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メッセージ主題:『天国人』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ローマ人への手紙』

2019時年4月7日

礼拝前祈祷:9:30 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌145「栄えに満ちたる」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「My Love Song」

交読: 交読文4:詩篇 第18篇:新聖歌p.881-882

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌141「イエス君は」

聖書拝読:ローマ人への手紙2章28節~29節(新改訳聖書)

中心聖句:

「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」(28-29)

メッセージ主題:『天国人』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

聖書を閉じて、できるだけメモも取らずに、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『福音は救いを得させる神の力』と題しまして、お話をさせていただきました。ローマ書の第1章は、パウロのローマの信徒の方々への挨拶的なところでございます。4つのポイントをあげさせていただきました。①キリストの福音は、恥ではないということ。②福音は全ての人のものだということ。③福音は信じる人にとって救いを得させる神の力であること。④福音を信じる人は、義人として生きるということです。

今朝は、『天国人』と題しまして、お話をさせていただきます。ローマ書第2章は、パウロは「自分のことを棚に上げて、人を裁く、人のあら捜しをする」という、人間の(ある意味)根源的な罪について語られています。そして、その罪を明らかにしてくださる神の慈愛が悔い改めに導き、その神の前に出て悔い改めすること、新たにされることこそが、ユダヤ人や異邦人に関係なく、御霊による心の割礼であるとパウロは主張するのです。今朝は、裁きと悔い改め、そして心の割礼について、考えさせていただきましょう。

お祈りをいたします。

ローマ書第2章冒頭では、「あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです」(1b)とパウロは、「裁く」ことに対して注意喚起をします。この人間的な「裁く」という意識は、神の慈愛を軽んじることから生じるとパウロは説きます。「神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その(神の)豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」(4)と訴えるのです。そう、「裁きは神のもの、神の領域」なのです。「人を裁く者は、神の裁きの日に、神に裁かれるのです。」パウロはこのことを第2章の中で次のように語っています。「ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。」(5)人を裁くということは、「かたくなさと悔い改めのない心」からくると、パウロは述べています。つまり、人間は、「自分は正しい」と自己中心的な、そして、もっと恐ろしい心の状態、「自分は神である」かのように、他人をそのように見てしまう、他人を見下してしまうのです。創造主である神でさえ、創造物である人間を見下したりはしません。なぜなら、神は、愛ゆえに人間を自らの形に似せて創造されたからです。愛ゆえに、御子イエス・キリストをこの世にお送りくださったからです。実に、「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためでなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:17)という御言葉どおりの、愛と憐れみを、神は私たちに惜しみなく注がれるからであります。

人のあら捜しをし、人を裁くという行為は、先ほども申しましたが、自己中心の隠れた意識の現われなのです。そして、その行為は、神を神として畏れ敬う意識の低下によって、「裁き」という神の領域に足を踏み入れてしまう罪なのです。人を裁くという行為は罪なのです。イエス様はおっしゃいます。「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイ7:1-2)イエス様は、そのように人のあら捜しをし、裁く人を「偽善者」と呼ばれました。(マタイ7:5) これはきびしい言葉であります。イエス様は、「偽善者」のことをイザヤ書29章13節を引用しながら、次のように非難しています。「イザヤは、あなたがた偽善者について預言して、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」(マルコ7:6-8)この言葉は、パリサイ人や律法学者に告げられたものでありますが、「さばいてはいけません」と戒められたのは、神の兄弟姉妹でございます。つまり、神を礼拝していると思っている私たちでございます。偽善者の心は、主である神から遠く離れていて、それこそが罪なのでございます。そして、「人間の教え」や「人間の言い伝え」とは、律法や慣習のことであり、パウロが今朝の聖句で主張するところの「文字」のことでもあります。神の戒めとは「神と人を誠心誠意愛すること」でありますから、そのことが出来ていないと、何をしてもむだであり、悔い改めて、神の方を向き直さないといけないと、イエス様はおっしゃるのでございます。

