ぶどうの木キリスト教会
礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』
2018年12月9日
礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り
礼拝:10:00
賛美: 新聖歌27「来る朝ごとに」
使徒信条: 新聖歌p.826
賛美: 今月のワーシップソング 「主を仰ぎ見て」
交読: 交読文47:出エジプト記第20章:新聖歌p.916-917
十戒:末ページに記載
祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り
賛美: 新聖歌111「生くる甲斐もなしと」
聖書拝読:使徒の働き13章32節~39節(新改訳聖書)(輪読)
中心聖句:
「モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」(39)
メッセージ主題:『解放のおすそわけ』
おはようございます、そしてお帰りなさい。
聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大事にしてみてください。
先週は、『教会をあげて祈り続ける→祈りは必ず聞かれる』と題しまして、お話しさせていただきました。ヘロデ王のキリスト教徒に対する迫害が激しさを増し、十二使徒のヤコブが殺されてしまします。エルサレムの教会は、怯えきっていました。そして、ついに、ペテロが捕まってしまいます。教会ではペテロが牢に閉じ込められたのを知って、ステパノやヤコブに続いてペテロが殺されるのではないかと心配し、教会をあげて祈っていたのであります。はたして、その祈りは聞かれ、主は不思議な力をもって、ペテロを牢から救い出します。このところから、『教会をあげて祈る→祈りは必ず聞かれる』ということを先週は学ばせていただきました。今朝は、『解放のおすそわけ』と題しまして、お話しさせていただきます。12章のエルサレム教会での迫害と神の御業のことから、13章では、再びアンテオケ教会のことに話は移ります。アンテオケではバルナバとパウロが中心となって宣教が進められていました。16節からパウロの力強いメッセージが始まります。そのメッセージの中の中心的な言葉が、今朝の中心聖句39節でございます。モーセの律法が行いを中心とし、救いにあずかろうとするのに対して、パウロはイエス様への信仰のみが救いに導くのだと主張するのでございます。今朝はそのところから、私たちの信仰を今一度確認させていただきたいと思います。
まず、お祈りいたします。(祈り)
アンテオケの会堂では、パウロは自ら手を上げ、奨励を行なっています。エルサレムで起こった、イエスの十字架の話を、神が先祖たちに対してなされた約束であると強調するのでございます。
「神は、エルサレムの指導者たちが十字架につけ、墓に葬ったイエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫に救いと解放の約束をはたされた。」
パウロは詩篇第二篇7節を引用します。
「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と書いてあるとおり、神はイエスを死者の中からよみがえらせました。神がイエスをよみがえらせたということは、もはや朽ちることのない方とされたということです。」
パウロは、神がイエスを朽ちることのない方とされたということは、神と同等になったということ、そして神から罪を赦す権威をさずかっていることを強調するのでございます。そして、モーセの律法へと話がおよびます。
「律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないのです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるだけです。人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるのです。」(ローマ3:20&28)
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません。ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、つまり、イエスの尊い血によって私たちの罪はぬぐわれ、帳消しになったので、私たちは価なしに義と認められるのです。アーメン」(ローマ3:23-24)
「モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、キリスト・イエスによって、解放されるのです。ハレルヤ」(使徒13:39)
「つまり、神は、御子イエスの肉のからだにおいて、しかもその死によって、イエスを信じる者をご自分と和解させてくださいました。それはイエスを信じる者を、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」(コロサイ1:22)
「この福音をあなたは信じますか」と民衆に迫るのでございます。
しかし、いつの世でも心をかたくなにした人たちがいるように、このパウロの話に反対し、口ぎたなくののしるユダヤ人たちがいました。
「お前の話なんて眉唾ものじゃないか。イエスはよみがえったのではなくて、弟子たちがイエスの亡骸を持ち去って、話をでっちあげたんだと聞いているぞ。そもそも、お前も、キリスト教徒を先頭きって迫害していたじゃないか。この裏切り者!」
パウロとバルナバは、同じユダヤ人たちから、このような罵声を浴びて、悲しくなり、しかし、天を見上げ、再び彼らに目をやって、はっきりと宣言したのでございます。
「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。」(使徒13:46)
そして、その後、パウロとバルナバは、異邦人に対して集中的に福音を宣べ伝えることになるのでございます。その恩恵を、異邦人である私たちも、今、受けているのでございます。
