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メッセージ主題:『霊的な礼拝』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ローマ人への手紙』

2019時年6月16日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌420「雨を降り注ぎ」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「求めて」

交読: 交読文13:詩篇 第34篇:新聖歌p.889

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌263「罪咎を赦され、神の子とせられ」

聖書拝読:ローマ人への手紙12章1節~2節(新改訳聖書)

中心聖句:

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(1b)

メッセージ主題:『霊的な礼拝』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『主のいつくしみにとどまる』と題しまして、お話をさせていただきました。

ローマ書第11章では、パウロは、イスラエルの民全員が、神に見放されたのではなく、まだ救済される余地は残っていることを説きます。異邦人である私たちが救われるように、選ばれた民であるイスラエルも、イエス・キリストの福音を認め、主のいつくしみにあずかれば、救われると、彼らへの希望を語ります。逆に、既に救われている私たちも、神のいつくしみの中にとどまっていなければ、私たちも結局救いからもれることになるというのです。先週は、このことについて学ばせていただきました。

今朝は、『霊的な礼拝』と題しまして、お話をさせていただきます。

ローマ書第12章では、パウロは、キリストを信じ義とされたゆえに、私たちにはすべきこと、すべきでないことが課せられていると訴えます。例えば、世にならってはいけない(2)、自身過剰になってはいけない(3)、神からの賜物を用いなさい(4-8)、いろいろな道で愛を表しなさい(9-13)、報復・復讐をしてはいけない(14-21)などでございます。しかし、それらは、すべて霊的な礼拝を主にささげることに集約されます。今朝は、礼拝の姿勢について学ばせていただきます。

まず、主に祈りをささげましょう。

では、霊的は礼拝とはどういうことでしょうか。パウロは「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。」と言います。イエス・キリストを信じる私たちが、私たち自身を主にささげるとはどうすればいいのでしょうか。わたしは、「自分自身をささげる」というところで、思い出されますのは、詩篇の次の御言葉です。「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(51:17)『砕かれた、悔いた心』とは、傲慢でない心、わがままでない心、自己中心でない心です。しかし、パウロは「こころ」ではなく、わざわざ「からだ」と表現しています。パウロがただ単に、『砕かれた、悔いた心』と言いたいのであれば、そのように告げたでしょう。しかし、パウロは心だけではなく体もささげるぐらいに、主に誠心誠意、自分自身をささげなさいと説きます。これは、実は律法の二大戒めの一方の強調表現と同じであるとも考えられます。『心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、あなたの神である主を愛せよ』(マタイ22:37)。つまり、「心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、あなたの神を礼拝せよ」とパウロは言っているのでございます。

では、なぜわざわざパウロは「霊的な礼拝」と言っているのでしょうか。その次の御言葉にヒントが隠されています。「この世と調子を合わせてはいけません」 つまり、礼拝を形式的なもの、心の入っていないもの、単なる習慣として、また見栄や自尊心で礼拝を守ってはいけないと告げているのでございます。また「心の一新によって自分を変えなさい」と説くように、キリストによって一新され、またキリストと共に生まれ変わって、礼拝をささげなさいと、私たちを励ましているのです。「霊的な礼拝」の中で、主の御名を崇めるとともに、神のみこころは何かを、私たちは問い求める必要があるのです。礼拝はそれに尽きるとも言えるでしょう。礼拝中に仕事の事や勉強の事を考えてしまう、また食事のことをあれこれ気に留めてしまうことは、私たちが礼拝に集中していないことになるでしょう。まことに神に対して失礼なことでもあります。また、説教者が、いろいろと信徒に受けねらいのメッセージをしてしまうことにも問題があります。聞いてくださっています信徒の方々を神のもとへと導く役目を怠っていることにもなりかねません。私も大いに注意し反省すべき点でもあります。

