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メッセージ主題:『恐れず、イエス・キリストを証しせよ』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2019時年2月17日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌104「十字架の上に」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「花も」

交読: 交読文56:ローマ人への手紙第12章:新聖歌p.924-925

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌89「神は独り子を」

聖書拝読:使徒の働き22章11節(新改訳聖書)

中心聖句:

「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気をだしなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。』と言われた。」(11)

メッセージ主題:『恐れず、イエス・キリストを証しせよ』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『バプテスマと罪の洗い』と題しまして、お話をさせていただきました。21章で、大勢のユダヤ人たちに殺されそうになったパウロは、その混乱状態を鎮静化したローマ軍によって身柄を拘束されます。そして、22章で、民衆に向かって釈明の機会を与えられました。その内容は、パウロがどのようにして、キリスト信徒を迫害していたサウロ時代から、イエス・キリストを知り、イエス・キリストを伝える者へと変えられたかという、パウロの証しでした。先週はその証しの中のアナニヤの言葉、中心聖句でした、「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」というところから、バプテスマと罪の洗いについて学ばせていただきました。

今朝は、『恐れず、イエス・キリストを証しせよ』と題しまして、お話をさせていただきます。22章の民衆へのパウロの証しから、一夜明けて、23章では、ユダヤ人社会でのサンヘドリンという最高法廷にて、パウロは自己弁護をしようとします。最高法廷では、死者の復活もなく、御使いも霊もないとするサドカイ派とそのどちらもあるとするパリサイ派がいました。それをみてとったパウロは、機転をきかし、「私は死者の復活という望みのことでさばきを受けている」と申し立てます。すると両派は対立し出し、法廷は紛糾します。混乱により、パウロの身の危険を感じたローマ軍の千人隊長はパウロを保護します。その夜、イエス様がパウロに現われ、今朝の聖句によって、パウロを元気づけます。イエス様は、ローマでもエルサレムでしたようなキリストの証をするにようと告げられます。翌朝、パウロを暗殺しようと企てたユダヤ人たちがいましたが、主がローマ兵を動かし、パウロを守って、ローマでの証へと導くのでございます。そのところから、今朝はパウロの召命でもあり、私たちの召命でもあります、「イエス・キリストを証しする」ということを学ばせていただきたく思います。

お祈りをいたします。

今朝の聖句は、イエス様がパウロに現れたところでございますが、これでパウロに現れるのは4回目となります。1回目はダマスコ途上でのパウロの回心の時(使徒9:5)、2回目はアテネで宣教の難しさを味わい、コリントにたどり着いた失意のどん底の時(使徒18:9-10)、3回目はエルサレムでイエス・キリストの証しをするが受け入れられなかった時(使徒22:17-18)でございます。そして、今回の4回目。確実にパウロは、「イエスの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、イエスの選びの器」として、イエス様を証しするために、選ばれ、守られ、励まされ、導かれるのであります。

少し時間を割いて、パウロに現れたイエス様のお言葉に耳を傾けてみましょう。

1回目「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」

2回目「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」

3回目「急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。」

そして4回目「勇気をだしなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」

1回目、2回目、4回目と励ましの言葉が入っています。「立ち上がりなさい」「恐れないで」「勇気をだしなさい」イエス様がパウロを励ましたり、3回目のように危険を回避するための導きであったりするのは、イエス・キリストを証しするため、つまりは、主の栄光が現われるためであります。

私はこのイエス様のお言葉をお聞きすると、ヨシュア記の第1章を思い出すのでございます。若いヨシュアは、モーセの死後、後を引き継ぎ、多くの民を導く責任を負います。主はヨシュアに仰せになります、「ヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け」。(ヨシュア記1:2)しかし、リーダーというのは得てして孤独でございます。ですから、心細く思っているヨシュアを、「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(1:5)と主は励まされるのでございます。なんとも頼もしいお言葉ではございませんか。幾度となく「強くあれ、雄々しくあれ」と叱咤激励されるのでございます。そして、ヨシュアにこう諭すのでございます、「律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである」(1:8)と。この言葉は、後に、ダビデも詩篇1篇に記すことになります。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」(詩篇1:2)

ヨシュアを選び励ました主は、同じように、パウロも選び励ますのでございます。彼らを通じて、主に耳を傾ける民を、約束の地、永遠の御国へと導くため、そして主の救いにあずからせるために。

