· 

メッセージ主題:『福音を伝える恵みと喜び』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『使徒の働き』

2019時年3月24日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌281「疑い憂いに」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「あなたの大庭で」

交読: 交読文2:詩篇 第8篇:新聖歌p.879-880

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌264「われ贖われて」

聖書拝読:使徒の働き28章28節~31節(新改訳聖書)

中心聖句:

「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(30-31)

メッセージ主題:『福音を伝える恵みと喜び』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、メモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『元気を出しなさい』と題しまして、お話をさせていただきました。27章では、いよいよパウロたちはローマ兵に誘導されながら、イタリヤへ船で向かいます。カイザリヤからシドン、そしてミラを通りクレテ島のラサヤに寄港します。そこからローマに向かおうとするのですが、十数日間の嵐にあい、マルタ島に漂着するまでのことが記されています。その嵐の中で、パウロは、船に乗っている人々276人全員が助かることを告げます。パウロの確信は、神のみ使いのお告げによるものでした。先週は、このパウロの主にあっての守られるという確信について学ばせていただきました。

今朝は、『福音を伝える恵みと喜び』と題しまして、お話をさせていただきます。28章では、マルタ島に漂着したパウロたちは、シシリー島のシラクサに行き、そしてイタリヤ半島の最南端にありますレギオンを通り、ローマに近いポテオリに入港し、そこから陸路をつたってローマ入りを果たします。ローマでは、番兵付きで自分だけの家に住むことを許されます。そこで、パウロは約二年間、自由に福音を伝えるという機会を得ます。この二年間はパウロにとって至福の時であったと思われます。今朝は、パウロを通して、「福音を伝えるのは恵みである」ことを考えてみたいと思います。

お祈りをいたします。

パウロはもとより、当時の弟子たちは迫害の中で、散り散りバラバラとなりながら、イエス・キリストの福音を伝えて行きました。しかし、このローマでの二年間は、パウロにとって不思議にも守られた期間となりました。自費で家を借り、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、しかも少しも妨げられることなくイエス・キリストの福音を伝え、また他の地域のクリスチャンに手紙を書き、励ましました。私たちが今読める、獄中書簡と呼ばれる、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、及びピレモンへの手紙がそれでございます。西暦61年前後でしょう。ローマの大火は64年7月19日と記録され、皇帝ネロはその大火の原因をキリスト教徒のしわざとし、キリスト教徒の迫害を強めていきます。パウロのローマでのゆるい軟禁状態は、その前の二年間であり、訪問客が絶えず、自由な語らいがあり、パウロもそれを楽しんだのではないでしょうか。

私は、この比較的平和で自由な二年間、パウロはローマにおいてのびのびと福音を宣べ伝え、爆発的に、信徒を増やしていった時期なのではないかと想像しております。ですから、このキリスト教徒の増殖は、皇帝ネロにとっても脅威だったに違いありません。それほどまでに、パウロはこの時期、彼が世界の中心及び福音の最終目的地として選んだローマで、いきいきと福音を語り、その福音を語る事に幸せをも感じるようになっていたのではないでしょうか。私は、彼のその幸福感が、ピリピ人への手紙の1章20節から26節に現れているような気がしてならないのです。少し長いですが、お読みいたします。

20節「それは、私がそういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。」

もちろん、パウロの福音に対する姿勢は変わりませんし、いつも死をも覚悟して宣教していたことでしょう。しかし、ここであえて、「生きるにしても」という言葉が述べられていること自体、パウロは「生きて福音を宣べ伝える喜びを味わっている」にほかならないのです。

21節「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」

パウロは、生きて福音を宣べ伝えるという召命をはたすことは喜びであり、パウロの生きがいがキリストであることを強調しています。もちろん、死は、永遠にキリストと共にいることのできる幸せであり、彼の個人的な願いの成就であります。しかし、この文章では「生きて、主のために働く喜び」の方がまさっているのでございます。

