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メッセージ主題:『パウロのごとく』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2019時年3月10日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌104「十字架の上に」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「あなたの大庭で」

交読: 交読文59:ヨハネの第一の手紙 第4章:新聖歌p.927-928

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌108「丘に立てる荒削りの」

聖書拝読:使徒の働き26章19節~29節(新改訳聖書)

中心聖句:

「パウロはこう答えた。『ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」(29)

メッセージ主題:『パウロのごとく』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『主の備え』と題しまして、お話をさせていただきました。25章では、ローマの新任総督フェストは、パウロの裁判をさっさとしてしまおうとパウロに出廷を命じました。そこで、パウロは無実を訴え、カイザル、つまりローマ皇帝に上訴したのです。パウロはローマ市民でもあり、上訴する権利が与えられていました。そして、それは、大祭司たちのパウロを始末する計画を阻止する結果となり、また、パウロが目指していた福音宣教の最終目的地ローマに行くことになります。当時のローマの皇帝はネロで、皆さまご存知の「ローマの大火」紀元60年でありますが、その時からクリスチャンの迫害は一層厳しくなってきます。その時に、すでにパウロはローマ入りをしていました。主はパウロをローマに向かわせ、ローマ・クリスチャンのために、迫害に対する備えを施されたのであります。先週は、このようなところから「主の備え」について学ばせていただきました。

今朝は、『パウロのごとく』と題しまして、お話をさせていただきます。27章では、パウロはアグリッパ王の面前で、言い分を申し立てるチャンスを得ます。イエス・キリストを信じる者たちを迫害する者から、イエス・キリストを信じ、その福音を宣べ伝える者へと変えられたことを話し、イエス・キリストは、預言者たちやモーセが預言したこと、その通りの方であることを証しします。その証し人としてパウロは、主から選ばれ、その預言の成就を人々に大胆に宣べ伝えていくのでありますが、そのようなものに他の人もなってもらいたい、つまり、パウロのようになってもらいたいと告白するところから、パウロの思いを学ばせていただきます。

お祈りをいたします。

今朝の中心聖句にありますように、パウロの福音に対する思いは、次の通りでございます。「私が神に願うことは、あなたがたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、、、、私のようになってくださることです。」私は、このパウロの言葉の中に、パウロの二つの願いが込められてような気がするのです。一つは、イエスという実在の方が旧約聖書の預言を成就しているキリストであると信じるということであります。もう一つは、そのイエス・キリストへの堅い信仰によって、救いの証をし、他の人たちにイエス・キリストを伝えるということでございます。

この二つのことは、当時の宣教の両輪でもあったでしょうし、福音を伝えるということにおいて、コインの表裏に匹敵するものとも言えるかもしれません。少しこの二つのことを考えてみましょう。

旧約聖書の預言の成就者としてのイエス・キリスト(のことを考えてみましょう)

パウロは「私は、この日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした」(26:22)と述べました。このように、預言者たちを通して、創造の神が語ったキリストの出現は、じつはナザレ人イエスであったことを証しするのであります。そのイエス・キリストは、苦しみを受けられたこと、死者の中から復活されたこと、そして最初の光を宣べ伝えたこと、それらのことが預言されていたことであると、パウロは訴えるのでございます。パウロはこの証しにおいて、ユダヤ教から異端扱いされるべきものではないと間接的に主張しているともとれます。そして、特に「死者の中からの復活」に関しては、パウロは常に語っています。コリント人の第一の手紙でも、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」(15:17)と告げるように、簡単に申しますと、キリストの死は、過去・現在・未来においての全人類の罪の贖いであり、その死からの復活は、全人類の、死の克服、つまり、信じる者に対する、永遠の命の保証である聖霊の内住を導くからでございます。

しかし、パウロはこの救いの時点で満足してはいけないと思っています。救われたからには、そのイエス・キリストの愛を他の方々に伝える必要がある、いえ、伝えなくてはいけない、救いの証し、主の御業の証しをしないといけないと思っているのでございます。