さて、今朝の中心聖句を見てみましょう。もう一度お読みいたします。「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」 神から選ばれた民であるユダヤ人は、その選ばれた印として割礼が義務付けられました。ですから、ユダヤ人にとって、割礼はもっとも大切な儀式でもございます。もちろんイエス様もユダヤ人でありますから、生まれて8日目に割礼をうけております。しかし、パウロはあえて、からだの割礼が本当の割礼ではない、彼らはほんとうのユダヤ人、神から選ばれた民ではないと主張するのでございます。本当のユダヤ人、神から選ばれた者となるには、御霊による、心の割礼を受けないといけないと説くのでございます。

では、パウロの言う、「御霊による、心の割礼」とはどういうことなのでしょうか。パウロは、からだの割礼と心の割礼として、対比させていますが、他の手紙のところでは次のように説いています。

●1コリント7:19「割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。」 心の割礼は、『神の命令を守ること』。

●ガラテヤ5:6「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」 心の割礼は、『愛によって働く信仰』。

●ガラテヤ6:15「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」 心の割礼は、『新しい創造』、『新しく造られた者となる』(2コリント5:17)。

●ピリピ3:3「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。」 心の割礼は、『神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしないこと』。

●コロサイ2:11「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。」 心の割礼は、『肉のからだを脱ぎ捨て、キリストにあって受けたバプテスマ(洗礼)』。

総合しますと、心の割礼とは、『キリストにあって受けた聖霊のバプテスマであり、キリストによって救いにあずかり、そのことによって、肉的なものを頼りにせず、キリストと共に新たに生まれ変わり、御霊によって神を礼拝し、愛である神の戒めを守ること』。もっと平たく言えば、『聖霊によってキリストを心から愛し、キリストに聞き従うこと』であります。

さて、ここまでお話しさせていただきましたが、これからは天国長屋の八さんと熊さんにバトンタッチをさせていただきます。では、八さん熊さんよろしくお願いいたします。

八:ひぇ~、牧師先生、無理矢理、俺たちを登場させちまったよ。

熊:俺は、もう今日は出番がないと思ってたね。

八:牧師先生ももう疲れてきたんじゃねぇか。昨日あんまり寝てねぇようだから。

熊:ところで、八。今日のメッセージのタイトル、知ってるか。

八:ああ、「天国人」だろ。

熊:でもよ、牧師先生、ひとつも天国人の話をしなかったよなぁ。どうなってんだい。

八:忘れてたんじゃねぇか。 寝不足だし。

熊:ちげぇねぇ。ところで、天国人ねぇ。天国人っていったい誰なんだ。

八:横町のご隠居が言ってなぁ。天国人は天国ことばを話すんだと。

熊:天国ことばって何だい。天国語っていうのがあるのかい。

八:日本語とか英語とかのように、天国語っていうのじゃないそうなんだ。つまり、プラスのことしか言わない、プラスの言葉しか使わないのが、天国ことばだそうな。

熊:プラスのこと? つまり、相手をほめたり、感謝したり、喜んだりか?神様を賛美するのもそうだろうな。それに、挨拶するのもそうかもな。

八:まあ、そう言ったたぐいのものだろうねぇ。相手をけなしたり、見下したり、悪口言ったり、今日のメッセージにもあった、裁いたり、人の粗を捜したり、はたまた、重箱の隅をつついたり、そんなことをしないのが天国ことばだろうし、そのような人が天国人なんだろうね。

熊:だけど、そんな奴いるのか、この世の中に。天国にいるから天国人じゃないのかい。

八:いやいや、この世にいて、天国人なんだそうな。

熊:だけど、それって、人間業じゃねぇよな。うわっつらな言葉だけだったら、それこそ、今日の「偽善者」じゃねぇか。

八:そうだよな。だから人間業じゃねぇんだよ。聖霊様が働いてくださらないといけないんだよ。

熊:なるほどねぇ。そこで、「御霊による心の割礼」とつながってくるんだ。あれは、聖霊のバプテスマのことだもんなぁ。

八:だから、今日の中心聖句のユダヤ人というのがあるだろ。それを天国人に入れ替えて読むといいんじゃねぇのかな。

熊:そうか、じゃ、ちょっとやってみるよ。

「外見上の天国人が天国人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れた天国人が天国人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」