さて、私たちは、このパウロの言葉から、信仰において、もっとも大切なことを学ばねばなりません。それは、イエス・キリストへの信仰が、私たちを罪から解放し、私たちを救いへと導くということでございます。私たちは、ただイエスを救い主キリストと信じる信仰を始めることで救われるという恵みに感謝するだけなのでございます。たくさん献金をしたから救われるのではございません。一生懸命教会奉仕をしたから救われるのでもございません。多くの人に伝道しなければ救われないというのは大間違いでございます。まず、イエス様に対する「信仰による救い」ありきなのでございます。私たちは救われた嬉しさゆえに、喜びゆえに、他の方々にも神様のことをお伝えしたい、そうであるはずでございますね。だれだってそうじゃございませんでしょうか。いただいた物をおとなりの方々に「おすそわけです」と持って行くこともございますでしょう。それは喜びを分かち合う精神です。それと同じでございます。ただでいただいた物は、ただで差し上げる、そんな気持ちを大切にしたいものでございます。福音伝道という言葉に、その一生懸命さゆえに、のらくらな私なんかはちょっと抵抗がある時もございます。ただただ喜びをおすそ分けしたい、平安をおすそわけをしたい、私の救いのおすそわけをしたい、と願うからこそ、イエス・キリストの愛をお伝えしたいと思うのでございます。おすそわけをしなくてはならないと思うのではなく、したいと思うのでございます。それは常日頃から相手を思いやる気持ちがあるからでございましょう。
「おーい、熊さん、いるかい。今日は、ハマチのいいのが入った。この前玄関の戸が閉まりにくいのを直してくれただろ、世話になったから、ちょっと一緒に食べようと思ってよ。生きがいいから、刺身でな。どうだ。うまそうだろ。」
「八ぁん、いつも、すまねぇな。ハマチは俺の大好物だ。ありがとうよ。俺には、なんもねぇけどよ。今日、横丁の隠居のところの雨漏りなおしてたんだが、ちょっとお茶でもどうぞと隠居がいうもんだから、休憩していると、隠居がよ、嬉しそうに、こう聞くんだ。熊さんや、この言葉知っているかいって。『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためでなく、御子によって世が救われるためである。』(ヨハネ3:16-17)この『世』と『者』というところを、『熊』に置き換えて読んでごらんな。ありがたいよって。それで読んでみるとこうなんだ。『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、熊を愛された。それは御子を信じる熊が、ひとりとして滅びることなく、(まあ、俺はひとりしかいねぇんだけどな)永遠のいのちをもつためである。神が御子を熊に遣わされたのは、熊をさばくためでなく、御子によって熊が救われるためである。』 俺は、嬉しくなったね。なんかイエスというお方が、本当に自分のために、命を犠牲にしてまで、救ってくださるんだって思うとよ。だから、今日はこのことを八ぁんに話そうと思ってたところなんだ。イエスっていうお方が、自分みたいな者のところにわざわざ近づいてきてくださる。ありがていじゃねぇか。」
「熊さん、いい話をきかせてくれたね。ハマチぐらいだったらもったいねぇ話だ。イエスっていうお方はキリストとかメシアと呼ばれているそうじゃねぇか。これも隠居の受け売りなんだけどよ、キリストやメシアって、『油注がれた者』という意味だそうじゃないか。ハマチに油がのればブリだ。とくにこの12月のブリは極上だ。俺たちも、近づいてきてくださったイエス様の油をちょいといただいて、ハマチからブリになりてぃもんだな。」
この八と熊のように、私は、思いやりを大切にしながら、イエス様の極上のお話のおすそわけをさせていただきたいものだと思うのでございます。そのためにも、「信じる者は救われる」ということを確信をもって常日頃から救われた先取りの感謝をし、共に喜んでいるものでありたいと願うのでございます。
パウロは私たちを励まします、「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16)「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9-10)
「モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」(使徒13:39)
ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「解放のおすそわけ」という神様からのメッセージから、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。
(3分間黙想)
お祈りをいたします。愛する天のお父さま、御名をあがめ、賛美いたします。今朝は「解放のおすそわけ」と題しまして、主からメッセージをいただきました。どうか私たちも臆することなく、いえ、喜びと感謝をもって、福音を、主の愛を伝えるものとさせていただきましょう。福音を伝えなくてはと思うのではなく、福音を伝えたいと思えるように、主を伝えることが私たちの日常生活のスタイルとなりますように、私たちをお導きください。
主イエス・キリストの御名により、今朝の学びを感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、この祈りを御前におささげいたします。アーメン。
賛美: 新聖歌82「牧人 羊を」
賛美: 今月の歌・新聖歌76「諸人こぞりて」(献金の時)
今月のワーシップソング「主を仰ぎ見て」
献金の祈り
「主の祈り」(新聖歌p826)
頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」
祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
アーメン四唱:新聖歌59.7
賛美「主を仰ぎ見て」♬
主を仰ぎ見て 力を得よ
主は我が力 我が盾
主を仰ぎ見て 光を得よ
主が全てを 成し遂げられる
私にせまるどんな山も
越える力 与えてください
私が恐れず ただ主を信じ
進むことができるように
十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。