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メッセージ主題:『元気を出しなさい』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2019時年3月17日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌191「慕いまつる主なるイエスよ」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「あなたの大庭で」

交読: 交読文1:詩篇 第1篇:新聖歌p.879

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌248「人生の海と嵐に」

聖書拝読:使徒の働き27章19節~29節(新改訳聖書)

中心聖句:

「ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」(25-26)

メッセージ主題:『元気を出しなさい』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『パウロのごとく』と題しまして、お話をさせていただきました。26章では、パウロはアグリッパ王の前で、言い分を申し立てるチャンスを与えられます。イエス・キリストを信じる者たちを迫害する者から、イエス・キリストを信じ、その福音を宣べ伝える者へと変えられたことを話し、イエス・キリストは、預言者たちやモーセが預言したこと、その通りの方であることを証しします。その証し人としてパウロは、主から選ばれ、その預言の成就を人々に大胆に宣べ伝えていくのでありますが、そのようなものに他の人もなってもらいたい、つまり、パウロのようになってもらいたいと告白するところから、先週はパウロの思いを学ばせていただきました。

今朝は、『元気を出しなさい』と題しまして、お話をさせていただきます。27章では、いよいよパウロたちはローマ兵に誘導されながら、イタリヤへ船で向かいます。カイザリヤからシドン、そしてミラを通りクレテ島のラサヤに寄港します。そこから季節的には危険を承知で出航し、案の定、十数日間の嵐にあい、マルタ島に漂着するまでのことが記されています。その嵐の中で、パウロは、船に乗っている人々276人全員が助かることを告げます。パウロの確信は、神のみ使いのお告げによるものでした。今朝は、このパウロの確信について学ばせていただきます。

お祈りをいたします。

パウロはどうして、神の御使いの言葉を素直に信じられたのでしょうか。難破し、荒波の藻屑と消えてしまうかもしれない危機感から「藁をもすがる」気持ちで、御使いの言葉を信じたのでしょうか。もしも、私がパウロの立場に置かれたとしたら、そうなのかもしれません。私はすごく弱い人間ですから、藁をもすがってしまうのです。たとえ、それが幻聴であったとしても。

しかし、パウロは神の御使いの言葉に確信をもっていました。全面的に信頼していました。なぜなら、パウロはこう言っています。「私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、(告げた)」。嵐の中、パウロは真剣に祈っていました。これまでも主であるイエス様に仕えて来たように、この嵐の中でも、主に祈りつつ、主に仕えていたのです。

そして、パウロは、このローマ行きは、主の導きであると確信していたのだと思います。あたかもアブラハムが、主にイサクを献げよと告げられた時、最終的に、イサクは死んでも生きると確信したのと同じです。アブラハムは、神に満天の星のように子孫を増やす、年老いてでもなお息子イサクを授けると告げられた約束を信じ、イサクを神に献げる決心をします。パウロもそうでありました。

パウロは、当時の世界の中心地であるローマを宣教の最終地とし、ローマ行きを願っておりました。この願いはパウロから出たものではなく、聖霊様によるものです。そして、ローマ軍に捕えられた時に、祭司長たちから逃れるという目的もございましたが、カイザルに上訴し、その結果、囚人という立場ではありましたが、護衛付きでローマに行くことが可能となったのでございます。パウロは、確信したのです。これはすべて主のご計画の内にあることを。

ですから、この嵐の中、パウロは真剣に祈り、主の逃れの導きを求めていたはずです。ここで嵐によって死ぬはずはない、必ずローマには主が守り伴ってくださると。もちろん、嵐は恐ろしい。船は大きく揺れ、きしみ、眠ることもできない日々が続きます。いくらローマに着くという確信があっても、パウロも人間ですから、嵐の中にあって、心細くなってしまうのです。

しかし、主は、そのパウロの目の前に現れ、パウロを励まします。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」(24) パウロはそのことを同船している人々に告げます。「皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」(25-26) はたして、パウロが告げた通り、船はアドリア海を通って、シシリー島やイタリヤに近いマルタ島に漂着するのでございます。

