ぶどうの木キリスト教会
礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』
2019時年1月6日
礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り
礼拝:10:00
賛美: 新聖歌244「信ずる者は何びとも」
使徒信条: 新聖歌p.826
賛美: 今月のワーシップソング 「主の栄光、宮に満ちて」
交読: 交読文50:イザヤ第53章:新聖歌p.919-920
十戒:末ページに記載
祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り
賛美: 新聖歌254「心にあるこの安きを」
聖書拝読:使徒の働き17章10節~12節(新改訳聖書)(輪読)
中心聖句:
「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」(11)
メッセージ主題:『イエス・キリストに心をとめる大切さ』
おはようございます、そしてお帰りなさい。
聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみてください。
先週は、『まず、あなた自身が主イエスを信じなさい』と題しまして、お話しさせていただきました。16章では、パウロの第二回の伝道旅行のことが記されております。その旅の途中、ローマの植民都市ピリピでの出来事が、先週の聖書箇所のところでございました。パウロとシラスは、間違いにより牢に入れられてしまいました。しかし、真夜中に大地震が起こって、牢のとびらが全部あいてしまったのでございます。看守は囚人たちが逃げたと思ったのですが、パウロとシラスが他の囚人たちを牢にとどまらせておいたことが分かりました。看守はパウロとシラスの噂は聞いておりましたので、看守も彼らに一目を置き、救いにあずかっていくというというくだりでございます。そして、先週は、家族が救いにあずかるためには、まず自らが主イエスを信じなければならない、ということを学ばせていただきました。
今朝は、『イエス・キリストに心をとめる大切さ』と題しまして、お話しさせていただきます。17章では、パウロは第二回の伝道旅行の途中でございまして、テサロニケ、ベレヤ、アテネに滞在している様子が描き出されております。テサロニケやアテネでもあまり福音は伝えられませんでしたが、ベレヤではパウロやシラスが感心するほどに、熱心に聖書を学ぶ姿勢が育まれていました。今朝は、このベレヤの人たちの信仰に思いをはせ、彼らの姿勢に学びたいと思います。
まず、お祈りいたします。(祈り)
テサロニケからベレヤに送り出されたパウロとシラスは、その地のユダヤ人の会堂に入り、彼らが、非常に熱心にみことばを聞いている姿勢に感心いたしました。
シ「ねぇ、パウロさん、私はこのベレヤの人々の聞く姿勢をみていると、サムエルの言葉を思い出します。『主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。』(1サムエル15:22)そう思いませんか。」
パ「真にそうですね。『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです』(ローマ10:17)と私は信じております。また、『聞く耳と見る目とは、二つとも主が造られたもの』(箴言20:12)とも言われていますように、主が耳も目も造られたのですから、主のために耳も目も用いるべき、つまり御言葉を理解するために用いるべきだと思うのです。」
シ「その意味でも、ベレヤの人たちは毎日聖書を読み、調べているのですから大したものです。主の御名を賛美いたします。」
パ「そうですね。同じ聖書を読むにしても、祭司長たちやパリサイ派の人たちとは大違いです。イエス様は祭司長たちやパリサイ派の人たちに、次のおっしゃったと聞いています。『(彼らは)聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、彼らは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません』(ヨハネ5:39-40)しかし、ベレヤの人たちは、イエス様のことを聞き、いのちを得るために、イエス様のお言葉が聖書にどのようにかかわっているのか、熱心に聖書を調べているのです。感心です。そして、私は「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っている」(2テモテ2:8)ことが大切だと思うのです。」
シ「そうですよ、パウロさん。イエス・キリストをいつも心にとめておくことが、私たちがいちばんしなくてはいけないことでしょうね。」
さて、私たちは、どうでしょうか。聖書を毎日読んでいても、聖書がイエス様についての証をしているのだと思って読むのか、または、聖書を道徳の本のように読むのかによって、意味合いが異なって来るのでございます。私たちは、聖書を読むときも、イエス・キリストに心をとめて読んでいるでしょうか。
熊「よう、八、お前毎日聖書読んでるかい。」
八「なんだよ、藪から棒に。正直言って毎日じゃあねぇな。けどよ、二日に一回一章ぐらいは読んでるぜ、主に新約聖書だけどな。牧師さんは毎日一章は読んでほしいって言ってるけどよ。そういうお前はどうなんだぃ、熊。」
