· 

メッセージ主題:『キリストとの共同相続人』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ローマ人への手紙』

2019時年5月19日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌21「輝く日を仰ぐとき」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「君は愛されるために生まれた」

交読: 交読文9:詩篇 第27篇:新聖歌p.885-886

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌89「神は独り子を」

聖書拝読:ローマ人への手紙8章15節~17節(新改訳聖書)

中心聖句:

「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。」(15)

メッセージ主題:『キリストとの共同相続人』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『葛藤からの感謝』と題しまして、お話をさせていただきました。ローマ書第7章は、前半は、律法からの解放と新しい御霊、内に宿られる聖霊様によって、新たに神に仕えるということが説かれていますが、後半は、心の中の神の律法を喜びつつも、からだの中にある罪の律法にいまだに仕えている自分がいる、その葛藤をパウロは告白しています。パウロの言うところの「罪の律法」とは、罪の誘惑のことではございません。当時のユダヤ人の信仰の基盤である律法が、罪を際立たせるものであり、その文字による律法が、彼らの体にも頭にもしみ込んでいて、そこからの真の解放を難しくしていると告白しているのです。先週は、そのパウロの葛藤から学びせていただきました。

今朝は、『キリストとの共同相続人』と題しまして、お話をさせていただきます。ローマ書第8章は、7章での肉と霊の葛藤とは打って変わって、主が光を指して下さり、「イエス・キリストにある者は罪には定めない、だれもイエス・キリストにある者を神の愛から引き離すことはできない」とパウロを通しておしゃってくださる章でございます。そんな、神の愛の励ましの第8章から、イエス・キリストが十字架での罪の贖いと死の克服により復活されたことによって、私たちの内に住み給う聖霊様を通して、私たちが、「神様を天のお父様、アバ、父、すばらしいお父さん」と呼べるようにされた、神様の子とされた、その大いなる愛について、今朝はその喜びを分かち合いたいと思います。

まず、主に祈りをささげましょう。

第7章で、パウロは、自分のことをみじめな人間だと言い放っていました。私たちには、多かれ少なかれ肉の思い、罪の思いが残っているからであります。しかし、こんなみじめな人間である私たちが、感謝できる、いえ、感謝してもしきれないことがございます。それは、イエス様が私たち罪人を御国へと招くためにいらしてくださったという事実でございます。(マルコ2:17) 神は、パウロを通して次のようにおっしゃいます。「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」(8:6)『肉の思い』とは、罪を犯してしまう性質です。罪という肉の思いに支配されれば、自分を中心において行動してしまいます。極端に言えば、「自分さえよければいい」と思ってしまうことであって、それは罪に支配されている心なのであります。

「いや、私はそこまで自己中心ではない」と思っていらっしゃるかもしれません。また、「私は結構善良な市民じゃないか」とやわらかく自負されていらっしゃるかも知れません。いえ、事実、皆さんは善良な市民だと思います。しかし、それは、他の人間と比べてのことでしょう。例えば、日々、テレビのニュースを騒がしている人々、その人たちは、番組のコメンテーターにさんざんに言われます。また、コメンテーターがさんざんに言わないとしたら、何らかの力によってまた忖度によって、言論統制がしかれているのでしょう。私たちは、私も含めて、全員、茶の間にいて、いっぱしのコメンテーターです。私はコメンテーターが悪いと申し上げているのではございません。私たちは、他人と較べて、良い悪いを判断しがちだと申し上げているのです。

私たちは、創造の神の御前に出て、茶の間のコメンテーターを演じ切ることはできるでしょうか。私は正直言ってできません。全く義のかた、正しい方である神の御前に出て、罪人である私がなにをコメントできるでしょう。私は、ひれ伏し、神に自らの悪い言動と思いに対して、赦しを乞うしかありません、「主よ、お赦しください」と。

私は、死にたくありません。もちろん、この肉体は遅かれ早かれ滅びます。しかし、私のたましいを滅ぼしたくはありません。

神の御子であられるイエス様は、私たちのたましいの滅びから救うために来られたのです。私たちの自分では断ち切れない肉の思いを断ち切っていただくために、主であるイエス様は、自らの命をもって、私たちの罪を清算し、罪の奴隷のくさりを断ち切り、罪から解放してくださったのです。私たちが、そのことに対してイエス様に感謝し、御名をほめたたえる、それは、私たちがイエス様を信じた時に天から下ってきてくださり、私たちの心に住んでくださっている聖霊様の働きによるものです。私たちが、自らの努力で信仰をもつのではございません。聖霊様が私たちに働いて下さり、私たちをイエス・キリストを信じる信仰へと導いてくださり、そして、その信仰を強くしてくださるのです。パウロの口からでた「御霊による思い」とは、聖霊様の働きによる私たちの内に芽ばえた信仰のことです。イエス・キリストにあっての信仰が、私たちを永遠のいのちと平安に導くのです。

