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メッセージ主題:『雄弁なアポロ』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2019時年1月13日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌171「今日まで守られ」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「主の栄光、宮に満ちて」

交読: 交読文51:マタイの福音書第5章:新聖歌p.920

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌201「イエスはわがいのち」

聖書拝読:使徒の働き18章24節~28節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「彼(アポロ)は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。」(28)

メッセージ主題:『雄弁なアポロ』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみてください。

先週は、『イエス・キリストに心をとめる大切さ』と題しまして、お話しさせていただきました。17章では、パウロは第二回の伝道旅行の途中でございまして、テサロニケ、ベレヤ、アテネに滞在している様子が描き出されております。テサロニケやアテネでもあまり福音は伝えられませんでしたが、ベレヤではパウロやシラスが感心するほどに、熱心に聖書を学ぶ姿勢が育まれておりました。先週は、そのベレヤの人たちの信仰と彼らの姿勢に学ばせていただきました。。

今朝は、『雄弁なアポロ』と題しまして、お話しさせていただきます。18章では、パウロはアテネからコリントに行き、そこで1年半、腰を据えて、福音を伝え続けたことが記されております。その後、コリントからケンクレヤに行き、そこで私たちがパウロに対してもっているイメージ、髪をそってしまっているパウロとなり、エペソからエルサレム、そしてアンテオケへと帰って行きます。その一方で、エジプトのアレキサンドリヤ生まれのアポロというユダヤ人がエペソに来て活躍しはじめます。今朝はこのアポロの信仰を中心に学ばせていただきます。

まず、お祈りいたします。(祈り)

アポロは聖書に精通し、雄弁であったと記されています。そして、「イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった」とあります。これはどういうことでしょうか。バプテスマのヨハネは、神に立ち返るよう悔い改めを促し、水で洗礼を授けていました。アポロはまるで、風貌こそちがえ、バプテスマのヨハネと同じように、民衆に悔い改めを迫っていたのでしょう。しかし、イエス様のことは、ある事実として、つまり預言者の一人として、民衆に伝えていたのでございます。アポロは会堂で大胆に語っております。そこに、パウロの協力者であるプリスキラとアクラがアポロの話を聞いております。

プリスキラがアクラに話しかけます。

プ「おまえさん、アポロさんの話をどう思います。」

ア「ん、、、バプテスマのヨハネを見ているようじゃな。」

プ「ですよね。イエス様のことは語っていますが、イエス様を預言者としてしか思ってないような口ぶりじゃあないですか。」

ア「イエス様をキリストとして見ていないようじゃな。」

プ「そうなんですよ。イエス様の十字架の贖いによって、私たちは救われたのですけれど。アポロさんの話の中に、イエス様の血潮によって、私たちは罪赦されたものとなったという、福音の中心がまったく語られないんです。」

ア「だからだね、聖霊のバプテスマのことがまったく出てこない。聖霊のバプテスマによって、私たちは完全に救われることになるのだが、アポロさんはそこのところの理解が足りんようじゃ。」

プ「まったくです。後で、アポロさんを食事にでもお誘いして、じっくりお話しいたしましょう。」

ア「うむ、それがいい。ぜひ、食事におさそいしよう。」

ということで、プリスキラとアクラは、アポロを招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明したのでございます。

アポロはのみこみの早い男でございまして、またプリスキラとアクラの話を素直に聞き、イエス様を救い主として信じたのでございます。そして、アポロは、エーゲ海を渡って、アテネやコリントの地方に福音を伝えたい、あちらにいる信徒の方々を励ましたいという思いがあり、そのように段取りが進むのでございます。

アポロがコリントの地でその土地のユダヤ人と討論をしている時、八と熊の二人もその中にいました。

八「アポロのだんな、気持ちいいね。あれだけ、ユダヤ人と激論して、ユダヤ人をぎゃふんと言わせるんだから。」

熊「そうよな。さすが、『雄弁のアポロ』という異名がつくだけのことはある。スカッとするね。」

八「なんてったって、感情で物いうんじゃなくて、聖書の御言葉を引用して、イエス様がキリストであることを証明するんだから、大したものだ。」

熊「パウロのだんなもすごいけど、迫力はアポロのだんなの方がうえじゃねぇか。」

八「アポロのだんなの方が年が若いし、力がみなぎっているっていう感じだよな。でもよ、パウロのだんなはいろんな町に行って、イエス様を証しているし、他の教会にも影響力があるしな。アンテオケの教会やエルサレムの教会でも、一目も二目も置かれている。やっぱり俺は、パウロ派かな。」

熊「いやぁ、それを言うんなら、十二使徒の代表的存在のペテロのだんなが一番じゃないか。なんといってもイエス様の一番弟子だ。あの人をおいて、パウロ派やアポロ派というのはおかしいかもな。」

八と熊がいろいろと、キリスト教会のリーダーは誰なのだろうと話し合っていますところに、定吉が中に入ってきました。

定「八兄ぃ、熊兄ぃ、まだ信仰の若ぇ俺が言うのも何なんですけど、パウロ派やアポロ派やペテロ派って言うのはおかしいんじゃねぇですか。だって、俺たちが信じているのはイエス様でしょう。イエス様が、神様と俺たちの仲を執り成しをしてくださったから、イエス様が十字架にかかって、俺たちの罪を帳消しにしてくださったから、俺たちには、永遠のいのちという希望をいただくことができるようになったんじゃねぇですかねぇ。だから、兄ぃたち、俺たちは、イエス様だけに目を留めておかなければいけねぇんじゃねぇですか。」

