· 

メッセージ主題:『与える幸い』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2019時年1月27日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌231「いさおなき われを」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「主の栄光、宮に満ちて」

交読: 交読文53:ルカの福音書第22章:新聖歌p.896-897

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌232「弱き者よ われにすべて」

聖書拝読:使徒の働き20章28節~36節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「このように労苦して弱い者をたすけなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(33)

メッセージ主題:『与える幸い』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『聖霊の充満』と題しまして、お話をさせていただきました。19章は、パウロがエペソに滞在し福音を伝える時の記録であります。18章でアポロがエペソからコリントへ移って活動している時に、パウロはエペソに来ました。先週の聖句は、そこで、エペソ在住の弟子に尋ねた言葉でありました。『信じたとき、聖霊を受けましたか』という御言葉は短いですが、信仰上とても重要なことを語っております。先週はその信仰と聖霊のことについて学ばせていただきました。

今朝は、『与える幸い』と題しまして、お話をさせていただきます。20章では、パウロがギリシャのコリントまで行き、そしてエーゲ海の沿岸をつたってトロアス、アソス、ミテレネを経由して、ミレトまで来たときに、エペソ教会の長老たちと会って、話をしたときのことが記録されています。パウロのエペソ教会に対する最後の別れに際しての励ましが記されています。今朝は、当時、イエス様が語られた周知の言葉、「受けるよりも与えるほうが幸いである」という御言葉を中心に学ばせていただきます。

まず、お祈りいたします。(祈り)

パウロはテントメーカー、つまり天幕作りの職人として自立しておりました。ルカはそれを使徒の働きで記してございます。「自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼ら(アクラとプリスキラ)の職業は天幕作りであった。」(18:3)パウロは手に職をもって、自立し、その上で宣教の最前線に立っていたのでございます。そのことは、ある意味、主にあっての自負だったのかもしれません。パウロは次のようにエペソ教会の長老たちに申し上げています。「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。」(使徒20:33-34)また、コリント人への第一の手紙にも同じようなことが記されています。「私たちは苦労して自分の手で働いています。」(4:12)私もパウロの生き方に感銘を受け、英語の塾をしながら、福音を伝えるテントメーカーとしての役割を全うしたいと思っております。ではなぜパウロはテントメーカーの道を選んだのでしょうか。それは、35節にありますように「このように苦労して弱い者を助けなければならない」という召命ともとれる思いが主から与えられていたからでございます。弱者救済。これはイエス様の本願でもあるのでございます。イエス様の山上の説教としてよく知られております聖句を見てみましょう。

ルカ書には次のように記されております。

「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、今笑うようになりますから。」(6:20-21)「貧しい者、飢えている者、泣いている者」彼らは、経済的政治的弱者であり、イエス様はその者たちの救いとして来られたのでございます。既存の宗教である、律法を中心とするユダヤ教の祭司たちや律法学者たちは、弱者に対して手を差し伸べませんでした。現状に失望していた彼らの唯一の希望は、救い主キリストの出現でございました。そして、彼らはイエス様にキリストを見、またはそのように期待したのでございます。

そして、イエス様はおっしゃいました。「その日(救いの日)には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。」(ルカ6:23)彼らはイエス様に期待したのでございます。

パウロは初めはキリストの弟子たちを迫害する者でございましたが、回心の後、弱者救済を目指して、福音を宣べ伝えていきます。

さてミレトでは、パウロがエペソの教会の長老たちを集めて、アドバイスを交えて話しをしておりました。その話を漏れ聞いていたキリスト者の中に、八と熊がおりました。

八「熊さん、やはりパウロのだんなはすげぇや。テントメーカーとして自立するだけじゃぁなくて、弱い人々も助けなくてはいけないとおっしゃる。パウロのだんなにとっちゃ、自立も人助けのためなんなろうねぇ。」

熊「それはよ、イエス様がよくおっしゃっていた言葉でもあるそうだ。」

八「そうだな。ルカのだんなが言うのには、イエス様はこのように言ってたそうだよ。『与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人人は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。』(ルカ6:38)」

熊「俺たちは、貧乏だけどよ、まだまだ俺たちよりも苦労なさっている方々はいらっしゃる。だから助け合わないとな。『与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。』ってなんか嬉しくなっちゃぁこねぇか。見返りやお返しを期待するわけじゃねぇけど、人に幸せをおすそ分けするってぇのはいいやな。」

八「そういう意味じゃ、おれたちゃ、よくおすそ分けしているよなぁ。一人で喜ぶより、二人で喜び合った方が、よっぽど嬉しくなる。これが、イエス様の『与えなさい』ということかも知れねぇな。」

熊「パウロのだんなは、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と、イエス様が日ごろからおっしゃっていたお言葉を何べんも言ってなさった。」

