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メッセージ主題:『聖霊の充満』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2019時年1月20日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌198「God Bless You」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「主の栄光、宮に満ちて」

交読: 交読文52:ルカの福音書第1章:新聖歌p.921

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌206「飼い主わが主よ」

聖書拝読:使徒の働き19章1節~5節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「信じたとき、聖霊を受けましたか。」(2a)

メッセージ主題:『聖霊の充満』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみてください。

先週は、『雄弁なアポロ』と題しまして、お話しさせていただきました。18章では、パウロはアテネからコリントに行き、そこで1年半、腰を据えて、福音を伝え続けたことが記されております。その後、コリントからケンクレヤに行き、そこで私たちがパウロに対してもっているイメージ、髪をそってしまっているパウロとなり、エペソからエルサレム、そしてアンテオケへと帰って行きます。その一方で、エジプトのアレキサンドリヤ生まれのアポロというユダヤ人がエペソに来て活躍しはじめます。先週はこのアポロの信仰を中心に学ばせていただきました。

今朝は、『聖霊の充満』と題しまして、お話しさせていただきます。19章では、パウロがエペソに滞在し福音を伝える時の記録であります。18章でアポロがエペソからコリントへ移って活動している時に、パウロはエペソに来ました。今朝の聖句は、そこで、エペソ在住の弟子に尋ねた言葉であります。この言葉は短いですが、信仰上とても重要なことを語っております。今日はその信仰と聖霊のことについて学ばせていただきます。

まず、お祈りいたします。(祈り)

パウロがエペソの弟子たちに「どんなバプテスマを受けたのですか」と尋ねますと、彼らは「ヨハネのバプテスマ」ですと答えました。つまり、彼らは悔い改めのバプテスマを受けたのですが、主イエスの御名によってバプテスマを受けたわけではありませんでした。それは、聖霊のバプテスマのことを知らなかったアポロから教えられたからで、聖霊についての知識や理解が不十分であったのだと推測できます。では、彼らは、イエス・キリストのことを知らなかったのでしょうか。そんなことは、ございません。「ヨハネのバプテスマ」を知っていたのなら、ヨハネが説いていた「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ3:11)ということばを知っていたはずございます。そして、その方がイエス・キリストであることも耳にしていたはずでございます。では、どうして、主イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けなかったのでしょうか。それは、指導者、その当時のアポロには、その知識も理解もなかったからでございます。ですから、恐らく、当時、主イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けたかどうかを確認する必要があったのでございます。そして、言葉として、今朝の聖句「信じたとき、聖霊を受けましたか」が、イエス様の弟子たちによって、常時、使われたのではないでしょうか。ユダヤ教の水のバプテスマと区別する必要があり、そのイエス信仰の最も特徴づけるものが「聖霊」でありました。

イエス様の愛弟子たちが、五旬節(ペンテコステ)の日になって、みなが一つの所に集っていたとき、炎のような分かれた舌が現われ、ひとりひとりの上にとどまり、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことば(異言)で話し出しました。(使徒2:1-4)これが聖霊のバプテスマであり、聖霊の充満の現われの一つでありました。このところから、イエス様を主と信じた瞬間に、聖霊が降り、私たちの内に宿り、私たちを罪を犯しにくい性質へと内から変えていってくださる助け手として働かれるのです。ですから、パウロは、いわばクリスチャンの合言葉のような「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねるのでございます。

さて、パウロがこのようの問うたエペソの信者の中に、長屋の八と熊もいたました。二人もパウロの教えに耳を傾けておりました。

八「熊、おめぇ、知ってたかい、イエス様のこと。」

熊「あたぼうよ。イエス様のことは知っていたけどよ、アポロのだんなは「ただ悔い改めよ」って言っただけで、『主イエス・キリストの御名によって』とは言わなかったな。たしかに、ザブーンと後ろ向きに川ん中に倒れて、救い上げてくださったけどな。八、おめぇはどうなんだい。」

八「俺もいっしょさ。でもよ、聞いた話じゃ、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けると、なんか分からねぇ言葉をしゃべるって話だ。」

熊「ああ、異言のこったな。あれは、神様と霊的に直接お話しなさっているんだとよ。だから、周りの人には、神様とどんな会話をしてるのかわかんねぇんだと。」

八「なるほどね。でも異言だけが、聖霊のバプテスマの時の現われかい。」

熊「パウロのだんなが、さっき言ってたじゃねぇか。『異言を語ったり、預言をしたりする』って(19:6)。」

八「たしかにな。それによ。パウロのだんなは、こんなことも言ってたな、『聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。』(1コリント12:3b)って。つまり、イエス様を救い主として信じる時には、すでに聖霊が働いてくださっているということなんだよな。」

