· 

メッセージ主題:『バプテスマと罪の洗い』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2019時年2月10日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌423「村の小さき教会」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「花も」

交読: 交読文55:ヨハネの福音書第15章:新聖歌p.923-924

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌421「ここに主はまして」

聖書拝読:使徒の働き22章12節~16節(新改訳聖書)(輪読)

中心聖句:

「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」(16)

メッセージ主題:『バプテスマと罪の洗い』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『主のもの』と題しまして、お話をさせていただきました。21章では、パウロは、ミレトの港から海路を通って、シリヤ地方のツロに上陸いたします。ツロから陸路で、トレマイ、カイザリヤと行き、エルサレムへと向かう途中でございます。カイザリヤでは伝道者ピリポの家に滞在していました。そこへアガボという預言者がユダヤからやって来て、パウロがエルサレムで迫害を受けることを知らせます。ピリポやルカたちは、パウロにエルサレムには上らないようにとしきりにお願いをいたしますが、パウロは聞き入れようとはしません。その時に述べたパウロの言葉が、「死ぬことさえも覚悟している」という先週の中心聖句でございます。先週はその覚悟からパウロの信仰を学ばせていただきました。

今朝は、『バプテスマと罪の洗い』と題しまして、お話をさせていただきます。21章で、大勢のユダヤ人たちに殺されそうになったパウロは、その混乱状態を鎮静化したローマ軍によって身柄を拘束されます。そして、22章で、民衆に向かって釈明の機会を与えらえました。その内容は、パウロがどのようにして、キリスト信徒を迫害していたサウロ時代から、イエス・キリストを知り、イエス・キリストを伝える者へと変えられたかという、パウロの証しでした。今朝はその証しの中のアナニヤの言葉、今朝の中心聖句ですが、「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」から、バプテスマと罪の洗いについて学ばせていただきます。

まず、お祈りいたします。(祈り)

アナニヤの言葉、「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。」は、パウロがまだ戸惑っていることを表わしています。ダマスコ途上で、当時サウロと呼ばれたパウロに、イエス様が現われ、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです」(使徒9:5-6)と告げました。そして告げられた通りにし、アナニヤに会いました。アナニヤはパウロの上に手を置いて、「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」(9:17)と言うと、パウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになったのでございます。パウロは三日の間、目が見えず、食事もしないでおりました。それが、アナニヤがパウロの上に手をおいた瞬間に見えるようになったのでございます。パウロはこのことはいったいなんだろうと戸惑っていたにちがいありません。また、いままで迫害をしていた、イエス・キリストの信者に、自分自身もなることを勧められたのですから、尻込みをしていたのも無理はありません。パウロはこの三日間のことを考えていました。

(パウロの独り言)

俺は、今まで律法について厳格な教育を受け、それを忠実に守って来た。それは神に対して熱心であったからだ。しかし、三日前に俺が毛嫌いをし、迫害をしていたイエスに出会った。彼の声をきき、そして、目が見えなくなってしまった。俺は考えた。俺が迫害をしつづけていたイエスは、彼を信じる者たちが言うように、救い主キリストなのか。イエスは十字架にかかって死んだ。しかし、三日目によみがえったと信者たちは言っている。俺が聞いた話では、それは嘘で、イエスの亡骸は信者たちによって盗まれたはずだ。しかし、俺はイエスだと名乗る者の声を聞いた。これはどういうことだ。イエスはよみがえっていたのか。そして、信者であるアナニヤが俺に手を置いたとたんに目が見えるようになった。イエスが言ったとおりになった。イエスは救い主キリストなのか。俺の信じる神は俺をどこに導こうとしておられるのだ。

ためらっているパウロに、アナニヤの声が聞こえました。「その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」アナニヤは、イエスを救い主キリストと信じることに、ためらいのあったパウロの後押しをし、信じる決心を促しました。アナニヤの「その御名を呼んで」とは、「わたしはイエス・キリストを信じます」という信仰告白でございます。また、この時のバプテスマは、個々の罪の悔い改めではなく、「イエス・キリストをずっと信じあがめて歩む」ためのバプテスマであり、聖霊のバプテスマ(マタイ3:11、マルコ1:8、ルカ3:16)のことであります。まさに、復活のイエス様が弟子たちに現れた時に、イエス様のおっしゃった、「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」(使徒1:5)とおっしゃった、その聖霊のバプテスマでございます。