22節「しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。」

まさしく、パウロは「どちらを選んだらよいか、分からない」と言いつつ、実際に、福音を聞いて、イエス・キリストを信じる人が多く起こされてきている、このローマの伝道の状況に喜びを感じ、「まだ生きて主のために働きたい」という願いの方が、彼の心を占領しつつあるのです。

23節「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。」

パウロは、頭では「世を去ってキリストとともにいることのほうが、はるかにまさっている」ことを分かっているのです。百も承知なのです。しかし、心は「まだまだ生きて、種を蒔き、その実がなるのを見てみたい」と思っているのでございます。目の前に広がっています麦畑の青草が色づくのを期待しているのでございます。

24節「しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。」

ついに、心が頭に勝りました。これがパウロのその時点での本音です。パウロは自分を納得させるためにも、この文章を書いているのではないでしょうか。今までは、死に直面していることが多く、死ぬ前に、もっと福音を伝えなければと、ある意味危機感をもって伝道という種まきをしていました。迫害ゆえに先のことに目が向けられなかったとも言えるかも知れません。しかし、種を蒔き、青々とした葉がでてきて、豊かに実った麦の穂が風に揺れるのを眺めれば、だれだって、その麦の穂を刈り取って共に喜びたいわけでございます。パウロはその喜びを知ってしまったのでございます。

25節「私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。」

パウロは詩篇の126篇を思い出していたに違いありません。「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(5)この詩篇はバビロン捕囚の民の帰還を願い求める祈りでございますが、福音宣教の祈りにも適応されるのでございます。パウロは、「『涙とともに種を蒔く』のは私の役目であって、『喜び叫びながら刈り取る』のは、私でなくてもいい、私の後につづく他の誰かでいい」と思っていたはずです。しかし、パウロは、刈り取りの喜びも、この至福の二年間で十分味わったのであります。刈り取りの喜びが、どれだけ励まされ、再び種をまく勇気をいただくかを、パウロは知ってしまったのでございます。

このローマでの二年間は、パウロに与えられた、神様からの特別の恵み、ご褒美であったに違いありません。

さて、ローマにいます天国長屋の八と熊も、たびたび、パウロのところにいっては、キリストの話を聞いております。

八:熊、やっぱりパウロのだんなはすげえなぁ。パウロのだんなのイエス様への愛はあついよ。

熊:そうさなぁ。あの人がキリストを語り出したら、止まらねぇ。今日も「キリストは神の力、神の知恵」(1コリント1:24)っておっしゃってたなぁ。

八:そう、「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また義と潔めと、贖いとになられた」(1コリント1:30)って。

熊:それによ、罪の贖いの話といっしょにくっついてくるのが、よみがえりだ。「キリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられた」(1コリント15:20)って、だから俺たちも、キリストと共に復活するんだって。えぇ、なんか嬉しくなるね。励まされるよ。パウロのだんなの話には。

八:「あなたがたはもう自由です。キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」(ガリラヤ5:1)って聞いた時には。もう嬉しくて仕方がなかった。俺たちはもう自由なんだってね。

熊:でも、自由っていうのは、便利でいて便利じゃねぇかもな。

八:それってどういう意味だい。

熊:考えてもみろよ。俺たちには律法があった。律法をそこそこ守っていれば、なんとなく大丈夫っていう気持ちにさせられた。けど、律法から自由になってしまえば、俺たちはどこからどこまでが自由なのか分からなくなるじゃねえか。

八:だから、パウロのだんなは「御霊によって歩みなさい」(ガラテヤ6:16)っていわれるんだ。

熊:けどよ、「御霊によって歩む」ってどういうことだい。

八:パウロのだんなはおっしゃってたじゃねぇか。「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」(ガラテヤ5:25)って。俺たちの内に住んでくださっている聖霊様に従うってことだろうねぇ。