主の導きや御言葉を待ち望むような礼拝。メッセージを聞いているだけで、心が燃えて来るような礼拝。サムエルのように「主よ、お話しください。しもべは聞いております」(サムエル3:10)とへりくだって、しかし期待もって主の御声に耳を傾ける礼拝。御言葉によって、力を得、勇気と元気をいただける礼拝。また、御言葉を知ることによって、自分の弱さを悟り、悔い改めに導いていただける礼拝。これら、すべてが、私は「霊的な礼拝」であると思えるのでございます。霊的な礼拝の前とその後では、必ず変化があるはずです。なぜなら、聖霊様が礼拝中に働いてくださっておられるからです。もちろん、聖霊様はどんな時でも私たちに働きかけてくださいますが、特に礼拝は別格に働いて下さるのです。だから、クリスチャンにとって、主日の礼拝、霊的な礼拝は、私たちが思うよりもっとも大切な、豊かな時間なのでございます。

さて、天国長屋の八さんと熊さんは、「霊的な礼拝」について、どう思っているのでしょうか。少し伺ってみたいと思います。

八: あらら、牧師さん、俺たちにインタビューしだしたよ。あのずうずうしさにも困ったもんだ。ところで、「霊的な礼拝」って、わざわざ「霊的な」ってつけないといけないものかね。

熊: もうちょっとしっかりしろよって言いたいのかも。語る方も霊的に語り、聞く方もちゃんと霊的に聞くということが大切なんだろうね。

八: なんか、分かったようで分からない説明だな。

熊: 横丁の隠居が、以前の俺の礼拝の姿をこんな風に言ってたな。「熊は礼拝中、よく寝ているね、まあ、霊が聞いているからいいのかも知れないがね。」だってよ。それこそが、「霊的な礼拝」だなって。

八: 熊さん、礼拝中、居眠りしていたのかい。

熊: 以前は、よくコックリコックリしていたな。メッセージの内容がむずかしい時や疲れている時は、特にそうだった。

八: で、本当に霊が聞いていたのかい。

熊: 分からねぇよ。俺は熟睡状態だったから、意識がねぇんだよ。「睡眠学習」でもあるまいし。ご隠居さんの嫌味だな、ありゃ。たとい、霊が聞いていたとしても、やっぱり、起きてなくっちゃいけねぇと思うよ。霊も睡眠状態になっちまうかもしれねぇから。

八: さっき、牧師さんが言っていたように、礼拝では、聖霊様が働いて下さるから、俺たちに何らかの変化があるはずだってな。その変化がないとすれば、霊的な礼拝をささげていないということになるのかもな。

熊: それは言えてるね。礼拝中、もうビンビン、迫って来られるときもあるし、もっと聖書を好きにならないとなと思わされるときも、また、愛の足らない者だと反省させられるときもある。まあ、正直言って、毎回毎回ではないんだけどね。

八: 俺も、礼拝に出て、なんか気分がすっきりすることもあるよ。また、妙に嬉しくなって、イエス様のことを伝えたくなってくることもある。まあ、感情に流されてしまうのはよくないんだけれど。

熊: いや、そんなことない。礼拝のメッセージを聞いて喜んでいることはいいことなんだよ。それこそが聖霊様が働いてくださっておられるという証拠さ。その喜びを押し殺しちゃだめだと思うよ。

八: 喜びが与えられるのも、「霊的な礼拝」なんだね。感謝だ。

熊: 霊的な礼拝の姿勢は、イエス様がおっしゃっておられるじゃねぇか。「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:24)「霊とまことによって礼拝する」っていうのはよ、俺たちの頑張りで礼拝をすることじゃぁねぇんだよ。「霊とまことによる」っていうのは、俺たちが俺たちでなくなるっていうか、イエス様にこの世のことをすべて委ねきって、礼拝をささげる、イエス様と心一つとなるってことなんじゃねぇかな。俺なんかよ、最近、礼拝前に、『イエス様、俺の心を支配して下さい』って、祈るんだ。そうするとよ、イエス様の中に俺がとどまっていて、また俺の中にイエス様がとどまっていて下さる感じがするんだよ。牧師さんがいつも言ってるように、「ぶどうの木と枝の関係で、木から枝に栄養分がドクンドクンって入って来て、俺という枝に実がなってくる。そしてその実を神様は喜んでくださるんだ」こんな嬉しい事はないやね。

八: 語るねぇ、今日の熊さんは。なるほど。イエス様と心一つとなって、礼拝することができたら、それに越したことはねぇな。それが一番だ。イエス様と心一つになる、それって、イエス様に倣うものになるっていうことだよな。俺たちに、イエス様っていうお手本ができたっていうことだ。

熊: じゃあ、八は、イエス様がどのようにして礼拝をささげていたと思う?