八「受ける喜び、もらう喜びよりも、与える喜び、相手が喜ぶ顔を想像しながら、もらっていただく喜び、こっちの方がいいっていうわけだ。」

熊「あれは、なんでだろうね。もらっていただく喜びっていうのは、どんどんふくらむね。じゃあ、これもあれもって、差し出しちゃう。相手の喜ぶ顔を見てるとこっちまで嬉しくなっちまう。」

八「熊、イエス様のこんなお言葉も知ってるかい、『自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。』(ルカ6:31)」

熊「ああ、それは、黄金律、ゴールデン・ルールっていうやつだろう。マタイのだんなもルカのだんなも言ってなさったイエス様のお言葉、『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。』(マタイ7:12)ってやつだろ。」

八「そうさ。これなんか、「与えなさい」ということから、もっと広い範囲のことを、俺たちのほうから積極的にしていかなくっちゃぁいけねぇということだよな。」

熊「そう考えていくと、イエス様はいつも与えてくださるばかりだ。」

八「そうだよな。『永遠のいのち』(ヨハネ10:27)だろ、それに『聖霊』(ヨハネ20:22)だろ。いただくばかりだな。」

熊「なんてったって、イエス様は俺たちに与えるために天から降りて来なさった。ありがてぇはなしだ。だから、俺たちも与えねぇといけねぇんだ。」

八「でもよ、俺たちも貧乏だから、そんなに大したものは与えられねぇんじゃねぇか。」

熊「バカ言うんじゃねぇよ。ペテロとヨハネのだんなのことば、忘れたか? 『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。』(使徒3:6)」

八「あ、それは、生まれつき足の悪い男が、美しの門でペテロとヨハネのだんなに施しを求めた時の話だろ、聞いたことあるよ。」

熊「ペテロのだんなが、『お金はないけど、だんなのもっているイエス・キリストに対する信仰をあげなさった。癒しをあげなさった。』というのだろ。」

八「もちろん、お金も大事さ。でももっと大切なものは、イエス・キリストへの信仰だ。」

熊「そうさな。俺たちがいちばん、おすそわけしないといけねぇのは、イエス様とイエス様の愛だ。ただでいただいたんだから、ただでもらってもらわないと。」

八「まあ、押しつけになっちゃぁいけねぇけどよ。おすそわけにはもってこいだし、いくらおすそわけしてもへるもんじゃぁねぇ。逆におすそわけすれば、喜びも二倍三倍にもなって返ってくるっていうもんだ。」

熊「俺たち、貧乏人には、ぴったりじゃぁねぇか。」

八と熊は、どうやら、与えることは、おすそわけすることだと理解したようでございます。

しかし、おすそわけするには、誰かからいただかないとおすそわけになりません。私たちは、お金や物は、私たちが汗して働いた労働対価として、得たものであると思いがちでございます。しかし、全ての物は、創造の神から生まれたもので、神様から与えられた物なのでございます。そう考えますと、私たちのこの世での財産や持ち物も全て主のものであり、おすそわけの対象になるものなのであります。もちろん、イエス様の罪の贖いはイエス様からのいただきものでありますから、おすそわけの対象となるのでございます。それは、イエス様の福音をお伝えするということでございます。

では、私たちは、それをおすそわけできているのでしょうか。気持ちよくおすそわけし、喜びが倍増しているでしょうか。上から目線の「上げる」のではなく、謙遜的に「もらっていただく」という姿勢を保っているでしょうか。何も卑屈になる必要はございませんが、全ては主からのいただきものだと思えば、丁寧にならざるを得ないのではないでしょうか。その最たるものが福音でありましょう。私たちが、お伝えして幸いになるのであれば、私たちはもっともっとその行為に対して謙虚でなくてはいけないのだと思うのでございます。さて、皆さまは福音のおすそわけをして、喜びが増し加わっていらっしゃるでしょうか。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「与える幸い」という神様からのメッセージから、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

(3分間黙想)

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今日の導きを感謝いたします。今朝は「与える幸い」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちは、イエス様の福音をはじめとして、さまざまなものを神様から与えられています。それを謙虚な気持ちでおすそわけできる者でありますよう、私たちを整え、導いてください。喜びにみちあふれて、おすそわけできますよう、イエス様の十字架の贖いと復活をお伝えできますよう、私たちを備え用いてください。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の学びを感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美: 新聖歌182「ただ信ぜよ」

賛美: 今月のワーシップソング「主の栄光、宮に満ちて」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

♬今月のワーシップソング

「主の栄光、宮に満ちて」♬

栄光の雲が、宮に満ちて

私は歌うよ、主に向かい!

栄光の雲が、宮に満ちて

私は歌うよ、主に向かい!

ほめたたえよ!わが魂

大いなる主の御名を

 

 

十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。