熊「そうだ。そしてイエス様を信じると、聖霊が内に住んでくださるんだと。パウロのだんなは、こんな風に言ってたよな、『もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。』(ローマ8:9) ということは、キリストを信じない人には、聖霊は住んでおられないってことだな。だから、『信じたとき、聖霊を受けましたか。』って尋ねるわけだ。」

八「じゃあ、イエス様を信じたとして、聖霊を受けたかどうかって、異言の賜物や預言の賜物でしか、分かんねぇのかな。」

熊「横丁の隠居が言うのにはよ、御霊の賜物にはいろいろな種類があるが、御霊は同じ御霊なんだと。(1コリント12:4) それで、聖霊のバプテスマを受けると、喜びがあふれ出て来るそうだ。それも聖霊のバプテスマを受けた証拠だと言ってたな。バプテスマを受けて喜ぶって言うのは、キリストの愛があふれ出た結果なんだと。もう喜びが出たら、すでに聖霊が内に宿っていなさるそうなんだ。」

八「パウロのだんなも、イエス・キリストの愛のことを言ってたね。『あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また、私は、さらにまさる道を示してあげましょう。たとい、私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰をもっていても、愛がないなら、何の値うちもありません。』(1コリント12:31-13:2)一番すぐれているのは愛なんだそうな。」

熊「そうだよ。だからパウロのだんなは、いつも『愛を追い求めなさい』(1コリント14:1)っておっしゃるんだ。でもな、イエス様の愛は、自分が努力して得るもんじゃあねぇんだ。内に住んでくださるキリスト様、つまり聖霊様だな、この聖霊様が全てにおいて手助けしてくださるんだ。って横丁のご隠居の受け売りだけどな。」

八「そうか、熊、俺たちもはやく、聖霊のバプテスマを受けさせていただこう。」

熊「そうだな。俺たちぁ、もうすでにイエス様を信じている。あとはそれを声に出して告白するだけだ。パウロのだんなの言うとおりだ。『もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』(ローマ10:9-10)」

八「この次に、パウロのだんなにお会いして、『信じたとき、聖霊を受けましたか』って聞かれたら、俺は、『はい、私は主イエス様を救い主キリストとして信じました。そして、私の内には聖霊様がいらっしゃいます。その聖霊様によって、「少しも疑わずに、信じて願う」(ヤコブ1:6)なら与えられると確信しております。ですから、毎日感謝の気持ちでいっぱいです。』って言いたいんだ。」

熊「弟子たちを友と呼んでくださるイエス様は、弟子たちにこんな風におっしゃっていたらしいよ。『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。』 俺たちも選ばれてイエス様の弟子になれるんだよ。なにせ、聖霊様が心の内に宿ってくださるんだから。ありがてぇはなしだ。感謝だ。」

イエス様は、今、私たちにおっしゃってくださいます、『あなたは、わたしを信じたときに、わたしの送った聖霊を受けましたか。』私たちはどう答えるでしょうか。「異言の賜物が授かりました」と言うでしょうか、「預言の賜物をいただきました」と言うでしょうか、また「喜びで満ち満ちています」と言うでしょうか。私たちは、本当の意味で、イエス様のものとなっているでしょうか。イエス様に従い、イエス様と共に歩ませていただいているでしょうか。今も、イエス様を信じた時と同じ聖霊が私たちに働いてくださっているでしょうか。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「聖霊の充満」という神様からのメッセージから、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

(3分間黙想)

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今日の導きを感謝いたします。今朝は「聖霊の充満」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちがイエス様を信じた時に受けた聖霊が、今も聖霊様となって私たちがより頼んでいるでしょうか。私たちは主の証人として生き生きと喜びと感謝をもって、日々の生活を営んでいるでしょうか。どうか、常に、主の御名をほめたたえ、主に栄光を帰する者とさせてください。

この祈りを、主イエス・キリストの御名により、今朝の学びを感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美: 新聖歌175「胸の奥に」

賛美: 今月のワーシップソング「主の栄光、宮に満ちて」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

♬今月のワーシップソング

「主の栄光、宮に満ちて」♬

栄光の雲が、宮に満ちて

私は歌うよ、主に向かい!

栄光の雲が、宮に満ちて

私は歌うよ、主に向かい!

ほめたたえよ!わが魂

大いなる主の御名を

 

 

十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。