イエス・キリストを伝える(ということを考えてみましょう)

まず初めに、立場をはっきりとしておきたいと思います。「イエス・キリストを伝える」のは自らが救われるためにしているのではございません。救われたから、イエス・キリストを伝えるのでございます。なぜなら、イエス・キリストによる救いには、御言葉を宣べ伝える力があるからでございます。「イエス・キリストを伝える」ということは、新しい契約を伝える、創造の神を基とした新しい救いの道・価値基準を伝えるということでもあります。パウロはそのことを、コリント人への第二の手紙で、次のように述べております。「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字(つまり律法・既成概念)に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです」(3:6) パウロは律法や既成概念のことを「おおい」つまり救いにあずかるための障害物であると説いています。「今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。」(2コリント3:15-17)この救いにまつわる、神との和解、既成概念からの解放と自由がございます。先に救われた者として、神様との和解、既成概念からの解放と自由を導く、新しい契約、新しい価値基準を、他の方々にお知らせする義務と喜びがあるのでございます。

これらのことをふまえて、パウロは、「私のようになって」くださることを願うのでございます。

さて、アグリッパ王の面前で、パウロの証しをきいていた人たちのなかに、天国長屋の八と熊がいました。二人とも、パウロの「私のようになってください」という大胆な願いに、すこし圧倒されております。

八:熊さん、いまのパウロのだんなの話をきいたかい。

熊:ああ、「私のようになってください」とは、えれぇ大胆に言いなさったものだ。

八:なかなか言えるこっちゃねぇよ。パウロのだんなの真似をするなんざ、俺にはできねぇな。

熊:パウロのだんなは、「真似をしてくれ」とはいってねぇぜ。

八:だってよ、「私のようになる」っていうのは、そういうことじゃねぇのか。

熊:いや、パウロのだんなの、言いてぇことはそんなこっちゃねぇと思うよ。人は十人十色さ、誰もが、パウロのだんなのようになれるわけでもねぇ。また、自分の力で、ああなれるわけじゃねぇ。神様のお力添え、後押しがあって、すべてのことがなせるんだ。

八:じゃあ、なにかい。俺は俺でいいってことかい。

熊:あたりまえだよ。八がパウロのだんなのようになっちまったら、俺も付き合いにくいじゃねぇか。

八:まあ、そりゃそうだわな。パウロのだんなと俺とじゃ、雲泥の差がある。

熊:八、そう思うのも間違いだ。パウロのだんなはパウロのだんな。八は八だ。どちらも、神様の目からみたら、みんな高価で尊いんだよ。みんな愛されているのさ。(イザヤ43:4)

八:だけど、パウロのだんなの召命は特別だぜ。あんなすごい働きは。

熊:確かにな。パウロのだんなは特別かもしれねぇ。でも、それは役割だ。神様はそれぞれに違った役割を備えて下さっているのさ。

八:じゃあ、パウロのだんなのいう、「私のようになる」っていうことはどういうことなんだい。

熊:パウロのだんなも、八も、俺も、みんな、神様の戒めのもとで生きているんだ。神様の戒めの中でいちばん大事なものってなんだ。

八:そりゃ、決まってるじゃねぇか。イエス様がおっしゃってる。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」、それと「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ22:37-39) これだよ。

熊:そう、そのいにしえからの戒めを、パウロのだんなも守っているのさ。ただし、救い主であるイエス様を通して、イエス様の教えを守りつつだ。

八:イエス様の教えっていうのは、あれかい。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)っていうものかい。

熊:そうだな。あれは、もともと「隣人を愛せよ」っていうのがあって、イエス様が愛の見本を見せて下さったから、そのようにしなさいとおっしゃっているわけだ。イエス様の場合、「互いに愛し合いなさい」っていうのは、「互いに仕え合いなさい」っていうことと同じなのかもしれないね。どちらにしても、パウロのだんなの見本はイエス様だ。そして、俺たちの見本もイエス様だよな。

