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メッセージ主題:『主のいつくしみにとどまる』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ローマ人への手紙』

2019時年6月9日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌89「神は独り子を」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「求めて」

交読: 交読文12:詩篇 第33篇:新聖歌p.888-889

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌108「丘に立てる荒削りの」

聖書拝読:ローマ人への手紙11章22節~23節(新改訳聖書)

中心聖句:

「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。彼ら(イスラエル)であっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。」(22-23)

メッセージ主題:『主のいつくしみにとどまる』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『口で告白する幸い』と題しまして、お話をさせていただきました。ローマ書第10章では、パウロは、イスラエルの民がなぜ救いにあずかれなかったのかを説いていました。裏を返せば、キリストが律法の時代を終わらせられたので、キリストを信じる者がすべて義と認められ救われるということです。パウロはここで、救いへの二つの過程を示していました。①イエス・キリストを心で神がよみがえらせた方であると信じ、義と認められることと、②口でイエス・キリストを主と告白し救われることです。先週は、これらの二つの過程について学ばせていただきました。

今朝は、『主のいつくしみにとどまる』と題しまして、お話をさせていただきます。

ローマ書第11章では、パウロは、イスラエルの民全員が、神に見放されたのではなく、まだ救済される余地は残っていることを説きます。異邦人である私たちが救われるように、選ばれた民であるイスラエルも、イエス・キリストの福音を認め、主のいつくしみにあずかれば、救われると、彼らへの希望を語ります。逆に、既に救われている私たちも、神のいつくしみの中にとどまっていなければ、私たちも結局救いからもれることになるのです。今朝は、このことについて学ばせていただきます。なお、今日はペンテコステ礼拝が全国でもたれています。ペンテコステとは、イエス様が復活をされ、40日この地上で弟子たちと共に過ごし、天に上げられた後、弟子たちに聖霊が降り、彼らは、天における知恵と力と勇気と平安とを得て、大胆に主を証ししていきます。その聖霊降臨をペンテコステと言います。つまり、キリスト者の聖霊による覚醒ともいえるでしょう。その事も覚えながら、主の声を聞いてまいりましょう。

まず、主に祈りをささげましょう。

神様は中途半端なことはされません。神様の裁きは、神の目から見て、正しいか、正しくないかによって、いつくしみ深いものとなるか、きびしいものとなるかのどちらかです。つまり、救われるか、救われないか、天の御国に入れるか、入れないかのどちらかなのです。最終的に救われて、天の御国に入れるかどうかは、誰にもわかりません。しかし、神のいつくしみの中に留まらせていただく希望は持ちつづけることができます。神のいつくしみの中に留まるとは、悔い改めに導き続けられることを意味しております。パウロは、ローマ書2章4節で、「神の慈愛があなたを悔い改めに導くこともしらないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」とローマの教会に対して説いています。神は私たちを愛おしく思ってくださるがゆえに、御子イエス・キリストをこの世にお送り下さり、イエス様の命を代償として、私たちの罪を贖ってくださいました。そしてイエス様を三日目に死人の内よりよみがえらせてくださり、私たちを救う準備を整えて下さいました。また、そればかりでなく、キリストを信じる者には、聖霊様をお送り下さって、聖霊様を通して、悔い改めに導き、励まし、知恵をお与えくださり、私たちを神様のもとへと誘導してくださるのでございます。

また、神様がイエス様を通して、お送りくださった聖霊様は、天の御国での平安そのものでございます。イエス様は弟子たちにおっしゃいました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」(ヨハネ14:27)このお言葉は、その前にあります御言葉、「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(14:26)に対する説明でもあります。つまり、聖霊様はイエス様の平安そのものでもあるのです。そして、パウロは、ローマ書8章5節6節で、次のように述べております。「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊の思いは、いのちと平安です。」つまり、聖霊様はいのちと平安なのです。

そして、私たちの内に聖霊様が宿るということは、私たちの体は、神の宮であり、天の御国での平安と喜びが、聖霊様によって、この地上でも経験できるのでございます。先週も申しましたが、イエス様はヨハネの福音書10章9節で、次のようにおっしゃいました。「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」これは、イエス様がくださる、聖霊様によって、私たちはいのちと平安を得、日常生活を平穏に過ごすことのできる恵みが与えらえているということです。そして、それこそが、天の御国での生活の一部分なのです。平穏な日常生活の時間、心平和で満ち足りた時間を前もって、この地上で味わうことができる、それもすべて私たちの心に住んでくださっています聖霊様の働きのおかげなのでございます。