さて、パウロが乗船していたアレキサンドリヤの船には、天国長屋の八と熊も乗っておりました。

八:あぁ、怖かったねぇ、熊さん。俺はもう死ぬことも覚悟していたよ。ところで、俺たちはいまどこなんだ。

熊:聞くところによると、マルタ島というところに漂着したようだ。

八:俺たちは、14日間、何も口にしてねぇときに、あのパウロっていうだんなが「みんなで食事をとろう」と言った時には、もうこれが最後のおまんまかとおもっちまったよ。

熊:ああ、俺もさ。けど、あのパウロのだんなは違ってたな。「これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」(34)って言ってたよ。

八:そして、たらふく食べて、助かった。パウロのだんなの言うとおりになった。

熊:大したお方だ。あの方には神様がついていらっしゃる。

八:そうそう、神の御使いのお告げっていうのも言ってたよな。

熊:ああ、これだろ。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」

八:俺、初め、パウロのだんな、とうとう気がふれたんじゃねぇかと思ったよ。

熊:おれもさ。鎖でつながれて、船底にいるにもかかわらず、なんかやたらと真剣に祈っていたしな。

八:「神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」って、聞いた時には、俺たちゃ、いつ、パウロのだんなの所有物になったんだと不思議で仕方がなかったよ。

熊:あれは、どくとくな表現だな。俺たちがパウロのだんなの所有物になったというよりは、神様が俺たちのいのちをパウロの信仰に預けたっていうことじゃないかな。

八:パウロの信仰に預けたってどういうことだい。

熊:つまりは、パウロのだんなの神様への信仰は、どんなことがあっても揺るがない。だからその揺るがない信仰に、俺たちの命が預けられたんだよ。つまりは、パウロのだんなが助かれば、俺たちは助かるっていうことさ。

八:なるほどね。そういう意味だったのかい、あの神様の御使いのお告げは。

熊:だから、俺たちは食事をしてお腹いっぱいになって、そして食料を全部捨てちまっただろ。

八:ああ、あの時は『なんでだよ、これが最後の食事となっちまうのか』と思って泣けてきた。

熊:そう、実際、最後の食事だったんだよ、船の上では。パウロのだんなは知ってたんだ。もうすぐ助かるって。

八:なるほどねぇ。そうだったのか。俺はよぅ、パウロのだんなが「皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」と言っていた時に、何言ってんだか。神様を信じているんだったら、神様にお願いして、この嵐を鎮めてくれてもよさそうなものじゃないか、って思ってたよ。

熊:実は俺もそれ思ってた。パウロのだんなの信じているイエスっていうお方は、なんでも聞くところによると、ガリラヤ湖で大暴風が起こった時に、風と湖をしかって、大なぎにしたそうなんだ。

八:たまげたねぇ。そんな力のある方なのかい、イエスというお方は。それじゃ、そのイエスっていうお方にお願いすればよかったんじゃねぇのか。

熊:パウロのだんなやお連れの方も、いっしょになって祈っていたな。でもよ、かれらの祈りはちょいとおかしいんだ。「助けて下さい」っていう後に、「わたしの思いではなく、みこころのままに」とか「この祈りが聞かれましたから感謝します」とか付け加えてんだ。

八:分からねぇな。「わたしの思いではなく、みこころのままに」っていうのは、結局「助けてもらわなくてもいいですよ」っていうことかい。助けてもらいたいのか、そうじゃないのか、はっきりしてほしいわな。

熊:いやいや、助けてもらいたいんだよ。けどよ、それが神様の御計画にあえば、というちょいと控え目な感じなんだな。なんか神様にひれ伏していて、神様に従いますっていう感じがでてたよ。

八:つまりなにかい。王様とそのしもべのような感じかい。絶対的な主権が王様にあるのと同じで、「こうこうの願いがあるのでございますが、王さまいかがいたしましょう」ってな感じかい。

熊:そんな感じかなぁ。そこは、パウロのだんなの信じている神様を信じてみねぇとはっきりとは分かんねぇのかもしれねぇな。

八:それともう一つの「この祈りが聞かれましたから感謝します」っていうのはどういうことだい。今祈ったんだから、まだ神様が聞かれたかどうかなんてわかんねぇじゃねえか。

熊:なんか「祈ったら、聞かれる、だから前もって感謝する」というんだけど、さっきの「みこころのままに」っていう控え目さと、「前もって感謝する」っていう大胆さとが、微妙なんだな、これが。