八:なるほどね。パウロのだんなも「神に仕え、人に仕えているわけだ」。

熊:それに、パウロのだんなが、俺たちに願っているのは、「主の証人」となるということさ。「主を喜んで伝える者になる」っていうこと。

八:それって、「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい」(2テモテ2:8)というのと同じかい。

熊:同じようなものだけど、もう少し、「主を伝える」ということが前面にでてきているような気がするよ。「主をお証しする」というのは、言う本人は、主に力をそそがれ、その力によって証しができるわけだし、そうするとその人の信仰も堅くなる、もちろん、他の人も、その証しを聞くことで勇気も元気もいただける。だから、イエス・キリストをいつも思いつつ、イエス・キリストを伝える者とさせていただけるわけだ。ふたつは別個のものじゃあねえんだよ。

八:なるほどね。「イエス・キリストをいつも思う」っていうのは、つまりは「イエス様をいつも愛する」ことだし、「イエス様にいつも仕える」ということにもなるんだね。

熊:その通り。だから、「パウロのだんなのように」っていうのは、一時(いっとき)のことじゃねぇんだ。「イエス・キリストを証ししなさい」と言うのじゃなくて、「イエス・キリストの証し人となりなさい」っておっしゃってるんだ。つまり24時間、寝てる時も起きてる時も。

八:じゃあ、なにかい。食べてる時も、仕事している時も、歯を磨いているときも、風呂に入っている時も。

熊:ああ、いつもだ。おめえのどこを切っても、「イエス様の証人」でなくっちゃいけねぇ。

八:え、切られるのか、おれ。やだよぉ。

熊:たとえばだよ。

八:たとえばでもやだよ。切るんだったら、俺が売っる魚だけにしてもらいてぇもんだ。

八は、パウロの「わたしのようになる」という言葉は、「イエス・キリストの証し人となる」ことであると理解したのでございます。

先ほどにも申しましたが、パウロのイエス・キリストの証しの中には必ず、「イエス・キリストは死者の中からよみがえった方」であることを入れていました。それは、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく」なることを確信していたからでございます。

私たちはいかがでしょうか。パウロのように、主の証人となっているでしょうか。また、いつも主を思っているでしょうか。主の証しをする時には、キリストの死からのよみがえりを信じ、そのように証ししているでしょうか。その確信がない限り、私たちの救いの証しは、力をなくし、むなしいものとなるかもしれません。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「パウロのごとく」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。最後に、パウロは私たちをも励ましてくれます。パウロの言葉を紹介いたします。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。ですから、あなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であること恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」(テモテへの第二 (1:7-8)

(3分間黙想)

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「パウロのごとく」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちを内から清め強めてくださって、常に主の証人として、喜んで、イエス・キリストの愛をお伝えできますように、私たちを整え、導いてください。イエス・キリストの死からの克服・復活を確信し、大胆に主を証しすることができますよう、私たちを後押ししてください。

このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の学びに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美: ワーシップソング「主の教えを喜びとし」

賛美: 今月のワーシップソング「あなたの大庭で」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Father I Adore You

Father, I adore You Jesus, I adore You

Lay my life before You Lay my life before You

How I love You How I love You

Spirit, I adore You Adore: あがめる、崇拝する

Lay my life before You Lay my life before You:

How I love You 主にこのいのちを供えます・ささげます

●ワーシップソング「主の教えを喜びとし」

主の教えを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。

時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても  栄える

♬今月のワーシップソング「あなたの大庭で」

主イエスに愛されて 生きてゆけるよろこび

主を愛し 主と語り合う その楽しき交わりよ

主イエスに愛されて 生きてゆけるやすらぎ

主を愛し 主と語り合う その楽しきいのりよ

主よ あなたのみそばに ひきよせられた

よろこび  主よ  あなたの大庭に住まう   そのやすらぎよ

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。