熊「たしかに、定吉の言うとおりだ。俺たちのリーダーは、パウロやアポロやペテロのだんなたちかも知れねぇが、俺たちが従わなくっちゃいけねぇのは、イエス様だし、天のお父様である神様だ。俺たちは、イエス様を通してでしか、神様を知ることはできねぇ。だから、しいて言うなら、おれは、イエス派かもしれねぇな。」

八「熊、熊の気持ちはよく分かる。でもな、イエス派って言ってしまうと、パウロやアポロやペテロのだんなたちと同列になっちまう。そうなると、俺たちのイエス様がキリストじゃなくなっちまうかもしれねぇ。」

定「そう、兄ぃたち、俺たちゃ、派閥をつくっちゃいけねぇと思うんです。パウロのだんなが、こんなことを言っていたと耳にしました。『(コリントの教会の人たち)の間には争いがあるそうで、(かれらは)めいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私はペテロに。」「私はキリストにつく。」と言っているということです。キリストが分割されたのですか。(かれらの)ために十字架につけられたのはパウロでしょうか。(かれらが)バプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。』(1コリント1:12-13)パウロのだんなは悲しかったんじゃねぇんですかね。」

熊「そうだな。パウロもアポロもペテロのだんなたちも、みんな悲しかったかも知れねぇな。だんなたちは、イエス様を証しすることで、一生懸命だったはずだ。ところがよ、俺たち信徒のみんなが、『やれ、パウロにつく。』『やれ、アポロにつく。』『やれ、ペテロにつく。』とすけべぇ根性まるだして言い出してしまうから問題になるんだ。派閥争いなんて、これっぽっちもいいことはねぇ。『雄弁のアポロ』のだんなにしても、派閥を作ろうとか、アポロ党を作ろうとか、そんなことは思っちゃいねぇはずなんだ。ただただイエス様の愛を伝えたい、聞いているみんなをイエス様のもとに導きたい一心なんだ。だからパウロのだんなも、アポロのだんなのことを信仰の同労者として認めていなさった。(1コリント16:12)」

八「俺も、そう言えば、パウロのだんなが、こんなことを言っていたらしいって聞いたね。『(パウロが)植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。』(1コリント3:6-7)」

定「イエス様も、俺たちが派閥と作るんじゃなくて、教会全体が一つとならないといけないとおっしゃっておられたと聞いたことがあるですけど、兄ぃたちは知ってますかい。」

熊「それって、このことかい。『父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。』(ヨハネ17:21-22)」

八「熊、その続きは俺に言わせてくれ、『わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らを愛されたこととを、この世が知るためです。』(ヨハネ17:23)」

定「さずが、兄ぃたちだ。神様とイエス様が一つであるように、教会の信じる俺たちもイエス様と一つでなければならないと、イエス様はおっしゃるんですね。」

熊「やっぱり、派閥はいけねぇ。キリスト様が分割されちまう。俺たちは、イエス様と一つでなければならねぇな。それが、パウロのだんなも、アポロのだんなも、ペテロのだんなもみんな願っていることなんだ。」

八も熊も定吉も、この世的な、教会内の派閥争いがいかに、パウロやアポロやペテロの願いに反しているか、またイエス様のみ心を踏みにじる結果となっているかに気がつかされました。教会はキリストのからだであって、キリストが教会のかしらでございます。私たちはイエス・キリストにあって一つとならないといけない、ひとりひとりがイエス様を見上げる者でないといけないのでございます。パウロやペテロと同じく、アポロも同じ信仰に立っていたのでございます。そして、アポロは、聖書の御言葉を引用して、イエス様がキリストであることを大胆に証明しておりました。しかし、それは神様からの賜物であり、導きであるのでございます。パウロがアポロを信仰の同労者と認めていましたように、アポロは雄弁ではございますが、主の前に謙虚であり、主に栄光をお返しすることを忘れない者であったに違いございません。私たちも主の証人として、臆病ではなく、そして常に謙虚であり続けたいと願います。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「雄弁なアポロ」という神様からのメッセージから、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

(3分間黙想)

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今日の導きを感謝いたします。今朝は「雄弁なアポロ」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。神様が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊であります。主の前に謙虚でありつつ、み言葉によって大胆に主を証しするものでありますように。また、全てについて、主に栄光をお返しする者とさせてください。

この祈りを、主イエス・キリストの御名により、今朝の学びを感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美: 新聖歌211「天なる喜び」

賛美: 今月のワーシップソング「主の栄光、宮に満ちて」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

♬今月のワーシップソング

「主の栄光、宮に満ちて」♬

栄光の雲が、宮に満ちて

私は歌うよ、主に向かい!

栄光の雲が、宮に満ちて

私は歌うよ、主に向かい!

ほめたたえよ!わが魂

大いなる主の御名を

 

 

十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。