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メッセージ主題:『神の憐れみ』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ローマ人への手紙』

2019時年5月26日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌176「イエスは汝を呼び給う」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「君は愛されるために生まれた」

交読: 交読文10:詩篇 第31篇:新聖歌p.886-887

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌141「イエス君は」

聖書拝読:ローマ人への手紙9章15節~16節(新改訳聖書)

中心聖句:

「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(15)

メッセージ主題:『神の憐れみ』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『キリストとの共同相続人』と題しまして、お話をさせていただきました。ローマ書第8章は、7章での肉と霊の葛藤とは打って変わって、主が光を指して下さり、「イエス・キリストにある者は罪には定めない、だれもイエス・キリストにある者を神の愛から引き離すことはできない」とパウロを通しておしゃってくださるところでございました。そんな、神の愛の励ましの第8章から、イエス・キリストが十字架での罪の贖いと死の克服により復活されたことによって、私たちの内に住み給う聖霊様を通して、私たちが、「神様を天のお父様、アバ、父、すばらしいお父さん」と呼べるようにされた、神様の子とされた、その大いなる愛について、学ばせていただきました。

今朝は、『神の憐れみ』と題しまして、お話をさせていただきます。ローマ書第9章では、神は主権者であり、ご計画を定める自由と権限をもっていらっしゃることが記されています。神の選びの民、イスラエルは義の律法を追い求めながら、その律法に到達せず、神の憐れみの救いを受けようとはしませんでした。彼らは、信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。神は新たな契約を定め、異邦人をも憐れみ、イエス・キリストを信じる信仰によって、全ての人を救おうとされました。私たちをお造りくださった創造の神は、不信仰な私たちに怒りを示し、滅ぼすこともできますが、神は憐れみ深く、豊かな寛容をもって忍耐してくださっておられます。その憐れみによって、私たち異邦人も救われることができ、神の栄光を現わす者へと変えられるのでございます。今朝は、神の憐れみについて学ばせていただきます。

まず、主に祈りをささげましょう。

ローマ人への手紙の中で、「憐れみ」という言葉ででてくるのは、この9章がはじめてでございます。それだけ、パウロはこの9章で「神の憐れみ」を大切に扱っているのです。旧約聖書でも新約聖書でも、この神の憐れみについては沢山でてきます。今朝は、その神の性質をよく表わしています詩篇の御言葉を1節あげたいと思います。詩篇86篇15節です。「しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るにおそく、恵みとまことに富んでおられます。」神はあわれみ深く、情け深いのですが、この二つの表現には行動が伴っています。神の憐れみには、救いという恵みが与えられ、神の情けには、怒るにおそい、忍耐が伴っています。

私たち人間にも人を憐れむ心、情けの心はあります。これは創造主の性質が、創造物に受け継がれている証拠でもあるでしょう。しかし、私たち人間は、「憐れに思う」というところで、止まってしまうことが多いのではないでしょうか。しかし、神の憐れみには必ず行動がともないます。それは、神の恵みでもあります。モーセに対して、「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」(出エジプト33:19)と告げ、約束されました。主がおっしゃった「善」とは救いの御業のことであり、それは主の恵みのことでもあります。つまり、神が憐れまれた時には、神の義と栄光が現わされ、救いと助けの恵みがともなわれるのです。旧約・新約どちらにも、「主よ憐れんでください」と多くの人が神の救済を祈り求めました。しかし、その祈りがすべて聞かれ、救いの実行に移されたわけではありません。主が「あわれもうと思う者をあわれむ」とおっしゃったように、主に主導権がございます。私たちは、そのことを忘れてはいけません。ただし、私たちが聖霊様を通して完全に主と一致し、一心同体になっている時、私たちの祈り自体が神のものとなっていて、祈り求めることは、すべて主の御心にかなったものとなります。

さて、詩篇86篇15節にありました、神のもう一つの御性質を見てみましょう。神は情け深く、怒るにおそい、ということです。神はノアの洪水以降、忍耐してくださっています。神はノアと契約を交わしました。「わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」(創世記9:11)神はいったん契約をしたからには、それを自らが破棄する事はありません。ですから、大洪水でこの地が滅びることはないとおっしゃっておられます。しかし、ノアの時代の人間と今の私たちとでは、どちらが罪深い社会でしょうか。私は個人的に、人間社会はますます便利になってきているようにも見えますが、罪に関しては、どんどんひどくなっているのではないかと思っています。しかし、その反面、そんな私たちに忍耐してくださっている神に感謝していることも事実です。神の情け深さにより、怒るにおそく、人類は神の忍耐によって、未だに滅びず生かされているのですから。もちろん、神は、もう二度と大洪水によって人類をほろぼすことはありませんが、他の手段によって、地上での人類は滅ぼされることになるでしょう。しかし、それまで神は情けによって忍耐してくださっているのです。

実に、私たちがこの地上で生かされていますのは、神の忍耐と情けにより、恵みと憐れみとによるのでございます。では、私たちが、神によって生かされているという感謝の応答として、何をすべきでしょうか。それは、いにしえから続く、神が私たちにくださった、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」と「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ22:37~39)という戒めに従うことであります。もちろん、私たちは、私たちの力で、この戒めを完全に従うことはできませんが、聖霊様によって、従うことをあきらめずにおれるのです。それ自体が感謝ではないでしょうか。