さて、皆さまは、ここまでお聞きくださって、いつものように天国長屋の八と熊はどのようなタイミングで、今朝のメッセージに出てくるのかと期待されておられるかも知れません。突然ではございますが、今からそのご期待にそいたいと思います。

ここまでのメッセージを聞いておりました天国長屋の八と熊は、帰りがけに話し合っております。

八:熊さん、パウロ先生はやっぱりすげえな。4回もイエス様の声を直接聞けるなんて。

熊:さすが、パウロ先生だ。イエス様に選ばれた方だけのことはある。俺なんざ、まだ1回もイエス様の声を聞いたことがねぇ。

八:まあ、イエス様がアラム語で語ってくださっても、俺たちぁ分からねぇけどな。

熊:ちげぇねぇ。英語ですら、さっぱりなんだから。

八:ところでよ。パウロ先生は、イエス様に直接選ばれた方だから、イエス様の声がきけたんだろ。じゃあ、イエス様の声が聞けない俺たちは、イエス様に選ばれてねぇのか。

熊:そんなことはないだろ。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネ13:16)とイエス様はおしゃっておられるじゃねぇか。

八:でも、それは、あのイエス様の初代の弟子たちに言った言葉だろ。

熊:そうだけども、イエス様はこのようにもおっしゃっているじゃぁねぇか、「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。」(ルカ10:22)って。

八:なんか、ややこしいな。「子が父を知らせようと心に定めた人たち」って誰のことったい。

熊:まあ、平たく言うと、「イエス様を信じた人」のことだ。「信じる」ということは、俺たちが勝手に信じたわけじゃねえ。聖霊の働きによって、「信じる」ことができるんだ。つまりは、「イエス様に選ばれた」ということなんだ。だから、イエス様を信じることができた人は、みんなイエス様に選ばれた人なんだよ。

八:すると何ない、熊さんがさっき言ってた御言葉、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」は、俺たちのことでもあるんだな。そうすると、「任命した」っていうのは、どういうこったい。

熊:「任命した」っていうのは、「イエス様の弟子となって、イエス様の証しをする」、つまりは、「イエス様の広報活動をする」っていうこった。

八:じゃあ、警察署の一日署長とか、親善大使というのと同じか。

熊:ちょっとちがうな。「イエス・キリストの証しをする」っているのは、イベント事じゃぁないんだ。一日限りのアルバイトやボランティアじゃ、ねぇんだ。牧師先生も言ってたじゃねぇか、あのヨシュア1章のところ。

八:「強くあれ、雄々しくあれ」か。

熊:ちがうよ、詩篇の1章のところと同じだって。

八:ああ、「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、(歌いはじめる)昼も夜もそのおしえを口ずさむ、その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても(ウンウン)栄える」

熊:なんだ、そのウンウンって。けど、最後まで歌ってくれて、ありがとうよ。

八:俺、この歌好きなんだよ。

熊:分かった、また後で歌おう。それよりも、その御言葉、「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」、八、歌わなくていいからな。その詩篇の御言葉が、クリスチャン生活の基本なんだ。

八:それって、横丁の隠居の受け売りだろ。

熊:当たり! イエス様の教え、聖書の御言葉を口に入れて食べないといけないんだとよ。ご隠居が言うんだぜ。そして、自分の肉となり血となって、俺たちの命とさせてもらわないといけないんだと。

八:分かった。だからかい、イエス様は、「わたしはいのちのパン」(ヨハネ6:35&48)っておっしゃったんだな。

熊:俺たちは、イエス様に聖霊を通して接ぎ木されたんだ。俺たちはイエス様から栄養を戴かないといけねぇ。その栄養が、イエス様の教えであり、聖書の御言葉なんだよ。

八:「おしえを口ずさむ」っていうのは、ただ単に口にするだけじゃぁなくて、御言葉を俺たちの血と肉にしないといけねぇということだな。

熊:その通り。けど、その御言葉を消化し、血と肉にしてくださるのは、俺たちの内に住んで下さっている聖霊様だ。俺たちが、自力でできるもんじゃぁねぇんだ。

八:そうか、それが、イエス様に従うっていうことなんだな。

熊:だから、御言葉を消化して、血と肉となれば、俺たちは、「キリストのかおり」になれるんだよ。

八:おお、その「キリストのかおり」っていいね。聖書のどこかにあったよな。

熊:「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」(2コリント2:15)