熊:それって、イエス様がおっしゃっていたやつかい。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

八:そう、でも俺たちは直接イエス様を知らねぇ。イエス様のおっしゃった事を思い起こすっていうことはできねぇよ。だからこそ、聖書がある、その中の御言葉があるんじゃぁねぇか。パウロのだんながいらっしゃるんじゃねぇか。

熊:そうか。だから聖書を読んだり、御言葉を聞くことを大切にしないといけねぇんだな。

八:御言葉はいのちだ。御言葉や祈りが、俺たちにいのちを与えてくださるんだ。

熊:だから、パウロのだんなは、いつも「いのちのことばをしっかり握りなさい」っておっしゃるんだな。

八:パウロのだんな、それを言ってる時、本当に嬉しそうだよな。

熊:ある時、こんな風に言ってらした。「いのちのことばをしっかり握って、人々の間で世の光として輝くのです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」(ピリピ2:16)

八:あれだけ、一生懸命、イエス様を人々にお伝えなさっているんだ、イエス様もほめてくださるだろうよ。「誇る者は、主にあって誇りなさい」(2コリント10:17)とか「誇る必要があるのなら、(私は)自分の弱さを誇ります」(2コリント11:30)とおっしゃるパウロのだんなが、「キリストの日に誇ることができます」と言うんだから、よっぽど嬉しいんだよ。

熊:そりゃそうだろうなぁ。だれでも自分が手入れしていた畑が実って豊作になればうれしいもんさ。パウロのだんなを見ていると、おれたちも「福音を伝えたい、世の光でありたい」と思うよ。

八:「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」まさに、今のパウロのだんながこの御言葉どおりだ。

八も熊も、嬉しそうです。パウロが熱くそして、喜びながら、イエス・キリストのことを語るものですから、彼らも嬉しくなって、心おどってしまうのは当然でございます。

さて、私たちは、イエス・キリストを証しする時、笑顔で嬉しそうに喜びながらお話ししているでしょうか。また、証し自体を他の方々にしているでしょうか。証しは言葉だけではありません、態度や行動も証しの手段でございます。私が最初にイエス・キリストに興味をもったのも、回りのクリスチャンの方々の笑顔でした。主が私たちにどんな素晴らしいことを成してくださっているか、その喜びをおすそわけすることが、先に救われた者としての全員に課せられた召命ではないでしょうか。主にあっていつも喜んでいる、私には、日常生活をしている中で、最も大切な事のように思えるのでございます。パウロも同じ気持ちだったでしょう。あのパウロが同じことを繰り返し言うのですから。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「福音を伝える恵みと喜び」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。最後に、詩篇の92篇の4節の御言葉をお読みいたします。「主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。」

(3分間黙想)He is Lord.

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「福音を伝える恵みと喜び」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが常に主にあって喜んでいないと、福音は伝えられませんし、また伝わらないものでしょう。どうか、聖霊様にいつも喜ぶように導いていただきましょう。そして、主の証人として、証しをするときにこそ、本当の喜びがあり、その喜びを味わう者とさせてください。

このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の学びに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌166「威光・尊厳・栄誉」

賛美: 今月のワーシップソング「あなたの大庭で」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

He is Lord.

He is Lord, He is Lord     He has risen from the dead    And He is Lord

Every knee shall bow     Every tongue confess

That Jesus Christ is Lord

You are Lord, You are Lord      You have risen from the dead And You are Lord

Every knee shall bow       Every tongue confess

That Jesus Christ is Lord

has risen: あがる(よみがえる) the dead: 死者 Lord: 主、君主 knee: ひざ

bow: 曲げる tongue: 舌 confess: 告白する

♬今月のワーシップソング「あなたの大庭で」

主イエスに愛されて 生きてゆけるよろこび

主を愛し 主と語り合う その楽しき交わりよ

主イエスに愛されて 生きてゆけるやすらぎ

主を愛し 主と語り合う その楽しきいのりよ

主よ あなたのみそばに ひきよせられた

よろこび  主よ  あなたの大庭に住まう   そのやすらぎよ

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。