最近、エゼキエル書を読んでいました時に、次の御言葉が宝石のように輝いて見えました。「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」(36:26) これは、神の民イスラエルが内面の回心を示す表現であり、今日のローマ書11章を裏付ける御言葉でもあり、異邦人の私たちにとっても、真実であります。新しい心と新しい霊、つまり悔い改めた心と聖霊様によって、私たちを、頑なな石の心から、柔軟な肉の心へと変えて下さるのです。

「主のいつくしみにとどまる」とは、主による新しい心と新しい霊によって、常に悔い改めに導かれ、いのちと平和の聖霊様によって、私たちが平穏な日常生活をおくる喜びに満ちることができるとことを示唆しています。

さて、今日も、天国長屋の八さんと熊さんに登場していただきましょう。では、宜しくお願いいたします。

八: 熊さん、先週に続いてまた、急にふられちゃったよ。どうする?

熊: どうするも、こうするも、まあ、俺たちゃ、気楽にやればいいじゃねぇか。ところで、今日はペンテコステの礼拝でもあったよな、牧師さん、あまり言わなかったけど。

八: けど、聖霊様のことはきちんと言ってなさったから、あれでもいいのじゃないか。

熊: まあ、聖霊様が宿って下さるからこそ、俺たちゃ、安心して生きてられるんだ、、、けどよ、聖霊様って目に見えねぇじゃねぇか。だから、ちょいと不安になる時があるよな。

八: あるある。聖霊様に全てを明け渡して、頼り切っていないといけねぇんだけど、自分という人間がムクムクと出しゃばって来たときなんざ、「あれ、聖霊様いらっしゃいますか」って、思うときが。

熊: そうだよな。それに、聖霊様の働きを、俺たちが邪魔をしちゃ、申し訳ねぇ。聖霊様は、わざわざ、俺たちに良かれと思って働いて下さっているんだ。それに、それが一番のはずなんだけど、ときどき、イエス様のおっしゃることに耳を貸さないで、「こっちがいい」って、やらかしちゃうんだ。

八: だよな。なかなかそれは直んねぇな。この前もさ、つくだ煮にセットをお客さんからいただいたんだ。

熊: ああ、知っているよ。おすそ分けって、俺ももらったやつだろ。

八: そうそう。けどな、俺はあの時、悩んだね。松茸の佃煮があったんだけど、横丁のご隠居喜ぶだろうなぁと思ってたんだけど、結局、俺が食べちまった。そのかわり、ご隠居には、シイタケの佃煮をもらってもらったよ。

熊: それだったらいいじゃねぇか。俺んところには、塩昆布だったよな。ありゃうまかったぜ。ありがとうな。

八: けど、横丁のご隠居は、恐らく、俺たちより早く天国行く。

熊: おいおい、ご隠居さんを、殺すなよ。

八: いやいや、順番から言ったらそうだろ。だからこそ、いつでも食べれるようなシイタケの佃煮じゃなくて、高価なマツタケの方が良かったんじゃないかと。俺はあの時、ご隠居さんの喜ぶ顔を見ようとしてたのによ、俺の舌を先に喜ばしちまった。イエス様は喜ばなかっただろうな。

熊: 八がおすそ分けしたことで、イエス様も喜ばれていると思うよ。でも、おめぇの気がすなまないんだったら、次、いただいた時は、そうすればいいじゃねぇか。

八: まあ、そうなんだけどよ。一事が万事だ。聖霊様の働きを邪魔したり無視したりしちゃあいけねぇと思わされたんだ。

熊: 小さいことにも誠実になるのが一番だな。小事に正直に精進する、てな。

八: どうしようもないな、そのしゃれ。

熊: わるうござんしたね。まあまあ、ダジャレは別として、聖霊様に、俺たちの心を支配していただくっていうのは、なかなかできるこっちゃねぇ。イエス様の声に耳を傾けないとな。

八: けど、イエス様の声はなかなか聞こえてこねぇよ。

熊: 詩篇にこんな御言葉があるじゃねぇか。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(46:10)心静かにして、今、考えていることもいったんやめて、頭を空っぽにして、神様の声を求めるように集中するんだ。

八: それもいいんだけど、俺は、やっぱり詩篇1篇2節3節の方がいいかな、「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」。

熊: 八、おめぇ、好きだな、その聖句。

八: 俺は長い間、静かにはできねぇ。静かにしちまうと、すぐ眠ちまうからな。だから、「おしえを口ずさむんだ」「口ずさんで、目をさましてんだよ」。「おしえを口ずさむ」っていうことは、賛美や御言葉を口に出すっていうことだろ。イエス様と霊的な会話をしているんだな、これが。だから「その人は、何をしても栄える」ってことになるのさ。いやはや、ありがてぃじゃねぇか。

熊: たしかに、それは神様に対する、ひとつの信頼と寄り頼みのあらわれだろうね。でもよ、「栄える」っていうのは、八、ひょっとして、生活が楽になるとか、お金持ちになるとか思ってるんじゃぁねぇか。

八: え?!思ってるよ。 違うのかい?