八:それだ。俺たちは、イエス様を食べて、「キリストのかおり」なれるんだ。

熊:これが、イエス様が俺たちに求める、「イエス・キリストを証しする」ということなんだ、と、俺は思うんだ。だから、昼も夜もイエス様のおしえを口ずさまないと。それもおまんまをいただくように、毎日、口にするんだよ。

八:いいねぇ。「キリストのかおり」になりてぇもんだ。

八と熊は、「イエス・キリストを証しする」ということが、少し分かってきたようでございます。

私たちはどうでしょうか。「証し」と聞けば、すぐ「救われた証し」と思う人がいらっしゃるでしょう。確かに救われた証し、イエス様を知った時の証しは素晴らしい力を発揮し、また魅力的であるかも知れません。しかし、そうでない方もいらっしゃるでしょう。なんとなく教会に行き、なんとなく聖書を読み、なんとなく洗礼を受けたという方も少なくないかもしれません。ですから、そういう方は「救われた証し」が苦手とおっしゃるでしょう。なにせ、よく耳にいたします「救われた証し」は、波乱万丈にとんだものが多いですから。私もそんな感じではございません。

ですが、信仰を持ち続けていらっしゃって、聖霊様によって御言葉を栄養とし血と肉とされていらっしゃる方は、その存在だけでイエス・キリストを証しされておられるのだと私は信じております。証しは言葉だけではなく、むしろ態度や行動に現れてくるのではないでしょうか。私の信仰の支えとなっています御言葉、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません」(1テサロニケ5:16-19)が強調するのは言葉ではありません。主や他の人たちに対する態度です。先ほど、熊さんが言ってましたように、「キリストの証人」とは、「キリストのかおり」なのです。その「キリストのかおり」が、福音を知らない人々の注意を引き、キリストに近づかせるのでございます。

今日のメッセージのタイトル『恐れず、イエス・キリストを証しせよ』には、わざわざ、「恐れず」と付け加えました。しかし、皆さん、もうお分かりのように、「恐れる」必要はないのでございます。なぜなら、「イエス・キリストを証しせよ」とは、言葉の証しを強調しているのではないからです。「キリストのかおり」になりなさいと申し上げているからであります。しかし、大胆に、イエス様を言葉で証ししなければならない時があったとしたら、必ず聖霊様が導いて下さいます。イエス様はおっしゃいます、「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。」(マタイ10:19-20)言葉で証しをする時には、内に住みたもう聖霊様に全幅の信頼をよせ、頼り切って、導いていただきましょう。もし「神様があなたに、大胆に言葉でわたしを証ししなさい」とおっしゃるならば、あなたはすでに「キリストのかおり」なのです。それゆえに、神様はあなたを選び、次のステップのために任命されるのです。どちらにしても、あなたは恐れる必要はないのでございます。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「恐れず、イエス・キリストを証しせよ」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

(3分間黙想)

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今日の導きを感謝いたします。今朝は「恐れず、イエス・キリストを証しせよ」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちを「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」者にしてください。イエス様の教えと聖書の御言葉を私たちの信仰の血と肉とし、私たちを「キリストのかおり」に変え、「イエス・キリストを証しする者としてください。

このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の学びに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美: ワーシップソング「主の教えを喜びとし」

賛美: 今月のワーシップソング「花も」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

「主の栄光 宮に」

主の栄光 宮に / 主の平和 内に、

主の喜びが 満ちあふれる

イエスの御名により / 罪潔められ

今 聖霊が心に住まわれる

●ワーシップソング「主の教えを喜びとし」

主の教えを喜びとし

昼も夜もそのおしえを口ずさむ

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。

時が来ると実がなり、その葉は枯れない。

その人は、何をしても  栄える

♬今月のワーシップソング「花も」

1 2

ここに泉は湧く 涙を過ぎるとき 仰げ 天は開き 僕らは見るだろう

やがて実を結び 笑い声に満ちる やがて花は咲き 栄光の主が来られる

花も雲も 風も大海(おおうみ)も 花も雲も 風も大海も

奏でよ 奏でよ イエスを 奏でよ 奏でよ イエスを

空に響け 歌え魂(たましい)よ 空に響け 歌え魂よ

恵みを 恵みを 恵みを 恵みを 恵みを 恵みを

 

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。