八: イエス様は礼拝をささげるというより、いつもさびしいところに行って、祈っていたとあるじゃねぇか。だから、イエス様にとって、礼拝=祈り、じゃなかったのかな。神様との親しい交わり、へりくだった交わりであったはずさ。

熊: そうだよな。だから、俺たちも礼拝に出席するときには、メッセージを聞きながら、神様との親密な交わり、聖霊様にすべてを明け渡してのつながり、メッセージを聞きながらの黙想、それらをすることが大切だと思うんだ。

八: 熊、いいねぇ、ありがとよ。俺も次からはそうしてみる。まずは、『イエス様、俺の心を支配して下さい』だったな。それから、どうすればいいんだ?

熊: それは、俺のやり方だぜ。

八: いいじゃねぇか、へるもんじゃなし、けちん坊だな。

熊: 違うよ。ケチで言ってんじゃねぇんだ。人それぞれに「霊的な礼拝」をささげるやり方があっていいんだってことさ。俺の真似をしてくれるのは全く問題ないけどな。

八: それで、次はどうすりゃ、いいのさ。

熊: その次は、俺は、牧師さんの言うことに耳を傾けながら、サムエルのように「主よ、お語り下さい、しもべは聞きます」って、そして、黙想している時も多いかもな。

八: 黙想では、目をつぶるのかい?

熊: いや、目を開けながらしていることが多いよ。

八: よっしゃ、俺も、「心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、神様の御言葉に耳を傾ける」礼拝をすることにしよう。

八さん、熊さん、ありがとうね。熊さんがときどき目をつぶっていたのは、聞きながら黙想している時だったんだね。居眠りじゃなくて。しつれいしました。

礼拝は、合同でするものですけれど、聖霊様の働きによって、一人一人が主の御前に出て、主が語ろうとすることに、耳を傾ける。それが、霊的な礼拝です。その礼拝で得るものは、一人一人異なっていても大丈夫です。消極的に礼拝に出席するのではなく、積極的に主の教えと導きを求めてみましょう。熊さんの言うように、礼拝の前に、短く祈るのもいいですね。『イエス様、私の心を支配してください。私は、心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、イエス様に耳を傾けたいのです。』

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「霊的な礼拝」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。もちろん、礼拝だけが、主に交えることのできるものではございません。個人的な静まりの時、祈りの時、歩いている時、仕事や学びをしている時、どんな時でも、主と心の中でつながっていましょう。いつも主を思うことも礼拝です。しかし、主日の礼拝は主にあって、出席者の一人一人が主とつながり、その上で皆さんが心ひとつとなり得るものなのです。どうか、肉的な礼拝ではなく、霊的な礼拝を心がけてください。最後に、ヨハネの福音書12章44-45節のイエス様のお言葉をお読みいたします。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。」

(3分間黙想)Oh How He Loves You and Me

お祈りをいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「霊的な礼拝」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが礼拝を主にささげる時、私たちは「心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、あなた様の御言葉に耳を傾ける」そのような礼拝をすることを教わりました。また、どうか礼拝中、私たちの心を聖霊様が支配してくださいますように。このお祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌199「主を仰ぎ見れば」

賛美: 今月のワーシップソング「求めて」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Oh How He Loves You And Me

Oh how he loves you and me!

Oh how he loves you and me!

He gave his life.

What more could he give?

Oh how he loves you!

Oh how he loves me!

Oh how he loves you and me!

今月のワーシップソング「求めて」

あなたの 声をもとめて

あなたの 顔もとめて

あなたの 心もとめて 御前に 出る 

すべてをゆだねて

すべてをささげて 

あなたを もとめて 礼拝します

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。