イエス様は創造の神のひとり子であります。使徒ヨハネは次のように証ししております。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。」(ヨハネ1:1-2)「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方はめぐみとまことに満ちておられた。」(1:14)その神のひとり子であられるイエス・キリストが私たちを友と呼び、そして兄弟と呼ばれたのです。「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」(ヨハネ15:14)「わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行なう人たちです。」(ルカ8:21)ですから、私たちがイエス様の兄弟であるなら、イエス様の天の父なる神様も、私たちの天のお父様と呼べるのです。私たちがイエス・キリストを信じ聖霊様を受けた時、イエス様は聖霊様によって、私たちが創造の神を「アバ、父」と呼べるようにしてくださったのです。(ローマ8:15)そして、そのことは次の大いなる恵みを導くのです。「私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ローマ8:17)つまり、天のお父様であられる創造の神様の財産を、ひとり子であられるキリストがゆえに、彼と共に相続できるという、この上もない恵みをいただくことができるのです。そして相続するもの中で、一番大切なのは、永遠のいのちと平安です。

主を信じる私たちが、天の御国へ移されるとき、永遠のいのちをいただけます。しかし、この世でも、私たちは神様の財産の一部を相続できているのです。それは、一番大切なものの一つ、平安です。イエス様は次のようにおっしゃいました。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるものとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:26-27)平安とは聖霊様のことであり、助け主のことでもあります。つまり、私たちがイエス様を救い主と信じ告白した時点で、聖霊様が私たちの心に宿り、聖霊様によって、私たちは天の御国で味わうことのできる平安とそれに伴う喜びが、この地上でも先に味わうことができるのです。なんと素晴らしい恵みではありませんか。

もし、イエス様を信じる皆さんが、この平安と喜びを、今味わっておられないとしたら、それはとてももったいないことです。すでに、内に住んでくださっておられる聖霊様は、平安そのもののお方です。聖霊様を感じてください。聖霊様を感じるよう祈り求めてください。そうすれば、必ず平安に包まれます、それに伴う喜びが与えられ、あなた心は、平安と喜びで圧倒されることでしょう。それは、聖霊様によって、主があなたを支配したことになります。完全に、主があなたのかわりに、全てにおいて戦ってくださるのです。そして、あなたは、主を信頼し、主に全てを明け渡し、主に依り頼む幸いを覚えるのです。

さて、今朝は出番がないのではないかと心配をしております、天国長屋の八と熊が、私の方に合図を出しておりますので、ここでバトンタッチをさせていただきます。

八: あぁ、やっと出番がまわってきたねぇ、熊さん。

熊: 今日はもう出番がないのじゃないかと思っていたよ。

八: ところで、今日の話の中で、牧師先生、するりと逃げちまったところがあったなぁ。

熊: そうかい、どこだっけ。

八: 今日の御言葉のところで、キリストとの共同相続人ってあったじゃねぇか。

熊: ローマ人の手紙の8章17節だろ。

八: 17節をちゃんと読むとこうなるよな。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」

熊: 八、そこのどこが気になってんだ。

八: 「私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、」というところだよ。牧師先生は、それをスルリととばして、「私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」と言いなさった。

熊: 八、おめぇ、するどいな。俺はまったく、そこんところ、気がつかなかったよ。

八: 「栄光をともに受けるために苦難とともにしているなら」ってさ、キリストを信じるゆえに受ける迫害のことだろ。確かに、イエス様の時代も、使徒の時代にもあったし、今もいろんな国で迫害があるよな。たとえば、中国では、政府による地下教会への迫害はひどいそうじゃないか。

熊: そうだな、日本でも昔は、耶蘇狩りがあったりした。迫害弾圧が死ととなりあわせにあったからな。

八: でも、今の俺たちには、迫害や弾圧はないに等しいよな。じゃあ、苦難をともにしていないから、キリストと栄光をともに受けることはできないということなのかい。

熊: たしかに、迫害があったからこそ、キリスト教は広まって行ったと言ってもおかしかないから、その意味では、今の平和な日本で、キリスト教が広まらないのは、ある意味納得だわな。

