありませんでした。彼らはイエス様に教えていただいたお祈りの仕方を守っていたのでございます。

イエス様はおっしゃいました、「だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天で行なわれるように地でもおこなわれますように。』」(マタイ6:9-10)

イエス様は、具体的なお願いの祈りをささげる前に、次のことに心を留めなさいとおっしゃっておられるのでございます。私たちが祈りをささげる相手は神様であり天のお父様であり、私たちは子であること、それはイエス様が神様と私たちをもともとの親子関係に戻していただいたのだということ。それを感謝の気持ちをもって、また親しみをもって、「天にいます私たちの父よ」と、私たちは神様の御前に自らを差し出すことができるのでございます。

そして、次にイエス様は、「御名があがめられますように」と祈りなさいとおっしゃっておられます。つまり、神様の御名をあがめなさい、神様の栄光が現われますようにとお祈りしなさいとおっしゃられるのであります。

エルサレムの教会の人たちは、そのことを忠実に守り、その上で「ペテロをお救いください」と祈りました。彼らは、彼らの祈りが天の父なる神様に聞き届けられると確信していました。なぜなら、彼らの中に、イエス様がいらっしゃるからであります。イエス様が彼らの祈りを、天の父なる神様に執り成してくださっておられるからでございます。

はたして、彼らの祈りは聞き届けられ、ペテロは主の助けによって、牢を抜け出し、監視もくぐりぬけて、無事に彼らのところにやってきます。

(戸をたたく音)

「おーい、私だ、ペテロだ、門を開けてくれ。」

ロダという女中が応対します。

「え? ペテロさん、まさか、本当にペテロさんなの?」

「そうだよ、私だ。だから、やはく門を開けてくれ。」

ロダは門をあけることも忘れて、みんなの所にかけ込み、知らせます。

「みんな、ペテロさんよ。ペテロさんが戻ってきた。」

「ばかな。あの牢獄や監視をぬけて来ることなんざ、無理だ。ロダ、あんたはどうかしてるよ。」

「ほんとうよ、ペテロさんよ。行って、その目で確かめてください。」

「ヘロデの手下じゃないだろうな。それか御使いか。」

彼らは、みんなで門の所にいき、門をたたき続けている男に声をかけます。

「お前は、誰だ。」

「ペテロだよ、早く門を開けてくれ。声を忘れたのか。」

「本当だ、ペテロの声だ!」

彼らが門を開けると、そこにはペテロが立っていたのでございます。

それを見るなり、彼らはペテロを中に引入れ、抱き合って喜んだのであります。

彼らは、手をつなぎ、心一つにして、熱心に祈っていました。しかし、不安で仕方がなかったのです。イエス様のおっしゃられたように、イエス様もその祈りの場にいらして、天の父なる神様に執り成しをしていただいていることも分かっていましたが、でもはやり不安だったのでございます。

私たちは、不安を打ち消すように、より一層熱心に祈るのでございますが、その熱心さだけでは不安を取り除くことはできません。とくに一人で祈るときはそうです。しかし、二人三人といっしょになって心を一つにして祈ると、その不安も少しは解消されます。なぜなら、イエス様がそこには必ずいらっしゃるからでございます。

それでは、どうして、まだ不安は残るのでございましょうか。それは、イエス様のお言葉、「何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです」(マタイ18:19)というお言葉に確信が持てないからでございます。また、イエス様が示されました模範的なお祈り、主の祈りの中の「みこころが天で行なわれるように地でもおこなわれますように。」というお言葉を信じ切れていないからでございます。

祈りは必ず聞かれる。この確信を弟子たちが得られたのは、主がペテロを救い出し、彼らがペテロと再会した時でございました。彼らは喜び、感謝し、そして主の御名をほめたたえたのでございます。

主は、一人の祈りも聞かれます。しかし、教会をあげて心一つとなって祈る時、不安は薄れ、「祈りは必ず聞かれる」という確信へと変わります。私たちは弱いものであります。ですから、二人三人と手を取り合って、主の臨在を感じて祈る祈りには、より力があります。その力は、天のお父様に届き、また私たちへと力が戻って来て、より一層の祈りへと励まされます。そして「主の答えを期待しつつ、待つ力」へと変えられていきます。

一人で祈るだけではなく、二人三人での祈り、また教会全体での祈りを通して、私たちの主イエス・キリストに大いに期待いたしましょう。「祈りを聞いてくださり、また天のお父様に執り成してくださって、感謝いたします。主の御名をあがめます」と、祈って願う時、必ず、主に先取りの感謝をささげましょう、「祈りは必ず聞かれる」と確信をもって。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝のメッセージであります「教会をあげて祈り続ける→祈りは必ず聞かれる」ということから、学ばれたことをもう一度振り返ってみてください。

(3分間黙想)

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、御名をあがめ、御国に思いをはせつつ、賛美いたします。今朝は「教会をあげて祈る→祈りは必ず聞かれる」と題しましてして、主からメッセージをいただきました。一人でも祈り、グループでも祈る、そのような常に祈る、つねに主と語ることを、そして祈りには力があることを学ばせていただき、心から感謝いたします。どうか、私たちが、「アバ、父よ」と言えるごとく、イエス様を通して神様と親子関係にあり、主の御名を讃美することができますように。救われた喜び、守られているという平安を常に忘れず、主と語り、主を想い、主に祈り、祈りは必ず聞かれることを確信できますように。感謝を気持ちをもって、主と共に歩ませていただけますよう、私たちをお導きください。

主イエス・キリストの御名により、今朝の学びを感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、この祈りを御前におささげいたします。アーメン。

賛美: 新聖歌68「久しく待ちにし」

賛美: 今月の歌・新聖歌76「諸人こぞりて」(献金の時)

今月のワーシップソング「主を仰ぎ見て」

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

賛美「主を仰ぎ見て」♬

主を仰ぎ見て 力を得よ

主は我が力 我が盾

主を仰ぎ見て 光を得よ

主が全てを 成し遂げられる

私にせまるどんな山も

越える力 与えてください

私が恐れず ただ主を信じ

進むことができるように

 

 

十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。