さて、ローマでは、このパウロの手紙が読まれており、民衆はみな聞き入っております。その中に、天国長屋の八と熊も、耳を傾けております。

八: 熊さん、今日のパウロのだんなの手紙では、神様は憐れみ深いお方だとおっしゃてるね。

熊: 神様は憐れみ深いからこそ、モーセには十戒をお授けくださった。

八: そうだよな。あの十戒は、今の世でも、これからの世でも普遍的なものだものな。

熊: 俺たちゃ、あの十戒をいつまでも心に留めておかないといけねぇ。あれは、イスラエル人だけのもんじゃ、ねぇからな。

八: それに、イエス様がこの世に来られたのも、神様の俺たちに対する憐れみのせいなんだよな。

熊: 神様の憐れみには、常に救いという行動が伴うんだ。だから俺たちを憐れんでくださった神様は、ひとり子であられるイエス様をこの世にお送りくださった。俺たちの代わりに、十字架によって血を流され、俺たちの罪を贖ってくださったんだ。

八: 神様って、つくずく行動派だよな。俺たちの代わりに、すべて働いて下さるんだから。

熊: 神様は行動派か、たしかにな、神様は、いつも何かしら事をなしてくださるお方だから。

八: 俺たちゃ、何にもしなくても、神様がやってくださるから感謝だよ。

熊: 八、それはちょいと違うよ。

八: だってよ、ユダヤ人たちは、信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めるから、イエス様につまづいたんじゃねぇか。

熊: 確かに、行いによって救われることはないのは真実だけれど、信仰をもったら、神様を全身全霊で愛さないとな。

八: だけど、自分を捨てて神様により頼む者にならないといけねぇんだろ。自分の力で努力してはダメなんだろ。パウロのだんなが言ってたじゃねぇか。たしか、「もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」(2コリント1:9)って。

熊: 神様により頼むっていうのは、自分は何もしなくて、神様に丸投げ状態っていうことじゃねぇんだ。例えばよ、八に誰か好きな人ができて、またその人も八を好いてくれているとしよう。

八: 俺にはそんな人はいねぇよ。いたら、熊といつもつるんでねぇ。

熊: だから、仮にだよ、仮に。八が、その人にすべて、おんぶにだっこ状態だったらどうする。

八: なんだ、ひも見てぇだな。愛していたから、なんかしてあげたいと思うかもな。

熊: そうだろ、それが愛さ。愛しているからこそ、相手の言うことに耳を傾けたいと思うし、相手に喜んでもらいたくて、何かしようとするじゃねぇか。

八: そうだな。神様は、辛抱強く、そして憐れみ深く、俺たちを救って下さった。

熊: 愛だよ、愛。だからこそ、俺たちも感謝して、口に出して、賛美をするし、礼拝もするし、祈りもささげるんだよ。

八: そうかな。より頼むということと、それとは別問題なのだ。

熊: イエス様のはなしにもあったじゃねぇか。十人のライ病人が癒やされたけど、一人だけ感謝のために戻って来たと。(ルカ17:11-19)

八: あれは、確か、異邦人であるサマリヤ人だったよな、もどってきてイエス様に感謝したのは。

熊: あの時、十人のライ病人は、イエス様に「どうぞあわれんでください」と救いを願ったんだ。

八: 神様の憐れむというのには、救いがあるんだな。だから、救われた俺たちも憐れんでいただいたんだ。

熊: そう、神様は、俺たち全員を憐れんで下さっている。闇の中を歩いていた俺たちに、光を下さったんだ。

八: イエス様のお言葉にもあったよね、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)

熊: 憐れみに富んだ主イエス様は、世の光として、この地上にいらしてくださった、感謝だね。

八: 神様の俺たちに対する憐れみによる救いは、イエス様によって完成されたんだな。

熊: パウロのだんなの言ったとおりさ。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(1コリント1:18)

私たちは、神の憐れみの中で生かされています。今すぐにでも滅びても仕方のない私たちでありますが、神の憐れみによって、イエス・キリストという救いを得ることができています。私たちは選ばれ救われました。この神の憐れみには、私たち一人一人の救いだけではなく、神の栄光をあらわすべく、救いの証人となるようにと、神は私たちを整えて下さっています。そのために聖霊様が送られてきました。ルカは使徒の働きで次のように記述しています。「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」(使徒2:32-33)私たちは、この神の憐れみに、救い主の愛に、イエス・キリストの証人として応えたいと思います。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「神の憐れみ」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。最後に、ルカの福音書24章46-48節のイエス様のお言葉をお読みいたします。「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。」

(3分間黙想)As The Deer

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「神の憐れみ」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。どうか私たちが神の憐れみにより、救われ今を生かされていることに感謝いたします。そして主の証人として常に主を思い、主により頼む者とさせてください。そして、いつも主を喜ぶものでありますように。このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌108「丘に立てる荒削りの」

賛美: 今月のワーシップソング「君は愛されるために生まれた」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

As The Deer

You alone are my strength, my shield

To You alone may my spirit yield

You alone are my heart’s desire

And I long to worship Thee

As the deer panteth for the water

So my soul longeth after Thee

You alone are my heart’s desire

And I long to worship Thee

You’re my friend

And You are my brother

Even though You are a King

I love

今月のワーシップソング「きみは愛されるため生まれた」

きみは愛されるため生まれた きみの生涯は愛で満ちている (2回)

永遠の神の愛は、われらの出会いの中で実を結ぶ

きみの存在が私には、どれほど大きな喜びでしょう

きみは愛されるため生まれた 今もその愛うけている (2回)

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。