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メッセージ主題:『天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神』

ぶどうの木🍇キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2018年12月16日(北野病院にて)

 

聖書拝読:使徒の働き14章12節~18節(新改訳聖書)(静読)

中心聖句:

「私たちも皆さんと同じ人間です。そしてあなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように福音を宣べ伝えている者たちです。」(15b)

 

メッセージ主題:『天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神』

 

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。。

 

先週は、『解放のおすそわけ』と題しまして、お話しさせていただきました。12章のエルサレム教会での迫害と神の御業のことから、13章では、再びアンテオケ教会のことに話は移ります。アンテオケではバルナバとパウロが中心となって宣教が進められていました。16節からパウロの力強いメッセージが始まります。そのメッセージの中の中心的な言葉が、先週の中心聖句39節でございます。モーセの律法が行いを中心とし、救いにあずかろうとするのに対して、パウロはイエス様への信仰のみが救いに導くのだと主張するのでございます。先週はそのところから、私たちの信仰を今一度確認させていただきました。今朝は、『天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神』と題しまして、お話しさせていただきます。13章のアンテオケ教会を起点として、パウロの伝道旅行がはじまります。パウロは3回の伝道旅行をしますが、第1回はアンテオケからイコニオムとルステラを往復するのみの短いものでした。この地方では、ギリシャ神話にでてくるゼウスやヘルメスが崇拝されていました。パウロとバルナバたちがパウロの説教に耳を傾ける脚の不自由な人に信仰を見て、大声で癒します。それを目の当たりにした群衆は、パウロをゼウス、パルナバをヘルメスと呼んであがめようとします。それを制止した言葉が、今朝の中心聖句です。癒しの御業を行なったのはパウロでもバルナバでもなく、創造の神であると群衆を説き伏せるのでございます。このところから、全ての業は天地創造の神のものであり、崇むべきは神であり、それ業を介した人ではないという謙遜を学ばせていただきたく存じます。

 

まず、お祈りいたします。(祈り)

 

パウロはアンテオケで語ったように大胆な口調でこう語ったかも知れません。

「神はイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされました。ですから、あなた方に罪の赦しが宣べ伝えられているのはこのイエスという方によるということを、よく知っておいてください。信じる者はみな、この方によって、解放され、救われるのです。」(使徒13:34ー39抜粋)

 

その時、パウロにはある男が目に入っていました。その男は脚が不自由で床に座って、パウロに訴えるように見つめていました。「パウロさん、あんたのいうイエスというお方がどういうお方かしらんが、その方を神と信じれば、この脚直してくれるんだね。もうゼウスにもヘルメスにもがっかりだ。イエスを信じるよ。」

 

パウロは、その男の声を聞いたような気がして、「そこの人、自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と大声で命じたのでございます。はたして、その男は、びっくりし飛び上がり一瞬のうちに癒され歩き出したのでございます。

 

それを見ていた群衆の中に熊と八がいました。

 

「おい、八、見たかい、今の奇跡。」

「あたぼうよ、熊。あれを見ねぇでいったい何を見るってんだい。あの飛び上がって喜んでいる奴はよ、俺も知ってる。あいつは小せい頃から、脚がああだったんだ。それがよ、あのパウロとかいうお人が命じただけで、飛び上がった瞬間に直っちまった。あの人はさしずめゼウス様だね。」

「いやいや、ゼウス様だって、あれは直せねぇよ。直せるんだったら、もうとっくの昔に直っているよ。なんせ、お百度詣りも何回もしてんだから、あの足でよ。あのパウロっちゅう人は、人神様だな。」

「うん、人神様にちげぇねぇ。じゃあよ、あのバルナバという人はヘルメスじゃなくて、人神様のお付きの人っていうことか。」

「うん、うん、そうにちげぇねぇ。ありがていじゃねぇか。八、賽銭なげとこう、賽銭。なんだ、100円ぽっちか、そんなんじゃ、ご利益なんてねえぞ。100円じゃあ、ジュースも買えねぇじゃねぇか。そうそう、ケチケチしねぇで、お札を出しな。1000円か、まあ、それでいいだろう。これで、俺と二人分だぁ❗️ほいよっと。」

「なんだよ。今拝んでいる最中だよ。何?半々で500円返せってか。じゃあ、あのパウロ人神様に、500円、釣りくださいって言ってくればいいじゃないか。おいおい、どこに賽銭のお釣りくださいっていうバカがいるか。やめろ、みっともない。」

「なんだよ、まだお願い事終わっていねぇんだよ。えっ!パウロさんは、ゼウスでも人神様でもないって。誰がそんなことを、えっ、本人がそう言っているのかい。なになに、彼らも同じ人間で、人間を崇めるのではなく、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返り、その創造の神のみを礼拝しなさい、だと?」

「それによ、熊、いけにえを捧げることもやめなさいってよ。ひょっとしたらおれの賽銭返ってくるかなぁ。1000円札。」

「もどってこねぇな。ほら見ねぇ。もっと貧しい未亡人たちに渡してるよ。」

「賽銭はよぉ、このお金でお願い聞いてくださいって、出すんだろう。だから地獄の沙汰も金次第っていうだろうが。でもよ、本当の神様はそんな小せいお方じゃないんだって。『恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。』って、パウロさんも言ってらぁな。

あの人たちのは「献金」って言うんだそうな。献金はよ、今降り注がれている神様からの恵みに感謝する気持ちの現れなんだとよ。八、お前がこの前読んでいた詩篇で恵みの話があったじゃねぇか。」

「ああ、あれは、確か、詩篇の94篇だろ。こうだよ、『もし私が、「私の足がよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私を支えてくださいますように。私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。』」

「八、だから、もう1000円札のことでくよくよするんじゃねぇよ。見ねぇ、お前の1000円札もらって涙を流してるよ、あのおかみさん。」

 

まだ、納得できていない八ではありますが、いつか神様からの恵みもわかる時が来ましょう。それも近いようでございます。もう熊は、すでにパウロたちの後を追っております。天地万物を創造された神のことや今まで聞いたこともなかったイエス様のことをもっと知りたくて、八を急かしておりますから。

 

私たち、いえ、全人類の神は天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神、創造主でございます。神は私たち全員に、信じる者も、信じない者へも同じ恵みを与えてこられています。しかしそれは救いの恵みではございません。聖書中の聖句と言われるヨハネ3章16節では、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(イエス)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」とはっきりと述べられています。救いは主イエス・キリストを通してでしかありえません。イエス様はおっしゃいます。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)これは、イエス様を信じた時から、永遠のいのちが始まり、その喜びと平安と感謝で満ちた生活が始められるということでもあるのでございます。

 

どうか、その恵みに感謝し、イエス様のお誕生をお祝いするクリスマスの近い今日という日(第三アドベント)に、主を賛美できます幸いを覚えて、今日のメッセージを終わらせていただきます。

 

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神」という神様からのメッセージから、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

 

(3分間黙想)

 

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、御名をあがめ、賛美いたします。今朝は「天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神」と題しまして、主からメッセージをいただきました。主は生きて働いてくださっておられ、今も私たち一人一人に恵みを降り注いてくださっておられます。今日は第三アドベントということでもあります。喜びと感謝をもって、この主のご愛を伝えるものとさせていただきましょう。来週は全国の諸教会にてクリスマス礼拝がささげられますが、ひとりでも多くの方が礼拝へとみちびかれますように。

主イエス・キリストの御名により、今朝の学びを感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、この祈りを御前におささげいたします。アーメン。