熊「俺は、いちおう毎日、一章は読んでるぜ。今は旧約聖書だけどよ。毎日一章読んでも、新約聖書で約一年、旧約聖書をあわせると約三年もかかるからよ。気の長ぇ話だ。」
八「えれぇなぁ、熊は。けどよ、旧約聖書って難しかぁねぇか。俺は苦手だね、大好きなイエス様がいっこうにでてこねぇんだから。」
熊「確かにイエス様ご自身はでてこねぇかも知れねぇけど、「聖書がわたしについて証言しているのです」ってイエス様がおっしゃっていた聖書って、旧約聖書のことだぜ。」
八「でもよ、それってイザヤ書のような預言書のことだろ、イエス様のことを証ししているって。他の所は難しいよ。」
熊「八、俺も初めはそう思っていた。けどよ、横町の隠居が言うのにはよ、イエス様は旧約聖書にもいらっしゃるんだって、だから、その日に読んだ箇所をイエス様だったらどういう風に俺に伝えて下さるかっということを考えてみる必要があるんだってよ。」
八「それってそういうこったい?」
熊「たとえば、聖書の『主』とか『神』という言葉のところを、『イエス様』とかイエス様の言う『わたし』という風に置き換えて読んでみるんだな。そうすると、イエス様が何かを語ってくれるっていうんだ。これ、隠居の受け売りだけどな。」
八「でもよ、『主』とか『神』という言葉のあるところは、いいいよ。ないところはどうするんだよ。」
熊「そこはよ、イエス様だったらどうされますかって尋ねてみる必要があるのかもしれねぇな。」
八「あ、それ、俺得意かも。なんか迷った時には、いつも「イエス様だったらどうされますか」って祈りながら尋ねるんだ。そうするとよ、こっちの方がいい、あっちの方がいい、って教えてくださる時があるんだな。それでも分かんねぇときはよ、俺が損になる方を選ぶんだ。」
熊「ひょっとして、それも横町の御隠居からか。」
八「えへへ、当たり!」
熊「こんな風に、イエス様だったら、っていう気持ちで旧約聖書も読んでいくと、結構おもしれぇんじゃねぇかな。まあ、全部が全部、上手くいくとは限らねぇけどよ。八もやってみる価値はあるんじゃねぇか。新約聖書ばかり読むんじゃなくてよ。」
八「そうだな。旧約聖書を読んでも、新約聖書を読んでも、イエス様に心をとめることが大切なんだな。俺たちゃ、イエス様を通してでしか、神様のことを分からねぇんだから、いつもイエス様に心をとめておく必要があるんだ。ん、、旧約聖書もそうやって読んでみるよ。」
パウロが言うように、「信仰は聞くことから始まり」ます。そして、聖書を読む時には、それが旧約聖書であれ新約聖書であれ、イエス様に聞くことが、私は大切なのではないのかと思うのでございます。八と熊の会話のなかで、『主』とか『神』という言葉を『イエス様』に置き換えても良いでしょうし、「イエス様だったらどうされるのですか」というふうに、「イエス様に聞く」という姿勢を、私たちは聖書を読む時にもつべきだと思うのであります。それは、「黙想」という言葉で表されるかもしれません。「主は主の御声に聞き従うことを喜ばれる」のです。そして、聖書を読む時には、主の御声を聞くという姿勢が大切になります。それをしなければ、聖書は単なる道徳の本になってしまうかもしれません。そうすると、結局、永遠のいのちを失うことになるでしょう。ベレヤの人たちは毎日熱心に黙想をしていたのでございます。私たちもベレヤの人たちの聖書を読む姿勢に学ばせていただきましょう。そして、聖書を読むときも読まない時も、いつも、イエス様のことを心に留める、イエス様のことを思っていることが大切なのでございます。
ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「イエス・キリストに心をとめる大切さ」という神様からのメッセージから、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。
(3分間黙想)
お祈りをいたします。愛する天のお父さま、御名をあがめ、今日の導きを感謝いたします。今朝は「イエス・キリストに心をとめる大切さ」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。ベレヤの人たちのように、熱心にみことばを聞き、毎日聖書を調べ、イエス様のことを思う、そのような者にさせてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名により、今朝の学びを感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。
賛美: 新聖歌316「御言葉なる」
賛美: 今月のワーシップソング「主の栄光、宮に満ちて」(献金の時)
献金の祈り
「主の祈り」(新聖歌p826)
頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」
祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
アーメン四唱:新聖歌59.7
♬今月のワーシップソング
「主の栄光、宮に満ちて」♬
栄光の雲が、宮に満ちて
私は歌うよ、主に向かい!
栄光の雲が、宮に満ちて
私は歌うよ、主に向かい!
ほめたたえよ!わが魂
大いなる主の御名を
十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。