熊: やっぱり、そう思ってたんだな。横丁のご隠居によると、「栄える」っていうのは「心が栄える」んだとよ。つまり、「心が豊かになって、平安に包まれ、いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝する、そのような心が与えられる」ってことらしい。

八: そうか、じゃあ、「神様の栄光が現わされる」ってことなのかもな。それじゃぁ、おれは、えれえ勘違いをしていたかもしれねぇな。

熊: まあ、勘違いをしてたとしても、「昼も夜もそのおしえを口ずさむ」ことをしようとしていることで、神様はお喜びだと思うよ。八も俺と劣らず貧乏だけど、毎日暮らせているじゃねぇか。「日々の必要を、今日、お与え下さい」って祈っている通りになっているのも、神様のご慈悲だ、神様のいつくしみにとどまっていることになるんじゃぁねぇのかな。

八: 結局、「主である神様のいつくしみにとどまる」っていうのは、イエス様のおっしゃった、ぶどうの木の話とおなじじゃねぇか。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」(ヨハネ15:5)とか、「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(15:7)

熊: イエス様の「わたしのことばがあなたがたにとどまる」っていうところは、八の好きな「昼も夜もそのおしえを口ずさむ」ということと同じだろうね。だから、聖書の御言葉は、とても大切で、日々の糧でもあり、だからこそ、いのちでもあるだな。はぁ、やっと今朝のメッセージタイトルのもどって来たよ。牧師さん、そろそろ、バトンをお返しいたしますよ。もう、むちゃぶりは、これっきりにしてくださいよ。

八さん、熊さん、すまなかったね。いつもありがとう。でも、またこの次もよろしくね。それに、よくまとめてくださいました。「主のいつくしみにとどまる」というのは、イエス様にとどまることでもあり、聖書の御言葉にとどまることでもあります。また、私は、八さんや熊さんのやり取りを聞きながら、パウロの言葉を思い出しておりました。パウロがテモテに当てた手紙の中の言葉です。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(2テモテ2:8)この「イエス・キリストをいつも思っていなさい」という励ましも、私たちの力だけでできるものではございません。これも、私たちを内から支えてくださいます聖霊様によってはじめて成し遂げられるものなのです。イエス・キリストを信じるようになることも、悔い改めに導かれるのも、聖書を読み続けるようになることも、喜び、祈り、感謝することも、そしてイエス・キリストをいつも思うようになることも、すべては聖霊様の働きであり導きなのです。イエス様は「わたしにとどまっていなさい」「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:22)とおっしゃって下さいます。そして、「平安があなたがたにあるように」(20:19&21)と祈ってくださっています。

聖霊様のいらっしゃるところに平安があります。常に聖霊様を感じられるよう、祈り求めていきましょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「主のいつくしみにとどまる」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。私たちの内には聖霊様がいらっしゃって、私たちにいつも働きかけてくださっていることを覚えましょう。私たちの外は弱い、しかし内は強いのです。最後に、マルコの福音書14章38節のイエス様のお言葉をお読みいたします。「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

(3分間黙想)In Moments Like These

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「主のいつくしみにとどまる」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちに、聖霊を受けるという恵みの大切さを教えて下さり、ありがとうございます。内なる聖霊様の働きによって、私たちは主のいつくしみにとどまることができ、日々の生活に天からの平安がありますから感謝いたします。このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌172「望みも消え行くまでに」

賛美: 今月のワーシップソング「求めて」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

In Moments Like These

In moments like these

I sing out a song

I sing out a love song to Jesus

In moments like these

I lift up my hands

I lift up my hands to the Lord

Singing I love You, Lord,

Singing I love You, Lord,

Singing I love You, Lord.....

I love You.

今月のワーシップソング「求めて」

あなたの 声をもとめて

あなたの 顔もとめて

あなたの 心もとめて 御前に 出る 

すべてをゆだねて

すべてをささげて 

あなたを もとめて 礼拝します

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。