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奨励タイトル:『愛しちゃったのよ』

大阪聖書学院 チャペル礼拝 2019.6.19

奨励タイトル:『愛しちゃったのよ』 賛美:新聖歌156「われは主にありて楽し」

聖句:エゼキエル書48章35節

「町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。」

一昨日の月曜日、エゼキエル書を読み終えました。毎夜、一日が終わる時に通読をしている箇所でした。エゼキエルは、バビロン捕囚の真っ只中の預言者でありました。イスラエルの民に悔い改めを導き、また捕囚時に、エルサレムの神殿の崩壊を知った民に、神の国の幻を語り、希望を与えるのでございます。また、「バビロンの地でも、イスラエルの民と共に主がおられる」と落胆している民を力づけるのであります。それが今朝の聖句「主はここにおられる(アドナイ・シャマ)」であります。エゼキエルは最後の最後に、エゼキエル書のテーマとも言うべき「アドナイ・シャマ」を唱えました。

「主はここにおられる」とは、エゼキエル書のみならず、聖書全体の中心的メッセージございます。慰めと平安、希望と勇気の言葉です。同じような御言葉として、「恐れるな、わたしがあなたと共にいるからだ(イザヤ書43:5)」「わたしはあなた方を捨てて孤児にはしません(ヨハネ14:18)」「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます(ヨハネ15:5)」例をあげるときりがありません。

「主はここにおられる」とは、主が私たちに近づき、寄り添ってくださることを意味します。それは、主の愛の表現です。主がまず愛を私たちに示してくださったのです。モーセの出エジプトの場合もそうです。13章では、次のような記述がございます。「主は、昼は、途上の彼らを導くために、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった」(21-22)主は先頭を切って、愛する民を導かれたのです。また、14章では、次のようにあります。「ついでイスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは、移って、彼らのあとを進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移って、彼らのうしろに立ち、エジプトの陣営とイスラエルの陣営との間にはいった。それは真暗な雲であったので、夜を迷い込ませ、一晩中、一方が他方に近づくことはなかった。」(19-20)主は、ご自分の民を後方の敵から守られたのでございます。

そして、神は最大の愛を示されます。神のひとり子イエス様をこの世にお送り下さり、十字架にかかり、私たちの罪をすべて贖い、三日目に死を克服し、よみがえらせ、私たちに永遠のいのちをお与え下さる準備をされ、イエス・キリストを信じる者には聖霊様が私たちの心に下り、私たちのからだを神殿、聖なる宮とされたのです。つまり、私たちひとりひとりの内に、主が伴って下さり、「わたしはここにいる」とおっしゃってくださるのでございます。「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである(ヨシュア1:9)」と私たちを守り励ましてくださるのであります。

では、私たちは、この主の恐れ多いぐらいの愛に対して、どのように応答すればよいのでしょうか。イエス様はおっしゃいます。「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マルコ12:30)これは二大律法のうちの主軸であります。英語では、「Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind and with all your strength. 全身全霊を込めて、もてる全てを投じて、あなたの神である主を愛せよ」とおっしゃいます。

では、「愛する」ということはどういうことでしょうか。私は、自分の娘に、名前を「愛」と言いますが、その娘に「愛しているよ」って言ったことが、何回かございます。その都度、娘は、「『愛してる』ってこっぱずかしいから、やめてんか」と拒否られるのであります。私個人的には、ハグもしたいぐらいなのですが、「そんなことしたら、親子の縁切る」と言われるのでございます。じゃあ、「『愛してる』と言えないのだったら、どう言えばいいの?」とたずねますと、「『大切に思っている』ぐらいにしといて、『愛してる』って重たいし」と返って来ました。「大切に思っている」、なかなかいい表現ではないかなと思わされました。ですから、私はこう言うべきなのかもしれません。「私はイエス様を宝以上に大切に思っています。」と。

しかし、昭和歌謡で育った私としては、今日のメッセージのタイトル「愛しちゃったのよ」の表現がピタリくるのでございます。ご存じない方もたくさんいらっしゃるでしょうから、この場で歌いたいぐらいですが、歌いません。いちど、YouTubeで聞いてみてください。昭和歌謡は、真剣なんですが、どこか心にゆとりがあるのです。この「愛しちゃったのよ」の歌詞も「あなただけを 生命をかけて」と歌っているにもかかわらず、必死感はないのであります。私は、「イエス様いのちです、だい好きです、愛しています、とても大切に思っています、私の生活の中心です」。全身全霊を込めて、イエス様を愛したいと思っています。しかし、肩ははっていません。イエス様をいつも思っていますし、信頼し、より頼んでいます。しかし、愛することに疲れてはいません。やはり、いつのまにか「愛しちゃったのよ」なのでございます。