八: 俺の言いたいのは、そうじゃないんだ。キリスト教が広まるか広まらないかという宣教の問題を言ってんじゃねぇんだ。俺たちが、いや、俺が苦難をともにしてなかったら神様から栄光を受けることができないのかということなんだ。

熊: 八、こうは考えられないかい。たしかに、他の国のように、目に見えるような迫害はないかもしれねぇ。でもよ、迫害だけが、苦難じゃないだろう。

八: 迫害だけが、苦難じゃないって、どういうことだい。

熊: イエス・キリストを信じて告白するっていうことはよ、それだけ、八の周りの人に、摩擦やストレスを与えるかもしれねぇってこった。例えば、八、お前、イエス様を信じてから、酒もタバコもやめたよな。

八: ああ、神様からお借りしているこの身体に危害を加えるようになっちゃぁいけねぇからな。

熊: でも、聖書には、酒もタバコもやめなさいとははっきり書いちゃいねぇ。だから、誘惑もある。「聖書に書いちゃいねぇんだから、そんな堅い事言わずに、いっぱいぐらいいいだろう」っていう誘惑もあるかもしれねぇ。

八: ああ、あったよ。それに今でも、あぁ、ビール飲みてぇと思うこともある。

熊: その誘惑と戦うことも、苦難だと考えることはできねぇもんかな。

八: なるほどねぇ、誘惑は悪魔のささやきとも言われるからな。

熊: 人間に罪が入った時、悪魔であったヘビが、禁断の果実をもぎ取ってもってきたわけじゃなかったよな。

八: 言葉巧みに、エバをそそのかして、あの果実を手にとらせた。悪魔が誘惑したんだな。

熊: そうさ、悪魔は口達者なんだ。俺たちが太刀打ちできねぇ奴なんだよ。イエス様も誘惑しようとしたんだからな。まあ、あの時はイエス様はわざと悪魔に試みられるようにしていたんだけどな、40日間の断食をして。

八: たしかに。誘惑ほど、心を惑わせるものはねぇからな。

熊: だから、俺たちにとっては、その誘惑が苦難なのさ。ということは、誘惑のない人間はいねぇから、苦難のない人間もいねぇ。人間は誰しも、苦難はつきものなんだ。

八: そうか。イエス様は、人間のすべての苦難を知っておられるお方だから、程度の差があっても、俺たちの苦難をちゃんとご存じで、助け手を出してくださるんだな。感謝だ。はー、これですっきりしたよ。

熊: 俺たちが、イエス様のことをいつも思っている限り、俺たちの心の内にいらっしゃる聖霊様が俺たちを平安と喜びに包んでくださるってすんぽうさ。

八: 感謝だねぇ、感謝だ。

ありがとう、八さんと熊さん。私のいたらないところをよくぞ補ってくれました。私たちは、イエス・キリストを信じたからといって、戦いがなくなった訳ではございません。いえ、信じるがゆえに、罪が明らかにされ、戦いが増えたとも言えるでしょう。しかし、イエス様はすでにその戦いを経験し、勝利を治めておられます。その勝利者であるイエス様を私たちは常に見上げ、いつも思ってまいりましょう。また、天国で味わうことのできる平安と喜びが、今の世でも、前もって味わい知ることのできる幸いに感謝いたしましょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「キリストとの共同相続人」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。最後に、ヨハネの福音書20章21-22節のイエス様のお言葉をお読みいたします。「平安があなたがたにあるように、父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。聖霊を受けなさい。」

(3分間黙想)He is Our Peace

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「キリストとの共同相続人」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちには、すでに聖霊様という平安であり助け手が送られています。どうか、私たちが、キリストとの共同相続人として、常に主を見あげ、心が平安と喜びで満たされていますように。先の天の御国での平安を思い、今いただいている平安に感謝できますように、お導きください。私たちがいつもよみがえりイエス・キリストを思うことができますよう、私たちを誘惑から守り、お導きください。

このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌325「歌いつつ歩まん」

賛美: 今月のワーシップソング「君は愛されるために生まれた」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

He is Our Peace

He is our peace

Who has broken down every wall.

He is our peace; He is our peace.

He is our peace

Who has broken down every wall.

He is our peace; He is our peace.

Call all your cares on Him,

For He cares for you,

He is our peace; He is our peace.

(x2)

今月のワーシップソング「きみは愛されるため生まれた」

きみは愛されるため生まれた きみの生涯は愛で満ちている (2回)

永遠の神の愛は、われらの出会いの中で実を結ぶ

きみの存在が私には、どれほど大きな喜びでしょう

きみは愛されるため生まれた 今もその愛うけている (2回)

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。