さて、このパウロの証しを聞いていた民衆の中に、天国長屋の八と熊がいました。

八:熊さん、あのパウロという人の証を聞いていてよ、ちょっと引っかかるところがあるんだ。

熊:どこだい。

八:アナニヤさんが言った言葉なんだけど、「バプテスマ」っていってたよな。

熊:確かに、「イエスの御名によって、バプテスマをうける」ってこと言ってた。

八:バプテスマっていやぁ、バプテスマのヨハネのバプテスマのことじゃぁないのかい。

熊:あのヘロデ王に斬首された、ヨハネのだんなのことだな。

八:そう、ヨハネのだんなは、ヨルダン川で「悔い改めよ」って言ってバプテスマをさずけていただろう。それと、イエスの御名によるバプテスマっていうのは違うのかい。

熊:八っあん、覚えてねぇかな。バプテスマのヨハネのだんなが言っていたこと。ヨハネのだんなはこう言ってなさった、「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ3:11)

八:じゃあ、水のバプテスマってなんだ。

熊:それはよ。例えば、服に泥がついていたら、水で洗うだろ。それと同じで、罪深い体を洗って、もう一度やり直すってことじゃ、ねぇか。だから、ヨハネのだんなは、「悔い改めよ」っていつも言ってたじゃねぇか。

八:じゃあ、アナニヤさんが言ってた、「自分の罪を洗い流しなさい」というのと同じかい。

熊:ああ、あれなぁ。自分の罪は自分では洗い流せねぇ。だから、律法の言うように、罪のない動物の血である命で、その犯した罪を帳消しにしてもらわないといけねぇんだ。もともと、罪を犯せば、死が待っている。でも、俺たちいちいち死ぬわけにいかねぇ、神様はそんなこと望んではいらっしゃらねぇんだ。だから、罪のない動物の血を代償として、捧げるんだ。

八:それじゃあ、今までと変わらねぇじゃぁねぇか。

熊:だけど、問題は、犯した罪もそうだけども、罪を犯そうとする心がもっと問題なんだよ。

八:あ、だからか。俺の好きな詩篇にもそんなことが書いてある。こうだ、「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい、砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:16-17)

熊:そうだよ。律法の教えは、神様からのものだ。いけにえを捧げるのも神様からの指示だ。大事だよ。けどよ、心を伴わないいけにえは、神様は喜ばれないんだ。もともと、神様は俺たちの砕かれた、悔いた心を見せてほしいんだよ。それが、いつの間にか、いけにえだけが重要になってしまった。いけにえさえささげればいいんだって思うようになってしまった。神様への心がなくなっちまったんだよ。神様への恐れがなくなっちまったんだ。だから、ヨハネのだんなは、「罪を告白して悔い改めよ、バプテスマを受けよ」って言ってなさったんだ。

八:じゃあ、ヨハネのだんなの言ってた、「聖霊と火とのバプテスマ」と、どうちがうんだい。

熊:ヨハネのだんなは、後に現れたイエスのことを言ってたんだ。「聖霊と火とのバプテスマ」とは、イエスの御名によるバプテスマのことだな。これはアナニヤのだんなと同じだ。

八:じゃあ、聖霊のバプテスマっていうのは、「イエス・キリストを信じます」といってバプテスマを受けるということかい。

熊:イエスというお方は、よみがえられた時に、弟子たちに「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:22)と言われたそうだ。そして、イエスの弟子たちやイエスを信じた人たちは、実際に聖霊を受けたんだそうな。

八:じゃあ、聖霊を受けたらどうなるんだ。

熊:聖霊を受けると、心の内にキリストが宿る。罪のないイエスが、俺たちの罪を帳消しにするために、十字架で血を流し、命を神様にささげた。それが救い主キリストだと言うことだ。だから、その聖霊であるキリストが内に宿るということは、俺たちの罪は、いつも、いつまでも帳消しになるということだ。ただし、悔いた心をイエス・キリストにささげないといけないんだそうだ。聖霊は、キリストと俺たちが一体になるために、心の内に宿るんだそうだ。

八:じゃあ、火のバプテスマっていうのは?