八:なるほどねぇ。でも、神の御使いが現われてからのパウロのだんなはえらい大胆になっていないかい。

熊:そうなんだよ。もともと大胆なお方だそうなんだけど、神様が「パウロはカイザルの前に立つ」と宣言され約束されたから、もう百人力千人力のように元気になって言ってたよな。「皆さん、元気を出しなさい」って。まあ、御自分が一番元気をもらったんじゃないかなと思うんだけどね。

八:ちげぇねぇ。パウロのだんなが一番元気をもらってたはずだ。でもよ、あの元気は、羨ましいよ。あの元気はいったいどこからくるのか。

熊:恐らく、イエスというお方への信仰心からだろうな。何があっても変わらないお方、絶対に頼りになるお方、そんな方を信じるだけで元気が 出そうじゃぁねぇか。

八と熊は、嵐の中を助けられた喜びと、安堵と、それと、この奇跡を行った、主なる神様に感謝をささげつつ、パウロの信じているイエス様に興味をひかれているようであります。

私は、このパウロの「元気を出しなさい」という言葉を聞きますと、ワンパターンかもしれませんが、ヨシュア記の1章5節~9節までを思い出してしまうのでございます。ヨシュア記では「強くあれ、雄々しくあれ」と言われております。英語では、be strong and courageous と訳されています。Strong は「強く・たくましく」という意味で、courageous は「勇気のある・度胸のある」という意味でございます。また、使徒の働きのこの「元気をだしなさい」という英語も keep up your courage 「勇気・度胸を持ち続ける」という表現が使われ、ヨシュア記のそれとほぼ同じでございます。

この勇気や度胸も、自分の力で出て来るものではございません。これは、私たちの主、イエス・キリスト様であり、内に住みたもう聖霊様の力によるものであります。ですから、ヨシュア記の1章8節では次のように勧めています。「この律法の書(つまり御言葉)を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである」ここまでお読みしますと、思い出されますでしょう、詩篇の1篇2節が。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」 強くあって雄々しくあるため、また、元気をだすには、聖霊様の助けが必要で、その聖霊様が働いてくださるには、御言葉が必要なのでございます。ですから、ヨシュアもダビデも、昼も夜も、つまり一日中、御言葉を口にし賛美・礼拝することを勧めておるのでございます。そして、そのことは、パウロの次の言葉と同じことなのです。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれた死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい」(2テモテ2:8) これがパウロの元気の秘密なのでございます。私たちの人生も、今回のパウロの航海と同じかもしれません。いろんな嵐がいままでにでもこれからも待ち受けております。その嵐の中で、主はパウロを通して、私たちに「元気を出しなさい」とおっしゃるのでございます。そして元気をいただくためには、御言葉を一日中口ずさみ、いつもイエス・キリストを思うことが大切なのでございます。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「元気を出しなさい」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。最後に、詩篇の27篇の1節と14節の御言葉をお読みいたします。「主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。」「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」

(3分間黙想)In My Life Lord

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「元気を出しなさい」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。元気の秘密は、イエス様への信頼と常にイエス・キリストを思うことと御言葉を口ずさむことにあります。どうか私たちが常にこのことを忘れず、主の共にあゆませていただけますように。

このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の学びに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美: 「慕いまつる主なるイエスよ」YouTube version

https://www.youtube.com/watch?v=nHIxnIpDjeE

賛美: 今月のワーシップソング「あなたの大庭で」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

In My Life Lord

In my life Lord be glorified, be glorified.

In my life Lord be glorified today.

In my song Lord be glorified, be glorified.

In my song Lord be glorified today.

In Your Church Lord be glorified, be glorified.

In Your Church Lord be glorified today.             be glorified: 栄光あれ

♬今月のワーシップソング「あなたの大庭で」

主イエスに愛されて 生きてゆけるよろこび

主を愛し 主と語り合う その楽しき交わりよ

主イエスに愛されて 生きてゆけるやすらぎ

主を愛し 主と語り合う その楽しきいのりよ

主よ あなたのみそばに ひきよせられた

よろこび  主よ  あなたの大庭に住まう   そのやすらぎよ

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。