なんか、しっくりこねぇな。余計ややこしくなったぞ。俺たち、もともとユダヤ人でもなければ、割礼も受けてねぇからな。

八:じゃあ、もうちょっと変えてみるか。これじゃ、どうだ。

「クリスチャン全員が天国人なのではありません。教会に通う人が必ずしも天国人ではありません。目立たず控え目なクリスチャンが天国人であったりします。聖霊のバプテスマこそが真の洗礼です。人から褒められることより、神様から褒められることが大切です。」

熊:だいぶ、分かりやすくなったね。そして、これに天国ことばを話すこと、プラスのことばや、感謝や喜びの言葉を話すことを付け加えればいいんだな。でもよ、初めのほう、なんか裁いている感じがしねぇか。どちらかというとマイナスなイメージだ。

八:じゃあ、そこは思い切って省いちゃえ。これじゃ、どうだ。

「天国人はクリスチャンで天国ことばを話します。人を励ます言葉や感謝や喜びを表すのが天国ことばです。天国人は、聖霊のバプテスマを受けていて、人からほめられるより、神様からほめられることを大切にします。」

熊:おお、良くなってきた。それに、牧師先生の言った最後のことばも付け足してあげようよ。

「天国人はクリスチャンで天国ことばを話します。人を励ます言葉や感謝や喜びを表すのが天国ことばです。天国人は、聖霊のバプテスマを受けていて、人からほめられるより、神様からほめられることを大切にします。天国人は、聖霊によってキリストを心から愛し、キリストに聞き従います。」

八:いいんでないかい。はじめのパウロの言葉とはだいぶ変わっちまったけど、パウロが言いたかったことは入っているような気がするね。俺たちゃ、天国長屋の住民だ。だから、もうすでに、天国人ってわけだ。いいねぇ。

八さん、熊さん。私の言いたかったことをよくここまでまとめてくれて、ありがとうね。感謝いたします。さて、皆さまはいかがでしょうか。もうすでに天国人であられますよね。パウロも迫害者から、聖霊のバプテスマを受けて、天国人に変えられた一人であります。パウロは自分のことも含めて告白しています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「天国人」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。最後に、コリント人への手紙第二の5章9節の御言葉をお読みいたします。「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。」

(3分間黙想)Glorify thy name

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「天国人」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。イエス・キリストを信じる私たちが、つねに「天国人」であることを意識し、聖霊様の導きによって言葉や態度に気をつけることができますように。

このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の学びに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌175「胸の奥に」

賛美: 今月のワーシップソング「My Love Song」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Glorify Thy Name

Father, I love You,

I praise You, praise: 賛美する、ほめたたえる

I adore You, adore: あがめる

Glorify Thy name in all the earth. glorify: 栄光をたたえる、賛美する

Glorify Thy name, Thy: あなたの、なんじの

Glorify Thy name, in all the earth: 全地で

Glorify Thy name in all the earth. Spirit: 聖霊

(Jesus) (Spirit)

今月のワーシップソング「My Love Song」

私を選び、あなたのものとされた、いつもそばにいて恵みを受ける

なにもできない弱虫だったけど、あなたは不思議な勇気をくれた

歌え、愛するわが主に、心 今広げ

My Love Song 愛しい主イエスよ、あなたに愛を歌う

神の子どもとされた この喜び、海より大きな主イエスの愛

あなたが私に愛をくれたから、私はあなたを愛し続ける

歌え、愛するわが主に、心 今広げ

My Love Song 愛しい主イエスよ、あなたに愛を歌う

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。