熊:律法にも、全焼のいけにえというのがあるじゃぁねぇか。罪を犯したら、そのいけにえを焼き尽くさないといけねぇ。それと同じで、イエス・キリストは、全ての罪を焼き尽くして、全くなかったことにしてくださるのだとよ。

八:あのパウロはそれが、分かったっていうことか。

熊:まあ、そうだろうね。なんせ、死んでよみがえったとされるイエスに直接会ったんだから、直に声をきいたんだからな。説得力はあるはな。

八:じゃあ、俺たちも、イエスという方に直接声を聞いたりしないと、信じられねぇってことか。

熊:いあ、そうでもないだろうよ。実は俺は、もうイエス・キリストを信じている。いや、信じたいと思っていると言ったほうが正しいかもな。まだ、バプテスマも受けてねぇから。イエスというお方が、死んでよみがえったときに、トマスという弟子にこう言ってたんだと、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20:29)俺も、見ないでも信じる者にさせていただいて、聖霊のバプテスマを受けてぇと思っているのさ。

八:熊さんが、聖霊のバプテスマを受けるんだったら、俺もいっしょに受けてぇな。イエス・キリストを信じてみてぇよ。

八と熊には、パウロにアナニヤという後押しをしてくれる人が必要だったように、誰か後押しをしてくれる人が必要なのでしょう。ひょっとすれば、皆さんかも知れません。皆さんの周りには、八と熊のように、神様を信じたい、罪の赦しを受けたいと思っている人がいらっしゃるかも知れません。いえ、きっといらっしゃるはずでございます。しかし、まず私たち自身が、しっかりとした信仰告白ができないといけません。その信仰告白は、伝道会や聖会での証のようなプロジェクトでもイベントの一部でもございません。皆さんの日常生活でございます。日常生活において、イエス様を常に思っているかどうか、主の御声に耳を傾けようとしているかどうかが、問題なのでございます。「主よ、主よ」とお願いばかりする人は、「私が、私が」と自己主張する人と同じで、実は、主の御声に耳を傾けてはいません。そのような人は、信じているといいつつも、主ではなく、自分を中心に据えている人でございます。どうか、まず私たちが、聖霊のバプテスマのことや罪の洗いのことをきちんと理解して、救いにあずかる者となり、また、救いを求めている人々の後押しができる証人とさせていただきましょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「バプテスマと罪の洗い」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

(3分間黙想)

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今日の導きを感謝いたします。今朝は「バプテスマと罪の洗い」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。パウロにアナニヤがいたように、私たちも、私たちの隣人のアナニヤとなり、その人が信仰をもつための、証人や後押しをする人となりますよう、私たちを導いてください。また、私たちが、バプテスマと罪の洗いのことをより理解し、救いをゆるぎないものとさせてください。

このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の学びに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美: 新聖歌371「その血もてわが身を」

賛美: 今月のワーシップソング「花も」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

「主の栄光 宮に」

主の栄光 宮に / 主の平和 内に、

主の喜びが 満ちあふれる

イエスの御名により / 罪潔められ

今 聖霊が心に住まわれる

♬今月のワーシップソング「花も」

ここに泉は湧く 涙を過ぎるとき

やがて実を結び 笑い声に満ちる

花も雲も 風も大海(おおうみ)も

奏でよ 奏でよ イエスを

空に響け 歌え魂(たましい)よ

恵みを 恵みを 恵みを

仰げ 天は開き 僕らは見るだろう

やがて花は咲き 栄光の主が来られる

花も雲も 風も大海も

奏でよ 奏でよ イエスを

空に響け 歌え魂よ

恵みを 恵みを 恵みを

 

 

十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。