そうではありませんか、天国長屋の八さん。

―――――――

八: ひぇー、こんなところで、ふってこられましたよ。どうして、俺たちに助けを求めるかねぇ。なぁ、熊さん、で、どうするよ。

熊: バカ、八、俺にふるんじゃねぇよ。

八: (お願いの所作)

熊: しかたねぇなぁ、、、けどよ、俺は、イエス様いのちだな。

八: じゃ、あの牧師さんといっしょじゃねぇか。

熊: まあ、あの人といっしょにはしてほしくねぇなぁ。俺っちの「イエス様いのち」は筋金入りだぜ。ほれ、見てごらんよ。

八: おお、「イエス様いのち」って腕に入れ墨いれたのかい。

熊: 入れ墨はご法度じゃねぇか。神様からお借りしているこの身体に傷をつけちゃ、申し訳ねぇ。

八: じゃあ、どうしたんだい、それ。

熊: 水性のサインペンで書いた。

八: じゃ、風呂入ったら、消えちまうじゃねぇか。

熊: それでいいんだよ。消えたらまた書くんだ。毎日、イエス様によって、身も心も新しくされていくんだ。「イエス様いのち」の文字も新しくしねぇとな。

八: なるほどねぇ。

熊: 俺は、イエス様と一心同体さ、だからイエス様いのちなんだ。

八: 一心同体って、ひょっとして、ブドウの木とその枝のことかい。

熊: そうだよ。さっき牧師さんがいってたよな。「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)

八: そうだよな。イエス様に接ぎ木されるっていうことはよ、「イエス様の喜びが俺たちのうちにあって、おれたちの喜びが満たされるため」(ヨハネ15:11)なんだよな。

熊: 俺たちはいつも喜んでなくっちゃいけねぇ。聖霊様が心の中にいらっしゃるんだから。それによ、その喜びは、神様の平安に裏打ちされてんだ。

八: ちげぇねぇ。聖霊様は、平安だ。イエス様が「あなたがたにわたしの平安を与えます」(ヨハネ14:27)おっしゃった、その平安だよな。

熊: そう、何事にも恐れない、おののかない平安なんだ。ところで、八はどうなんだい。イエス様、愛してんだろ。

八: 俺はよ。イエス様が俺たちを「友」と呼んでくださることが、嬉しいんだ。まあ、マブダチだ。なんでも話をしてるよ。それにいつも相談しているな。「イエス様だったらどうなさいますか」ってな。

熊: イエス様、答えてくださるのかい?

八: いろんな方法で答えてくださるよ。聖書だけじゃないよ。周りの人や、周りの状況から、教えてくださることもある。答えをすぐにもらえないときもあるし。

熊: でも、いいやな、イエス様といつもお話しするっていうのはよ。やっぱり、愛してんだねぇ、八も、イエス様と天のお父様のことを。

八: あたり前田のクラッカーさ。

熊: あたり前田のクラッカーなんて古いねぇ。おめぇもやっぱり昭和だな。

八: 熊、おめぇも昭和じゃねぇか。でも、イエス様といつも話をしてるってことはよ、「主はここにおられる」ってことだよな。「主がここにおられる」からこそ、いつもお話しできるんだ。ありがてぇよ。さあ、牧師さん、おれたちの愛し方はこんな感じだ。これでいいかい。

ありがとうね、八さん、熊さん。八さん、熊さんがいてくれて助かるよ。

愛し方はひとそれぞれかも知れません。しかし、どんな愛し方であっても、「主はここにおられる」という神様の愛を受けた私たちの精一杯の応答ではないでしょうか。「主はここにおられる」その神の愛を信じて、喜びと祈りと感謝をする日々を歩ませていただきましょう。

お祈りいたします。

昭和歌謡

「愛しちゃったのよ」

愛しちゃったのよ 愛しちゃったのよ  あなただけを 死ぬ程に

愛しちゃったのよ 愛しちゃったのよ  ねてもさめても ただあなただけ

生きているのが、つらくなるよな 長い夜

こんな気持は 誰もわかっちゃくれない

愛しちゃったのよ 愛しちゃったのよ  あなただけを 生命をかけて

 

いつからこんなに いつからこんなに  あなたを好きに なったのか

どうしてこんなに どうしてこんなにんあなたの為に 苦しいのかしら

もしもあなたが、居なくなったら どうしよう

私一人じゃ とても生きちゃいけない

愛しちゃったのよ 愛しちゃったのよ  あなただけを 生命をかけて

生命をかけて 生命をかけて